第10話:監察官はかつての仇敵(エネミー・フロム・パスト)
第10話:監察官はかつての仇敵
「……先生、本当なんですか? 先生も、昔は誰かを傷つけていたんですか?」
夕闇が迫る準備室。さくらの問いに、麗華は紅茶のカップを置いた。
「否定はいたしませんわ。私は、自分の家柄を神の啓示と勘違いし、逆らう者をゴミのように踏み潰してきました。……沙織さんの言う通り、私は一度、人間として死んだ女ですのよ」
麗華は窓の外、瀬戸内の海を見つめた。
「ですが。……泥に塗れて死んで初めて、私は土の下にある『根』の強さを知りました。……河野さん。私の過去がどれほど不細工でも、今の私があなたたちに教えた『自尊心』だけは、本物ですわ」
視察最終日。全校生徒が集まる講堂で、沙織が冷酷に宣告する。
「九条院麗華。あなたの教員免許を停止し、即刻、この学園から――」
「お黙んなさい、この三流が!!」
講堂の扉を蹴破り、拓哉を先頭にB組の生徒たちが雪崩れ込んだ。
「先生の過去がどうしたってんだ! 先生は、俺が親父に殺されそうになった時、その手で俺を引っ張り上げてくれた! 俺たちの価値を、勝手に見積もるんじゃねえ!」
「そうだ! 私たちが知っているのは、偽物の令嬢じゃない。泥臭くて、最高に格好いい九条院先生だけだ!」
千尋が、沙織の目の前で一枚の書類を叩きつけた。
「監察官さん。これ、あんたの不当な経費請求のリスト。……私、先生に教わったんだ。『金が欲しいなら、美しく奪え』って。あんたのはただの『盗み』だよ。不細工なんだよ!」
壇上の麗華は、扇子で顔を覆った。
(……ああ、不細工ですわ。教え子に守られるなんて、王者のすることではありませんわね)
だが、その扇子の下で、彼女は初めて、心の底から微笑んでいた。
麗華はゆっくりと沙織の前に立ち、その耳元に、死神のような慈悲深い声を落とした。
「……沙織さん。広島の海は深いけぇ、気をつけて帰りんさい。……次にワシの庭に手を出したら、あんたの席、東京のどこにも無うなると思えよ」
沙織が逃げるように去った後、講堂には嵐のような歓声が響いた。
麗華は静かに扇子を閉じ、生徒たちに向かって、今までで最も深く、気高い一礼を捧げた。




