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虚構の男  作者: HYG
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虚構の男13

 アントニオ・ガルチは、元はフィリピン軍SOGの曹長だった。先の紛争でそれなりの戦果を上げたアントニオは、祖国への忠義をもう十分尽くしたと考え五年前に退役した。フィリピンに本社を置くIT系企業グッディグ社は、そんなアントニオの実績を評価して自社の警備部へ課長待遇で迎え入れた。この再就職はアントニオにとっても申し分ない契約内容だと思われたが、現実はそうでもなかったのだ。なぜなら、その業務はあまりにも単調で退屈すぎたからである。社のデータセンターの警備任務はそれほどまでに退屈だった。そこでやる事と言えば、終日の監視業務とたまに訪れる来訪者のセキュリティチェックぐらいしかなかった。それが、日本支社の警備任務となるとなおさらだ。<出島>最下層と言う支社の所在地は、日本の中では最悪の治安だと言われていたが、それでもアントニオの故郷のスラムに比べたらまだ平和だったと言えよう。

 アントニオは思った。もうかなりの蓄財が出来たし、今年度で契約を終了して故郷に帰りなにか別の生活を始めるのはどうだろうかと。例えば、何か商売を始めるのも悪くはない、元手は十分にある。何か日本の製品をフィリピンに輸入して売ったり、その逆でもいい。その前に、男やもめのこんな生活に別れを告げるべく結婚するのも良いかも知れない。故郷に帰って親類縁者に聞いてみたら良縁の一つや二つぐらいは出てくるだろう。まだ漠然としかない将来設計だが、もう少ししたら具体的に考えてみようと。

 そんなある日、勤務時間外の真夜中にアントニオは携帯の着信音に叩き起こされた。発信元は支社の警備室からだ。こんな事は初めてだ、そう思ったアントニオはもちろん折り返しで通話を試みるも繋がらなかった。そこから聞こえるのは日本語での音声メッセージで、これは恐らく通信ネットワーク環境が良くない旨のメッセージだと言う事が何となく理解できた。

 仕方がない、給料分は働かないとな、そんな事を考えながらアントニオは急いで身支度をすると、念のためこの国では非合法な拳銃を持って家を出た。やがてアントニオは絶望的な光景を目の当たりにする。日本支社の入っている四階建てのビルが日本の警察によって完全に包囲されていたのだ。中には重武装の突撃捜査員も現場に居るのが分かった。そしてそれを取り巻くように、<出島>最下層の住人達が野次馬による輪を作っていた。アントニオはこれはマズいと思った。状況を確認しようにも拳銃を持ってきたのが失敗だった。もし、それとなく状況を嗅ぎまわったとしてもそれが警官の目に留まったなら不信に思われそれを理由に拘束される恐れがある。その時に拳銃を持っているという状況が限りなくヤバいのだ。それにしてもなぜ日本の警察が支社を包囲しているのか、アントニオは理解出来なかった。まさか俺があずかり知らない所で、日本支社の社員は何か非合法な事を行っていたのか?だとしたら、とんだとばっちりだ!

 アントニオは、一旦この場を離れよう、そう思った。だがその矢先、アントニオの携帯が着信音を鳴らす。辺りの全員はアントニオを注視する。突然の出来事にまだ状況が整理できていないアントニオは、その見回した視線の遠くに警官がこちらを指さし近づいて来ようとしているのが見えた。もうアントニオにはその場から逃げ出すという選択肢しかなかった。



「警備課長が逃げた? 銃器を所持している可能性が高いから慎重に追え。だが、逃がすなよ」突捜(突撃捜査班)の隊長である梶原誠警部補は通信機越しに警邏の警官に指示を飛ばす。今回のこのグッディグ日本支社の摘発は、本庁の電脳捜査課主導のもとに行われたものだった。海外IT企業のデータセンターと言う、いかにも電脳捜査課が目を付けそうなその建物に、およそらしからぬ武装した警備員――警備員は皆、拳銃を不法所持していた――がいた事を見るに、恐らく電脳捜査課は事件の性質を理解していたのだろう。あるいは、つい先日あったばかりの電脳捜査課員の殉職に今回の摘発は絡んでいるのかもしれない。そうでなければ俺達、突捜に摘発の協力要請が回ってくる筈がなかった。そしてその協力要請は間違っていなかったことになる。現に突捜は武装した警備員四名をすでに拘束したのだから。拘束された警備員は全員がフィリピン国籍を持つ人物だった。彼らは皆、ここ<出島>最下層に住み着いた他の不法滞在者や密入国者の外国人と違い、きちんと正規の手続きを踏んで入国したグッディグ社の社員だ。

 梶原警部補は思った。今後の捜査は電脳捜査課の連中がやる事で、俺の知ったこっちゃない。だが、最終的に事の顛末ぐらいは電脳捜査課の課長に聞くことが出来るかもしれないと。おっと、これ以上考えるのは止めよう。今、我々に与えられた任務は、完璧なマシーンとなりマル被を確保する事だけなのだから。

『隊長、突入準備完了です』突捜の隊員から連絡が入る。まだ厳重なセキュリティの元施錠されているマシン室内に誰かが立て籠もっているらしい。電脳捜査課は多分、この中に立て籠もっているマル被の身柄が欲しいのだろう。マシン室入り口の開錠を警備員に要請しても、彼等は頑なに黙秘するだけだった。ならばもう残された手段は強硬策しかない。

「よし、俺もそっちに行く」そう言うと梶原警部補はグッディグ日本支社のビル内へと入ってく。



 笹野は突捜隊員が全員配置につき笹野からの突入の指示を待っているとの連絡を受けると、引き続き指示あるまで待機願う、と折り返す。突入を指示するタイミングは確実でなければならない。中にいる被疑者が逃げられない状態である事――さらに言うならば証拠の破棄が出来なくなっているタイミングである事――が重要なのだ。そのため笹野は、電脳捜査課がバースのVRスタジアムに仕掛けた盗聴アプリケーション(厳密には音以外に映像を確認することも可能なので盗視聴と言うべきか)越しにその時が来るのを待っていた。まもなくVRスタジアムでは“チームBT 対 War Dogs”最後の対戦がはじまる。それまでにこの突入態勢を整えられたのは幸運だった。佐伯雅臣の捜査報告書が無ければ、VRスタジアムの特定データ――BOGEYDOGが通信していると推測されるもの――をフィルタリングしてトレースする作業がこうも簡単に進む事はなかっただろう。なるほど、BOGEYDOGは電脳世界だけではなく文字通り海外との繋がりが有ったと言う事なのだ。存外、佐伯雅臣と言う男も使えるじゃないか、笹野はそう思っていた。BOGEYDOGがマネーロンダリングに賭けeスポーツを利用していると言う結論に辿り着いた手腕は褒めても良いだろう。もちろん、電脳捜査課員が行っていた正攻法の捜査が間違っていた(いや、手掛かりを取り逃がし殉職者を出すという点は論外だが)という訳ではないが、組織の人間と言うのは思考が硬直してしまう傾向がある。先進的な方針で動いているはずだった電脳捜査課でさえ、組織の中に埋没して課としての存分な能力を発揮出来ないでいたのだから。こう言う手駒はもう少し増やして置きたい所だな、笹野はそう思った。



 両チームがフィールドの両側に姿を表すと、スタジアムのボルテージは最高潮となった。片や完全勝利に王手をかけたチームBTがこのままストレート勝ちを決めるのだろうか。観客達は、全く無名なチームBTがまさかここまでの圧倒的な強さを見せるとは思ってもいなかったのだ。おかげで、今回の対戦における賭けの結果はひょっとしたら大穴になるのかもしれない。対してもう後が無いWar Dogsがどの様な戦いを見せるのか。だがWar Dogsもこのまま負ける事は無いのではないのか、そう予想している観客達もいた。それもその筈で、War Dogsはバースでは無名なチームBTと違いその輝かしい戦歴を知る者が多かったからだ。彼らはこのような大金の動く対戦で負ける事があまりなく、この様なゲームの流れから一気に逆転勝利を収めることもあった。絶望的な状況とは言え、まだ賭けの結果が確定していないこの最悪な状況が観客のボルテージに揮発系燃料を注いだかの様に過激に燃え上がっていた。

 洋子も、そんなスタジアムの空気を十分に理解し感じていた。だが、洋子にとってはそんな事はどうでもいい事だった、どうせ自分が勝つのだから。ファリスのマシンパワーを駆使し、五体のアバターを同時にまるで一体の生き物の様に操作している洋子にとって、五人の人間が組んだチームなど敵ではない。それがどんなに訓練された動きでも、そこには越えられない決定的な差があるのだ。

そう、洋子にとってこの対戦は単にパズルを解く作業を行うだけに過ぎない。だがもしもこの状況が覆さるとしたならばそれは……

 そして、対戦の開始を告げるブザーがフィールド内に鳴り響いた。


『あーっとここでチームBTのMr.DとWarDogsのボルゾイがエンゲージ、お互い隙を見せない牽制射撃だ!』ゲーム開始七分後に発生したフィールドの変化を見て実況アナウンスがスタジアムを煽る。両者のまったくミスのない攻防におのずとスタジアム内の観客がヒートアップしていく。

『お互いが見事なバリケードポジションを駆使して牽制しあう形になって来た! これは手に汗握るが見てる方にとっては退屈な展開になるかぁ?!』

『いえ、そんな事はないですよ。良く御覧なさい』アナウンスに対して実況解説が出番とばかりに解説を始める。『完璧なバリケードポジションです』

『はい、それは分かりますが』

『どこが完璧か分かりますか?』

『お互いが被弾しないと言う事ですか?』

『そうです、そしてその為に恐らくお互いが、いや両チーム全員がアバターにカスタムモーションを実装していると言う事ですよ』解説は、こいつ理解してねぇな、と思いすかさず説明を付け加える。

『カスタムモーション?』

『そうです。通常こう言ったゲームの場合、予めモーションを作っておいてコマンド入力でそれを実行させる方が手順を簡略化出来ますよね? いわゆるデフォルトで実装されているゲームモーションの利用です』

『はい、そうですね』

『これは非常に便利で、恐らくゲームプレイヤーは皆がそう言ったプレイをしていると思います。ですがそれには欠点もあります』

『それはどんな?』

『それは、コマンドが入力されてから実行が完了するまで、あるいはキャンセルされるまではそう言った処理にモーションが追従してしまうと言う事です』

『はい』

『だから一つのモーションが開始されてしまうと、上級者クラスのプレイヤーになれば相手の最終的なモーションの到着点が予測出来てしまうのです』

『ほう!』アナウンスはやっと解説の言いたかった事が理解でき、それに興味津々で食いつく。

『これに対してカスタムモーションは、予めそう言った状況も考慮して、コマンド実行の開始から終了の間に複数の分岐点と追加コマンド入力可能地点を作っておいて、アバターがさらに複雑な行動をする事を可能としたのです』

『対戦相手の予測を困難にさせる?』

『そうです、そしてさらに単純にやれる事が増えます。これは先の説明にも被るのですがカスタムモーションを実装することでデフォルト以外の行動が出来ると言う事です』

『それはそうですが、それはどんな時に役に立つのですか?』

『一番わかりやすい説明をすると、右利き用、もしくは左利き用の武器を何の不利も無く使用することが可能になったりする所です』

『ああ、なるほど。それは分かりやすい』

『もっとも、右利き左利きの操作はプレイヤーの脳信号からの命令に依存する部分もあるので、単にモーションを追加したからと言ってそれを上手く使いこなせるかどうかはまた別の話ですが』

『そうですか、それは残念』

『まぁ、右利き左利きは極端な例ですが、デフォルトモーションだとバリケードポジションを取った時にどうしても一部が敵に対して露出してしまう場合があったりしますよね』

『はい』

『プレイヤー本人が意識していなくてもアバターのつま先や肩が露出する事なんかはよく見られます。カスタムモーションはそのような部分を修正することが可能ですね』

『なるほど、素晴らしいですね』

『あるいは、対戦には全く関係ないように見えてその実、うまく使いこなすと効果を発揮するモーションの実装をすることも出来ます』

『ほう、それはどんな?』

『私が見た事のある対戦の実例ですと、そのチームは対戦開始と同時にフィールドに塹壕を掘り始めましたね』解説のこの言葉にスタジアムに爆笑が沸き起こる。

『それは面白いですね』

『ええ、しかしこれが実に厄介でして、そのゲームはリスポン有のゲームなので、リスポンする味方のアバターは安全にその塹壕の中にリスポン出来るのです』

『なるほど、それは賢い』アナウンスは続けた。『それならば他のプレイヤー達も皆カスタムモーションを自分のアバターに実装したら強くなれると言う事ですか』

『理屈ではそうなのですが、そう単純な話でもないのです』

『えーっと、それは何となく理解できますが、具体的にどういったところが?』

『コマンド処理とその判断です。様々なモーションが追加される訳ですから、瞬時にそれを判断して実行するための訓練が必要になります』

『そうですね』

『それに加えて、様々なモーションが追加されることによりそれを実行するにあたって必要なマシンパワーが必要になると言う点です。恐らく今回の両チームのプレイヤー達は、皆がこれらの処理を実行させることが可能な高性能のカスタムコンピュータを使っていると思われます。これはとてもお高いお値段ですよ』

『ハハハ、それはクレイジーだ』

『そしてカスタムモーションのデザインと作製と実装、これもまたかなり面倒な作業です』

『ああ、何となくわかります。私達の様な一般のプレイヤーにとってそれは面倒な作業ですね』

『もちろん、専門家に依頼してカスタムモーションを作成してもらうことも可能ですが、それも安からぬ金額が必要となるでしょうね』

『当然ですね』

『まぁ、今回の対戦のように多額な電金が賞金としてかかっている場合ならそれだけのものを用意する価値は十分にあると思います』

『なるほど、とても分かりやすい解説、どうも有難うございました。引き続きよろしくお願いします』

『こちらこそよろしくお願いします』


 もちろん、洋子が対戦しているフィールド内にこの実況アナウンスは伝わっていないし、状況の全てを知る由もなかった。だが、洋子はこの遭遇戦が、今までの四戦と全く違った手ごたえになっている事を感じ取っていた。それは洋子が想定していた状況だった。“War Dogs側のプレイヤーは多分変わっている”洋子はそう思った。それはまるで洋子と同じ様な完璧な、無駄のない用兵だったのだ。洋子は確信した。War Dogs側も洋子と同様のマシンパワーを使ってきていると言う事を。War Dogs、いやBOGEYDOGがCyberry社のバックアップを受けているだろうと言う事を。

 洋子は非公開にされてはいるがCyberry社が複数台の量子コンピュータを運用している事を知っていた。それは以前、電脳女王としてバース内のゲームを遊び倒した時にその能力の片鱗を垣間見た事があったからだ。洋子の見立てではCyberry社は量子コンピュータを恐らく最低でも二台所有している。一台はCyberry社の本社機能がある地球上のどこか。そしてもう一台は所在が不明だが、洋子にはおおよその場所の見当がついていた。戦略物資でもある量子コンピュータを独自で所有しているCyberry社の思惑なぞ洋子にとってはどうでもよい事だ。だが、BOGEYDOGがCyberry社の複数台の量子コンピュータを使って挑んできた場合、この勝負は洋子にとって苦戦を強いられることになるだろう。しかしそれを行うと短時間ながらもバースの運営に影響を及ぼすため、Cyberry社がそれを良しとはしないはずだ。量子コンピュータの一部機能だけを使っていると思われる今のうちに勝負をつけるしかない。相手もいよいよ本気になって来たって事ね、頭の中でそう呟くと洋子は全力を集中させて相手が完全に合流しきる前に勝負を決めようと兵を動かした。


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