第67話最上田義春、最上田くに、レベル3
沢からの湧き水と生け簀の岩魚が無事であることを確かめ、命の命脈である「水」の安全はひとまず確保できた。
(水が大丈夫なら……次は食料、いや、うちの命綱である畑の確認だな)
俺たちは土間の南側の引き戸を開け、我が家の敷地内に広がる小さな農地へと向かった。
朝日が照らし出す畑に足を踏み入れる。去年から開墾を重ねて広げてきた畑には、ナス、キュウリ、ピーマン、キクイモといった代表的な夏野菜が青々と葉を広げている。だが少し様子がおかしい。
「……ん? 婆ちゃん、あれ何だね?」
畑の端、畝のスキマで何かがウニウニと蠢いているのに気づき、俺は足を止めた。
ビニール袋に泥水と腐葉土を混ぜて放り投げたような、不気味で茶色く濁ったゼリー状の塊。
「あらあら、何だねあのゴミみたいなのは。風で流れてきたんかねぇ」
全く警戒感のない婆ちゃんが、不用意にそのドロッとした塊へ近付こうとする。
だが、オタク知識やライトノベルの嗜みがある俺の脳裏には、雷が落ちたような衝撃が走っていた。
(あの形状……あの不気味な蠢き……まさか、スライム……!? そんなファンタジーの定番みたいな魔物が、本当に……!?)
「ばあちゃん! 少し下がっとって! こいつはゴミじゃない……多分、生き物……いや『魔物』だで! 俺が様子を見るわ」
俺はそう言うと、右手に握りしめた重い金属製の金剛杖(鍛錬棒)を前に構え、慎重に間合いを詰めた。
だが、俺の対応にもどこか甘さがあった。『スライム=最弱のザコ敵』というゲームの固定観念が頭から離れず、どこか高を括っていたのだ。
俺はドンと金剛杖の重量だけでスライムの泥水ボディを潰すように叩いた、……それが間違いだった。
ベチャッと潰れて倒せるかと思いきや、スライムは倒れるどころか、攻撃してきた俺を「明確な敵」と認識したらしい。
泥水状の体がプルプルと激しく震えたかと思うと、ゴムまりのように地面を蹴り、俺の顔面目掛けて一直線に跳びかかってきたのだ!
「うわあっ!?」
思わずのけぞり、後ろへ飛び退く。距離があったおかげで直撃は免れたが、冷や汗が吹き出した。
(最弱どころか、結構なスピードと殺意があるじゃないか……!)
着地して再び跳躍の構えを見せるスライムを冷静に観察する。茶色く濁ったゼリー状の肉体の中央付近に、小指の先ほどの青白く光る物質が浮かんでいるのが見えた。
(あれだ……! 『魔石』……いや『核』か!!)
俺は体幹を固め、野球のバットを振る要領で金剛杖を大きく横一文字に薙ぎ払った。鉄の棒が、青白い光を正確に捉える。
キンッ――!!
甲高い金属音が響き渡り、核を砕かれたスライムは一瞬で弾け飛び、水たまりのように地面へ染み込んで消え去った。
「ふぅ~~っ……危なかった……」
「義春、大丈夫かね!? 今のは一体何なの!?」
急ぎ足で寄ってくる婆ちゃんに、俺は肩で息をしながら説明した。
自分の知識が正しいなら、今のがスライムという魔物だということと、スライムは体内の核(魔石)を破壊しないと倒せないこと――そして、ここはたぶん日本ではなく異世界になってしまったことを。
「そんな、たわけたことがあるんかねぇ……。まあ、この目で見知らぬ山とあのドロドロを見てまったで、信じるしかないがね……」
婆ちゃんは呆然と呟いていたが、ふと足元視線を落とした瞬間、その顔つきがさっと変わった。
スライムがうろついていた場所のキュウリとナスの茎が、酸で溶かされたようにドロドロに溶け落ちていたのだ。
「……すらいむだったかね?うちの可愛い野菜を食い荒らしとるのは!?」
瞬間、婆ちゃんの目から温和な光が消え、般若のような凄みが宿った。
「手塩にかけて育てた作物を荒らす害虫は徹底敵に駆除する」――それが、長年この山で農業を営んできた最上田くにの絶対の掟だった。
「義春。全滅させるで、手伝ってちょう。一匹残らず駆除するでね」
「えっ?!!ばあちゃんが?危険だで俺がやるよ。後ろにおりゃあて」
「何言っとるの。こんなに広い畑、あんた一人でやってたら野菜が全部全滅してまうわ。核とやらを突けば消えるんだろう? ワシだって昔から害虫駆除には自信があるでね!」
聞く耳を持たない婆ちゃんに押し切られ、危険がないよう常に俺が隣でカバーすることを条件に、二人での「スライム全滅作戦」が始まった。
◇◆
婆ちゃんが武器――駆除の道具として物置から引っ張り出してきたのは、農作業で使う『備中鍬』だった。
フォークのように四本に分かれた鉄の爪が九十度に折れ曲がった、土を耕すための頑丈な鍬だ。
ファンが『ブーン』と音を立てて涼しい風を送り込む「空調服(ファン付き作業着)」を着込んだ婆ちゃんが、殺気満々で畑へ足を踏み入れる。
「ばあちゃん、気をつけやぁよ! 中心の青白く光っとる場所を正確に狙うんだでね!」
「分かっとるがね」
畑のあちこちに、野菜の茎にへばりつくスライムどもが見える。
婆ちゃんは一切の迷いなく、警戒心ゼロで茄子の葉を食んでいたスライムへと忍び寄ると――身の丈ほどもある備中鍬を、鋭い踏み込みとともに上段から一気に振り下ろした!
キーンッ――!!
俺が金剛杖で叩いた時よりも、はるかに甲高く澄んだ金属音が畑に響き渡る。
備中鍬の先端が見事に核を貫通し、スライムは土へと還るように一瞬で消滅した。
「よしっ! 一匹駆除!」
(……うそだろ、ばあちゃん……手際が良すぎる……!)
あまりの鮮やかさに俺は絶句した。
婆ちゃんは長年の農作業で鍛え上げられた足腰と、草刈りや鍬打ちで培った正確無比な打撃コントロールを持っていたのだ。
「義春! ボーッとしとらんで、どんどん行くでよ!」
「あ、はいっ!」
俺もあわてて金剛杖から、扱いやすい平鍬へと武器を持ち替え、ばあちゃんと横並びになって畑のスライム駆除に没頭した。
サクッ、キーン! ザクッ、キーン!
初夏の強い日差しの下、ファン付き作業着の風に涼みながら、ひたすらスライムを突き砕いていく。
途中で冷たいお茶を飲み、非常食として買い込んであったパンを頬張り、朝食兼用の激しい労働に汗を流した。
俺は婆ちゃんの体調が心配で
「ばあちゃん、少し休もう」
「無理しちゃかんよ」
と何度も声をかけたが、ばあちゃんは
「畑を守るのが先だわ!」
と大丈夫の一点張りだ。
その猛烈な執念の甲斐があって、昼前に敷地の半分以上にいたスライムを一掃することに成功したのだった。
◇◆
正午過ぎ。ひとまずの駆除を終え、汗を拭いながら二人で縁側に腰掛けた。
冷えたお茶を啜り、静まり返った畑を眺める俺たち。だが、二人ともどこか浮かない顔で、言葉数が少なかった。
俺は意を決し、湯呑みを握りしめる婆ちゃんへ意を決して問いかけた。
「……ばあちゃん。ちょっと聞きたいんだけど……視界の端っこに、何か変な文字が浮かんで目障りだったりせん?」
俺の視界の右隅には、スライムの駆除を始めて間もなく【レベルがアップしました】【ステータスを確認してください】という青白いシステムメッセージが出たのだ。
結局その表示は今の時点で三回分重複して点滅し続けていたのだ。
俺の言葉を聞いた瞬間、湯呑みを固く握りしめていた婆ちゃんが、ガバッとこちらを振り返り、激しく首を縦に振った。
「なにぃ!? 義春もかね!? なんか視界の端っぱにチラチラ文字が見えて、気になってかんわ! あれは何だね、えらい邪魔だで! 義春は意味が分かるんかね!?」
「やっぱり。婆ちゃんにも見えとるのかね……。うん、たぶん分かるよ。まあ見とって……『ステータスオープン』!」
俺は祖母の前で高らかに宣言するのは余りにも厨二が過ぎると、注意書きを読み上げるように淡々と『その言葉』を口にした。
その途端、視界中央に俺の能力値を示す漆黒で有りながら、表示の向こうが透けて見える不思議な距離感ウィンドウが表示された。
その内容に見入っていると、戸惑う祖母の声が耳に届いた。
「捨てた酢と……オーブンかね?」
どうも俺のステータスは、祖母には見えないようだ。よかった 調子に乗って宣言しなくて、三十路近い男が厨二病を発症するのを肉親に見られるのはちょっとキツイな。取り敢えず自分のステータスを消すようにイメージすると、漆黒の表示は音もなく消え去った。問題なさそうだな。早速、婆ちゃんにもステータスの確認をしてもらう。
「オーブンじゃなくて『ステータスオープン』だて、ばあちゃん。声に出して言ってみてちょう」
「すてーたす・おーぷん……かね? ――うわぁっ!? なんか板みたいなのが見えるがね!」
婆ちゃんが驚いて目を丸くする。
互いに画面を覗き込もうとしたが、どうやら自分のステータス画面は本人にしか見えない仕組みになっているようだった。
俺たちは紙とボールペンを持ち出し、互いの画面に表示されている数値を書き写して確認することにした。




