■□光□■
それは鈴の鳴るように。
余韻が目の前をちらついていた。
目蓋越しのその音色がいつから続いていたものか、わからない。
私の身体は、もたれかかるような姿勢のまま壁面の内に埋もれているようだった。
首を擡げようとすると、鈍い痛みが胸元に奔る。薄目を開き見れば、うっすらと埃を積もらせた鈍色の突起。背後から打ち込まれた楔のようなそれは、癒着してしまったように微動だにしない。
刀身の表を撫でれば――MEM――。残りの文字は欠け、その先を読み取ることは出来なかった。
それもいつから聞こえていたものか、潰れた刀身の先端に、ゆっくりと微かな音色を立てながら蝶が止まった。
穏やかにはばたきを続ける真っ白なその羽から零れた燐粉が淡く虹色に煌くのを見る。時折こちらを見つめるように明滅する信号の意味はわからない。かつてのように饒舌ではなくなっていたが、その眼差しは相変わらず興味深げに瞬いている。
軋む身体を捩ると、蝶は剣先を離れ、通路の奥へと誘うように逃げた。なんとか立ち上がり覚束ない足取りのままその後を追う。
長い間使われることがなかったのだろう、ぎこちなく固まったままの手足を動かすたびに、四肢のあちこちに積もった瓦礫の粉が、半ば同化していた繊維の上から剥がれ零れ落ち、点々と道しるべを残すように、足跡が続いた。
暗がりの隘路を抜けた先、注ぐ光に思わず目を細めた。
やがて、眩しさに慣れはじめた視界は、床を突き破り鬱蒼と茂る巨木の枝がその大部分を覆う、半ば崩れ落ちた天井を認める。
葉の隙間から降りる木漏れ日の、素足の裏から伝う柔らかな暖かさにも覚えがあった。
陽光に満たされたその伽藍の中央には木々の根に半ば侵食された石柱がしかし高々と聳え、もの言わず佇むその傍らに、あるいは玉座に腰掛けるように、少女はいた。
少女の背中からは、幾本もの配線が束を成して生え、広がっていた。
四肢を縫われたその身体を、玉座自身が離すまいとするようでもあった。
形をこそ模してはいるものの、緩やかに撓むそれが空を羽ばたくことなど永遠にありはしない。
飛ぶ夢を見ること。
ただ、それをこそ繋ぎとめておくための模造品の翼だった。
手のひらから滑り出る勢いに任せて振り抜いた刃の切れ味は思いのほか衰えておらず、存外にあっさりとその翼を断ち切る。支えを失ってしなだれる少女の体を抱きとめたその折、刃の黒地に白く刻印された文字を視野が捉えた。
――MORI――
自分に似つかわしい、忌まわしい死を意味するものと思っていた言葉の意味が今は解る。
死を想った人々が願い刻んだのだろう呟きは、長い時間の中で失われ、やがて、螺旋の繰り返しを生きる私たちの目的であった記憶を示す銘となった。
MEMORIES。
そしてそれすらもまた忘却されるほどの時の最中、元はひとつであり、同じものだったはずの私がどこで彼女たちと分かたれてしまったものかもわからない。
それもまた、誰かの願いだったのかもしれない。
深い眠りの中にある少女の瞳の片方は外れ落ちたものか、暗い眼窩を僅かに覗かせ伏せられている。残されたもう片方の瞳は何も映さず、ただ茫洋とした夢の中を、静かになってしまったこの世界を見つめているようにも見える。
彼女には解っていたのかもしれない。
あるいは、ただ最後まで衝動を信じ、それに従っていただけなのかもしれない。
少女が羽を広げることだけを求め続けたのは、果たして誰の、どのような願いに拠るものだったのか。
ひとりの少女の願いは叶ったのだろうか。
ひらひらと儚げに、暗闇の中を燐光を纏いながら羽ばたけるのなら、それでもう満足だったのだろうか。
そっと触れた唇は、とうに熱を失っていた。
知る術はもうない。
なくても、構わなかったのかもしれない。
淡い羽を焦がしながら羽ばたいた少女の欠け折れた遺志が、この胸の奥底にやがて呑まれ、仄かな熱を鳴らし続けていくのであれば、それで良いのかもしれなかった。
また、囁くように視界の片隅で燐と揺れる。
無造作に差し出した指の先に機械仕掛けの目玉の蝶は止まった。
静かに明滅を鳴らす瞳の白濁とした色合いに、あの時見えた少女の相貌を思い出す。
こうして間近に見れば、彼女は私によく似ている。私が、彼女に似ているのかもしれなかった。
その隣で眠る少女もまた、同じ顔をしていた。こちらは彼女よりも幾分と朽ち果て、胸像のように胴体だけが残されている。その周りには、自然に砕け落ちたのだろう陶器のような色合いの手足が所在なげに転がっていた。どこからか運ばれ、その手のひらの中に収まっていた色あせた小さな花びらは、触れたそばから形を失いとけるように消えた。
その隣にも、その隣にも、何人もの彼女たちが身を寄せるように眠っている。どれも穏やかな表情を湛えたまま、覚めることのない眠りの内にその身を委ねている。
再生への願望器。
夢を叶えるためだけに、ただ夢のうちにまどろむ機械仕掛けの神の御座。
この空っぽの霊廟に、そうやってどれだけの願いが葬られてきたのだろうか。
振り仰ぐ石の墓標は、そんな彼女たちのまどろみを無言のまま見守っていた。
光のさざめきの聞こえるような静寂。葉擦れの音が聞こえただけかもしれなかった。
見覚えのある意匠の窓から床の上に差す影が、あの陽だまりと同じ仄かな温もりを湛え、微かに揺れていた。
ふと、狼の彼がいるような気がした。
見回しても気配もない。ただどこからともなく、風の鳴る音が耳朶の奥に渦巻いていた。
遠吠えのようでもあった。
抱えあげた少女の身体は、まるで中身がすべて抜け落ちたかのように軽い。
虚ろな瞳に空の青を映したその表情は、微笑を浮かべているようにも見える。
見上げた眩暈するような青空には、一条、いつか見た糸のような白線が、鳥の飛ぶよりもさらに高みの蒼穹の彼方、星へと至る虚空へと向かって、まっすぐ吸い込まれるように続いている。
一歩踏み出した背中越しに、燐と鈴の音の鳴るのを聞いた。
章の区切りが
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光
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と、原稿ではなっているのですが、仕様に引っかかったためサブタイにて変更。




