第2話 26
「――おもしろいもの?」
僕とアンネの疑問符が重なる。
だが、アンネはすぐに息を抜くような笑いを漏らす。
「考えるだけムダね。あの子は予想外の事ばかりするから……」
苦笑交じりにそう言いながら、彼女は床に転がっていた鞘を拾い上げて長剣を納める。
澄んだ金属音が通路に響いて、長剣がアンネの手の中で燐光にほどけて消えた。
「――それより……」
カツカツと靴音高く、彼女は僕のそばまでやってきて、胸に人差し指を突きつけた。
「わたくしは隠れててと示したわよね? もしかして伝わらなかったのかしら?
でも、あなた言ったわよね? 作戦変更って。じゃあ、わたくしの意図は伝わっていたのよね?」
形の良い眉を逆立てて、早口でまくし立てるアンネ。
僕は顔を引きつらせながら、両手を立てて一歩下がる。
明らかに怒っていた。
……まあ、そりゃそうだろう。
彼女は襲撃者から僕を守るつもりだったんだ。
そしてその為の策もしっかり用意していた。
それにも関わらず、守るべき僕自身が飛び出したんだから、怒りたくもなるだろう。
「い、いや……聞いてくれ。アレは必要な事だったんだ」
「なに? 襲撃者を自分の手で迎え討ちたかったから――なんて理由なら、本気で怒るわよ?」
と、アンネは人差し指を突きつけていた手を拳に握り込んで告げた。
昨日はあれだけ不敬を気にしていたというのに、ずいぶんと距離が縮まったものだと――心の中で苦笑。
それから僕は、先程の思いつきをアンネに説明する。
「――アンネ、君はゲーム通りになるのを避けたいんだろう?」
どういう魔法によるものか、あの時、彼女の姿は見えなかったが、だからこそその声色は、たしかに恐怖と苦悩を孕んでいたのが伝わってきた。
中でも彼女が恐れているのは――
「僕が考えるに、ゲームの中で君が悪役とされるのは、兄上の婚約者であることが多分に起因していると思う……」
賢い彼女がそれに気づいていないはずがない。
だからこそ、兄上の説明をする時は呼吸が乱れるほどに恐怖していたんだろう。
「……そう、ね……」
アンネは僕の推測を力なく肯定して、ぶらりと拳を下ろす。
「だからわたくしは、なるべく王宮に関わらないようにして……最悪の場合、学園に通う歳になったら、冒険者にでもなって出奔するつもりでいたわ」
「――そ、そこまで思いつめていたか……
だが君ほどの武を持つ者ならば、冒険者になったとしてもいずれ国の目に留まるだろう」
有能な者を登用したいのは何処の国も同じだ。
少なくとも統一帝国から派生した各国は、今も上級冒険者の軍や騎士団へのスカウトに余念がない。
「……家の名誉を守るために他国へ渡り、けれどその為に家族に会えなくなる……君はそれで良いのか?」
「――それが一番、誰にも迷惑をかけない方法でしょう?」
僕の問いに応える彼女の表情は、悟り切った――いいや、いまあるすべてを手放すことを承知した、諦め切ったもので……その寂しげな微笑に、僕は胸の奥が締め付けられるような、なんとも堪らない気持ちにさせられた。
……これは、母上と一緒に離宮に移された時の気持ちと一緒だ。
不条理に憤りを覚えるのに、なにもできないと己の無力を嘆く、あの気持ち……
――だが、あの時とは違う!
多少なりとも父上や王后陛下の思惑を知らされ、襲撃者からの攻撃にも生き延びて見せた僕は、もうただ無力を嘆くだけの子供ではない。
「僕は――いいや、オレは、さ……」
と、慣れない自称に口ごもりながら、僕――オレはアンネの綺麗な赤毛に右手を乗せる。
「フェルノード家に来て、家族というものを教えてもらったんだ」
「――え?」
顔をあげてオレを見るアンネに、苦笑を返しながら続ける。
「オレはここに来るまで、王侯貴族の家族なんて他人の集まりだと思っていたんだ」
父上に会うには使用人を挟むか、手紙を送るかしなければいけなくて。
兄上とは、たびたび王宮で顔を合わせたが、そのたびに嫌がらせをされた。
周囲の者は兄上に負けないようにと日々囁き、それが当然だと思っていたんだ。
いつしか母上と過ごす時間だけが、安らげる唯一の時間で……成人して王宮を出ていく事だけが、オレの希望となっていた。
そんな中で送られたフェルノード家は、本当に衝撃的だった。
家人が当主家を心から敬い慕い、当主家も彼らを身内として大切に扱っているのがよくわかった。
そしてなによりも衝撃的だったのは、アンネとリリィの義姉妹だ。
義理の――書類の上の姉妹にも関わらず、ふたりは本当の姉妹のように互いを慕い、大切に思っている。
アンネなど、義妹のために自らの命を差し出せるほどだ。
そこにオレは――あり得たかもしれない、僕と兄上の姿を見て、ひどく眩しく思えたんだ。
そして、そんなふたりを優しく見守るフェルノード公。
ああ、良いな……と、そう思った。
……思えたんだ。
「正直なところ、いろいろと常識からかけ離れすぎていて、思うところがないでもないが……それでも王宮で孤立しているオレにとって、フェルノード家は素晴らしい家族だと思う。
だが、そんな温かいものを守る為に、君は自分を切り捨てようとしている……そんなこと許せるものか!」
「――リ、リオール?」
きっぱりと言い放ったオレに、今度はアンネが一歩を退く。
そんな彼女にオレは笑い――
「オレは言ったろう? なんならもう一度言ってやろうか?
――君がオレを守るなら、オレは君の心を守ろう!」
「そ、それと自分を危険に晒す事のなんの関係が!?」
アンネの若干戸惑いを含んだ反論。
「多いに関係があるぞ。布石だと言っただろう?
襲撃があり、バカなオレは迎え討とうと前に出て――そしてその状況にも関わらず、君は――アンネローゼ・フェルノードはオレを守り切った」
「ええ、そうね。バカな事をした自覚があるようで、少しだけ安心したわ」
皮肉交じりにそう告げるアンネに、オレは苦笑。
――そう、オレはバカなのだ。
幸い事に、ここに来るまでにハンス達王宮騎士は、その様をよく見ている。
だから、よりバカな事を言い出しても、連中は疑問に思うこと無く、そのままを彼らを使っている上位の者に報告するだろう。
「――そんなバカなオレは、君の献身に感動し、側に置きたいと言い出すんだ」
「……は?」
「つまり婚約だ!
オレと先に婚約してしまえば、ゲーム通りに兄上との婚約は起こらない。
――君は家族と離れずに済む」
なんの力もないオレでも、それくらいは彼女達にしてやれるはずなんだ。
「で、でもそれだとわたくしばかり利があって、リオールにはなんの益もないじゃない!
それどころか周囲にバカ殿みたいに思われるわ!」
「……バカ殿というのはよくわからんが……」
なんにせよ、賢い彼女は僕の思惑を即座に理解したようだ。
「――益ならあるぞ。
オレは見ての通り敵が多いからな。
バカと侮られれば敵は油断するだろうし、フェルノード公爵家が後ろ盾についたと思われれば、二の足を踏む家もあるだろう」
「で、でも……こういうのはお父様や陛下も交えて……
それにあたしには大切な……ごにょごにょ……」
なおも躊躇するアンネに、オレは再び苦笑する。
離宮のお茶会に来ている令嬢達なら、二つ返事で了承するだろうに。
彼女のそういうところも――彼女となら、婚約を結んでも良いと思えたところだ。
「――仮の……形だけの婚約で良い。文字通りの政略結婚だな。
オレ達はまだ幼い。
いずれ想い人ができたなら、うまく解消できるように取り決めておけば良いんだ」
この策略で彼女を縛る気は毛頭ない。
オレが気に入ったのは、家族を想い、家族のために行動するアンネローゼなのだから。
「それに、君が語るゲームのままに進んだなら――聖女と兄上やその側近が結ばれたなら、侵災が発生するのだろう?
――それはオレも望むところではない」
責任感の強い君ならば、こういう言い方をしたなら逃げられないだろう?
少しズルい気もするが……王子という立場以外はなにも持たないオレは、今はこういうやり方しかできないんだ。
――強くなりたい……
……心からそう思う。
「――え、えとえと……とりあえず、お返事はお父様を交えて、でも良いですか?」
アンネは顔を真っ赤にしてそう応えた。
「ああ。そうだな。こういうのは大人――それも知恵者の意見も交えた方が良いな」
イヤな事は即座に否定する彼女に、きっぱりと断られないだけマシと思おう。
そういう選択肢もあると、彼女に示せただけでも良かったはずだ……今は。
「ホ、ホラ! そろそろ行きましょ! クリスの報告も聞かなきゃだし、リリィもなにかやってるみたいだし!」
と、アンネは早口にそう言って、オレの手を取って見晴らし台へと向かう。




