1話 見知らぬちびすけ、拾いました
新作です。よろしくお願いします!
ここは異世界――剣と魔法が息づく世界。
その世界にある、とある王国。その王城の地下深く、人が足を踏み入れることなど滅多にない薄暗い一室で、一人の少年が厳かな声で呪文を唱えていた。
「フリル、イザナール……アポカロドラゴンネス――」
魔法陣を囲むように立つのは、この国の第二十代目王子、ポメッコ・ポン・ポナペティア。そして、その傍らには幼い頃から彼に仕える執事、ハーネス・ジャルダックの姿があった。
長く複雑な詠唱は、およそ二十分にも及ぶ。
静まり返った地下室に、ポメッコの声だけが響き続ける。
やがて――足元に描かれた紋様が淡く輝き始めた。
無数の魔法文字が宙へ浮かび上がり、青白い光を放ちながら巨大な円陣を形作っていく。
「うわぁ! できた、できたよ、ハーネス!」
ポメッコは目を輝かせながら飛び跳ねた。
「やりましたな、王子」
白い口ひげを優雅になでながら、ハーネスも静かに微笑む。
「ハーネスのおかげだよ! 僕一人じゃ、この魔導書の古代文字なんて全然読めなかったもの!」
ポメッコは満面の笑みで言う。
ハーネスは、王子がこの世に生を受けたその日から仕えてきた人物だった。
五十年以上の人生を歩んできた老紳士と、まだ八歳の幼い王子。
年齢だけを見れば祖父と孫ほど離れているが、二人を結ぶ信頼は誰よりも強い。
喜びを抑えきれず、二人はぱん、と軽くハイタッチを交わした。
「これが……異世界へ渡るための魔法陣なんだねぃ」
興味津々といった様子で、ポメッコは光り輝く魔法陣を見つめる。
「魔導書の記述が正しければ、そのはずです。しかし王子……」
ハーネスは表情を少し曇らせた。
「今さらではありますが、本当にお一人で行かれるのですか? 危険も予測できません。やはり、わたくしめもご一緒した方が……」
その言葉を遮るように、ポメッコは首をぶんぶんと横に振った。
「ダメダメ! ハーネスは僕がいない間、この国を守ってもらわなくちゃ」
そう言うと、少し困ったように笑う。
「特に母上なんて、僕がいなくなったら世界中を飛び回って探し始めちゃうからねぃ。だから僕が家出中だってこと、うまく誤魔化しておいて!」
そう言って、王子はいたずらっぽくウインクした。
異世界へ家出する王子など、前代未聞である。
当然、その後始末はすべてハーネスの肩にのしかかる。
だが、代々王家に仕え続けてきたジャルダック家の人間である彼だからこそ、その無茶ぶりを真正面から受け止められるのだった。
何より、ハーネス・ジャルダックという男は、それほどまでに優秀なのである。
「承知いたしました」
老執事は深々と一礼した。
「お父上——国王陛下には、できる限り王子のご不在を悟られぬよう取り計らいます。しかし、それも長くは持たないでしょう。どうか、お早めにお戻りくださいませ」
「うん、わかってるよ!」
ポメッコは元気よく頷き、小さく手を振った。そして、迷いのない足取りで、輝く魔法陣の中心へ飛び込む。
光が一気にあふれ、少年の姿を包み込んだ。
「お気をつけて、王子」
ハーネスの穏やかな声だけが、静かな地下室に残る。
まだ見ぬ世界。どんな人々と出会い、どんな景色が待っているのだろう。
ポメッコの胸の高鳴りは、もう止められない。
こうして、小さな王子の大冒険が、静かに幕を開けた。
*
「——五十七、五十八、五十九……!」
バイト先のパン屋の厨房にて、花守幸果は壁掛け時計の秒針をガン見していた。
黒髪ボブにぱっちりとした目。童顔かつ同世代の子たちと比べても実に平均的な身長をしている。まあ言ってしまえば、良くも悪くも特徴に乏しい少女である。
強いて言うなら、胸が小さいのがコンプレックスなことくらいだろうか。前に測った時は、たしかAサイズだったような……って、やかましいわ!
「よし、四時だ!」
秒針が十二を指した瞬間、幸果の脳内で退勤チャイムが高らかに鳴り響いた。
本来ならこのまま秒速で帰宅したいところだけど、その前に遂行しなくちゃいけない重要任務がある。
本日分の食料確保だ——。
幸果はダンボール箱に入った廃棄予定のパンへ視線を走らせた。店長は端っこの席で作業中。よし、警戒レベル低!
忍者もかくやという動きでパンを回収し、手提げ鞄へ次々と詰め込んでいく。
パン、パン、またパン。もはや密輸業者の手際だ。
おっと、意地汚いなんて言わないでね? これは過剰な食欲故じゃなく、生存戦略なんです。幸果にとって、廃棄のパンはれっきとした命綱なのだ。
「店長、お先に失礼します!」
「おん、お疲れい」
こうして本日も無事ミッション達成。
店長への挨拶を済ませた幸果は、戦利品の詰まった鞄を抱え、職場を後にした。
それからは、歩き慣れた通勤路をてくてくと進んでいく。
「えーっと、今月は一、二、三——二十日入ってるから……十万ちょっとか」
スマホに映した銀行口座の残高と、今月入った勤務日数を計算する幸果。
「そこから光熱費と家賃代、食費と携帯代……あと借金を引いて——」
すべて計算し終えると、残りはたったの数千円ぽっち……。
その切実すぎる数字に、自然と重いため息が漏れた。
「……終わってる」
花の十六歳。
本来なら放課後に友達とカフェへ行ったり、プリクラを撮ったり、恋バナで盛り上がって一喜一憂したりして、キラキラなJKライフを送っているはずの年頃だ。
しかし幸果の場合は、高校を中退してバイトにバイト、バイト三昧な日々である。
その背景には、父が残した多額の借金があった。
「ちょっとぉ、こんなところでやめてよ圭介ー」
「なんだよ、彼女の顔に触るくらいいいじゃんか」
道中、信号待ちをしているカップルを発見。自分と同じくらいの歳の子だ。
たぶん高校生かな。彼氏と思われる男の子が、彼女の頬を指で撫でていた。
「ねぇやめてってばぁ。恥ずかしいよぉ」
「いいじゃんいいじゃん、誰も見てねぇって」
いや、見てますけど? ゴリゴリに視界に映ってますけど?
「……やだなぁ、あんなふうに彼女にしか意識がいってない男子って」
周囲の光景がぼやけて、彼女にしかピントが合わない系男子。少女漫画ならイケメン判定されるやつだけど、現実で見るとちょっと腹が立つ。
彼女も彼女だよ。嫌なら満更でもなさそうな顔をするなって。ここ、一応公共の場だっつーの。
「……気持ち悪」
そう口にする幸果だが、中身は結局十六歳の少女だ。内心はちょっぴり……いや、けっこう羨ましかったりもする。
自分も本当なら、今頃あんな甘酸っぱい青春を謳歌していたのかなぁ。
放課後に一緒に帰ったり、コンビニで肉まんを半分こしたり、映画館でポップコーンを食べながら手が触れて「あっ」「あっ」みたいなイベントが発生していたかも。……なんてね。
なのに現実はさ、「あっ、残高足りねぇ」ですよ。
やれやれ、どうしてこんなことになったかなぁ……。
目の前のカップルを見ながら、そんな虚しさに苛まれていった。
「帰ったら小説でも書こ……」
現実逃避は創作活動に限る。目の前の光景を無視して、幸果は河原沿いの道をずかずかと進んでいく。
と、そんな時だった——。
「……ん?」
河原付近を歩いていると、川から何かが流れてきた。川から、どんぶらこ〜どんぶらこ〜と桃が流れてきて……いや、違います。そんなまさか、お伽話じゃないんだから。
実際は青黒い大きな塊……布? いや、鞄かな。そんな代物が流れてきた。たぶん誰かが、使わなくなった鞄を川に捨てたのかも。
「汚いなぁ。誰だよ、川なんかに捨てたやつ……ん?」
横目で見ながら通り過ぎようとした幸果だが、石化されたようにその足を止めた。川を流れるその鞄が、鞄ではないと気づいたからだ。
「……え、人!? てか、子供!?」
よく目を凝らしてみると、それが鞄ではなく小さな子供であることに気づいた。どうやら気絶しているみたいで、顔を天に向けたまま、緩やかに川を流れていた。
あまりに動かないものだから、まさか人だとは思わなんだ。
「ちょいちょいちょいちょい、ちょっと待ってよ!」
即座に川まで駆け下りて、子供を陸地まで引き上げる。
「ちょっとキミ! 大丈夫!?」
子供を横に寝かせ、とにかく呼びかけてみた。
その子供は、銀色の短髪をした小学生くらいの少年だった。透き通るような白い肌に、顔つきの整った西洋チックな美少年。たぶん、外国の子だと見受けられる。
白のマントを肩につけ、青を基調としたスーツを着用。いわゆる中世ヨーロッパの王子や騎士を彷彿とさせるような装いをしていた。何かのアニメのコスプレかな?
「…………」
幸果は少年の胸に耳を当て、安否を確認。心臓はバクバクとなっていた。幸い、死んではいないみたいだ。よかったよかった。人間の死体なんて見たくないもんね。
と安心していたら、少年に動きが見られた——。
「た、食べ……なにか、食べるものをぉ……」
「うわっ、しゃべった!」
少年が目を覚まし、力無く手を上げながら食べ物を求めてきたのだ。
ので、ひとまずはさっきバイトで盗ん……いや、手に入れた廃棄予定のパンを一つ、少年に分け与えることにした。
本当は、少し惜しかった。自分の貴重な食料だから。
そんなことを考えてしまう自分が、少しだけ嫌になる……。
*
「うんっまー! このパンめっちゃおいしい! うんっま、うんっま!」
「ちょ、食べ過ぎ食べ過ぎ! 私の分無くなっちゃうから!」
ガツガツとクロワッサンを頬張りながら、少年は幸せいっぱいな笑顔で「うまい! うまい!」と連呼した。
「いやー、ありがとう。お姉ちゃんは命の恩人だよ!」
河原の草原に腰を下ろす幸果と少年。食べ終えるや否や、少年は幸果の背中をばしばしと叩きながらお礼を言う。年相応の溌剌としたような物言いだ。
「あっ、まずは自己紹介をしないとねぃ!」
なんか急に立ち上がり始めたぞ。少年は前に出て、勝手に名乗りを上げた。
「僕の名前はポメッコ・ポン・ポナペティア! 偉大なるポナペティア王国からやってきた、誇り高き第二十代目の王子さ!」
胸を張って、びしばしと決めポーズをとりながらそう語る。
正直、何を言ってんのかよくわからん。どうせ子供の作り話でしょ。真面目にかまうだけ無駄だよね。適当に流そ。
「はいはい。……で、なんで川で溺れかけてたの? お母さんとお父さん、お家はどこらへん?」
幸果は面倒くさそうな言い方で少年に尋ねた。子供相手でも笑顔を取り繕わずに接するそのスタンスは、他人にあまり興味を抱かない性格が故だ。
「だから言ったじゃん。僕はポナペティア王国の王子で——」
「あーもう、はいはい。それならとりあえず警察行くよ」
話の通じない子供の相手をしても無駄か。幸果は頭をかきながら気怠げに立ち上がって、少年の手を引いた。
向かう先は近所の交番。ただでさえ生活が厳しいんだから、とっとと警察に突き出してしまおう。そして自分は、早くこの件から引かせてもらいます。
「警察……? それってなんなの?」
「だから、あとはお巡りさんに頼りなさいってこと。私も暇じゃないんだからね?」
小さな手を引っ張りながら、交番までの道のりを歩く幸果。しかし何か嫌な予感がしたのか、少年はすぐさま足を止めて抵抗しだした。
「なんかよくわかんないけど、嫌だ! 行きたくない! 僕、お姉ちゃんのとこで暮らしたい!」
「はぁ!? 何わけわかんないこと言ってんの!」
あぁ、なんか面倒なことを言い出したぞ。顔を歪めながら、少年の手を強く引っ張った。まったく、マジでなんなのこの子。親の顔が見てみたいわ。
「ほら、いいから行くよ!」
「やーだー! いーかーなーいー!」
あぁもう、ちょっとめんどくさい。こんなことやっている暇なんてないのに。
拒み続ける少年に辟易しながら、あーだこーだと言い合って横断歩道を渡ろうとした。
すると突如、横から赤信号を無視したトラックがこちらに向かってきて——
「え…………」
一瞬だけど、トラックの運転手と目が合った。その、ヤバい! と言わんばかりの先方の表情から、幸果は自身の死を自覚した。
あぁ、こんな終わり方か……。
と、全てを諦めたその時だった——。
「お姉ちゃん危ない!」
握りしめた手を振り払われ、目の前に小さな影が割り込んだ。
少年だ。幸果とトラックの間に入り、両手をトラックに向けた。
『リフレクト!』
即座にそう叫び、目の前にバリアのような光の円を浮かび上がらせる。
それと同時にトラックはバリアに衝突し、暴走が止まった。おかげでトラックのお顔はぺしゃんくしゃん。
「ええぇぇぇぇー!?」
あまりに現実離れした光景に、思わず声を上げてしまった。
「お姉ちゃん大丈夫!? 怪我とかない?」
トラックを止めるや否や、少年は弾かれるようにこちらへ駆け寄ってきた。そして、慌てたように心配の声をかけた。
……いやこれは、さすがにただ事じゃないよ。
「……お姉ちゃん?」
頭の整理が全然追いつかないんですけど。夢を見てるわけじゃないよね? よし、一旦頰をつねってみよう。
「……うん、すごい痛い」
夢じゃ、なかった。もうお姉ちゃんはわけがわかりません。
……とりあえず、警察へ行くのは一旦考え直した方が良いかもしれない。
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