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「イチコの哲学」  作者: 京衛武百十
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「道草おいしいね」

初めてイチコの家に寄らせてもらった日から、あたしとフミはほとんど毎日のようにイチコの家に寄らせてもらってた。フミも自分の家があんまり楽しくないっていうのもあるけど、あたしの場合はもっとガチな理由があった。下の兄貴のことだ。親が帰ってくる前だとあいつと家に二人きりになるからそれが嫌だった。


でも、イチコの家に寄らせてもらうようになって一か月くらい過ぎた頃、あいつに彼女ができたって話題が家の中で持ち上がった。晩御飯の時に親父に話を振られてうっかり口を滑らしたんだよな。


妹の着替えを盗撮しようとかする奴に彼女とかって考えにくいかもしれないけど、あいつ、見た目だけだったら読者モデルでも十分なれそうなんだよ。見た目だけだったらな。中身は人間のクズだけど。しかも親の前じゃけっこう好青年ぶってるからさ。親もそれ信じてるっぽいんだよな。それが余計ムカつく。


あたしが盗撮のこと親に話しても、あいつがすっとぼけたらたぶん親はあいつの方を信じると思うんだよ。そりゃ自分の息子が性犯罪者とか、親にしたら悪夢だと思うよ。信じたくないと思うけど、娘のことは信じないだろうなって娘に思われてる親とかホントどうよって気がする。娘があんな嫌な目に遭っても気付く気配もないんだぜ?。部屋に鍵付けたいって言ったら、「家族を信じられなくなったらお終いだぞ」だってよ。信じるも何も、あんたらの息子は妹の着替えを盗撮しようとする性犯罪者なんですけど、それを見抜くこともできないで信じろとか、頭がお花畑のポンコツさんですねって感じだよ。


グレるわ~。ほんとグレたいわ~。って言うか、イチコがいなかったらたぶんマジでグレてたわ~。イチコと話してたら、何かそういうのがバカバカしく思えてくるんだもん。


彼女ができてからあいつが家に帰ってくるのが遅くなったから早く帰っても大丈夫だと思うけど、そういうの抜きにしても、イチコの家で過ごす時間こそがあたしの癒しだったんだよね。


それにしても不思議だよね。イチコってどうしてこんな感じなんだろ?。いや、ヒロ坊もそうだけどさ。どうしてこんなにほよよ~んとしてられるんだろ?。って言うか、イチコの家そのものからゆる~い雰囲気が漂ってるよね。家の中が散らかってて確かに汚部屋なんだけど、何故かそこから受ける印象はすごくゆるくて、全然荒んでるって感じじゃないんだよ。


そんなこと考えながらいつもの様に動画見たりしてたら、急に隣の部屋で人の気配がした。いつもカーテンが閉められてた部屋だ。そこが家族の寝室で、この時間はいつもイチコのお父さんが寝てるっていうのは聞いてたけど、人がいる気配がしたのは初めての気がする。


フミも気が付いたみたいで、そっちの部屋の方を見てた。


と思ったらカーテンが開いて、中年のおじさんが出てきた。


中年のおじさん。うん、そうだ。そうとしか言いようがない。他に何て言ったらいいのか分かんないくらいに普通のおじさんだった。良く言えば優しそうだけど、悪く言ったらキャラの薄い、頼りなさそうなおじさん。


「ああ、いらっしゃい」


そのおじさんはあたしとフミの姿を見てそう言った。だからあたしたちも頭を下げて、「お邪魔してます」って言ったんだ。


「お父さん、起きるの?」ってイチコが訊いたら、おじさんは「トイレ」とだけ答えて階段を下りていった。でもあたしはその時、ちょっとしたことに気が付いた。あのおじさん、小柄とか痩せてるって言うほどじゃないのに、あんまり足音させてなかった。男の人にありがちな、どたどた足音させて歩く感じじゃなかった。トイレから戻ってきてまた寝室に入っていった時も、気配を消すみたいにしてすっと姿が見えなくなった。何だか知らないけどそれが一番印象的だった気がする。


でも、その後で何度かおじさんに会ったりちょっとだけ話をして気が付いたんだ。あんまりどたどた足音をさせて近所の迷惑になりたくないんだなって。いるもんな~。一軒家なのにすごい足音を響かせて歩いてる人。時々気になるよな。だけどイチコのお父さんは、そうじゃない感じだった。他人に我慢させるくらいなら自分が我慢するタイプの人なんだって思った。


だから、自分が隣の部屋で寝てるのに、あたしたちでこの部屋でおしゃべりしてるのを許してくれてるんだって。だけど、それはあたしたちの為じゃないっていうのも感じた。イチコやヒロ坊の為なんだ。それぞれの個室が用意できないこの小さな家で友達を呼ぶには自分が我慢するのが一番なんだって思ってくれてるんだって感じた。


そう思うと何だか申し訳ない気持ちにもなってきた。それはフミも同じだったみたいで、毎日こうやって集まるのはさすがにどうかなって、後でイチコがいない時にそういう話になった。


けど、不思議なんだよな。あたしって割とガサツでデリカシーなくて女らしくないって言われるくらい遠慮とかあんまりしない方なんだけど、イチコのお父さんに静かにしてほしいとか毎日は来ないでほしいとか言われたわけじゃないのに、何だかそういうこと考えないといけないっていう気にさせられたんだよな。


親にガミガミ言われたって今までならピンと来なかったかもしれないけど、今は自然とそういう風に思うんだよ。ただし、イチコやヒロ坊やおじさんに対してだけだけどね。


「なあ、フミ。これからイチコんところに来る時は、何か差し入れとか持って行った方がいいかな?」


あたしが訊くとフミも、


「それ、私も思ってた。やっぱり手ぶらじゃ失礼かな?」


だって。


何だろう?。今までこんなこと考えたこともなかった。これって、あたしがそれだけ成長したってことなのかな?。まさかイチコのお父さんの姿を見ただけでこんなにいろいろ考えるとか、今までじゃ考えられない。


だけど思ったんだよ。家じゃ親がいちいちあれこれ言ってくるから、言ってくるまでは別にこっちもそんなこと考える必要なかったんだよ。それなのにイチコの家だと、あたしたちの家とは雰囲気から全然違って、何が違うのかっていうのがまず気になって、だけど向こうからは何も言ってくれないから自分で考えないといけないってことかな。よく分かんないけど。


「でもさ、差し入れって何がいいかな?」


「う~ん。イチコのとこは父子家庭だから、ご飯のバランスとかちゃんとできてないかもしれないし、そういうの考えてみたらどうかな?」


「え~、あたしそういうの分かんないや」


「別に難しく考えなくていいんじゃない?。野菜とかでもさ」


「って言うか、あたしたちが出してもらってる水とかの代わりに、自分達で飲みたいもの持って行けばいいんじゃね?」


「あ、きっとそれ正解」


それからあたしとフミは、時々スーパーに買い物に行くようになった。それまで買い物といったらコンビニくらいで、スーパーなんて親におつかいでも頼まれないと行かなかったのに。


あたしはジュースとかおやつばっかりだったけど、フミは時々、トマトとかバナナとか大根とかを、安くなってたら買って差し入れにしてた。しかもそのうち、イチコの弁当のおかずになるものっていうことでプチトマトとかブロッコリーとかも買うようになった。それがなんだかちょっと主婦っぽく見えた。


そうは言っても毎回だとあたしたちも大変だから、日曜とか特に長居することになる日に、金額も一回百円程度でそういうのを持って行くようにしてた。だけどそれが楽しかった。おじさんが起きてる時に「いつもお邪魔させてもらってるから、これ、お礼です」って言ってフミが野菜を差し出すと、おじさんが「ありがとう。気を遣ってくれて」って言ってくれた。何だかそれが嬉しかった。こっちが当たり前だと思ってしたことでも「ありがとう」って言ってもらえるとやっぱり嬉しいんだって思った。


カラオケとかゲーセンに行くのも楽しいけど、こうやってイチコの家に集まるのが一番楽しくなってたんだ。


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