第1話 13
――おかしい。
敵の触手による攻撃をかわし、あるいは<舞台>で無効化しながら、あたしは違和感に首をひねる。
一歩を踏み込むほどに敵が放つ触手の数は増すばかりだが、その攻撃がすべて見えている。
加えて以前のあたしなら、小型怪異の攻撃でさえ三発も喰らえば霧散していた<舞台>も、すでに十発以上受けてもビクともせず、むしろその虹色の輝きは範囲を増して押し寄せる触手の波を圧倒するほどだ。
……手加減している? 罠か?
人を元にした大怪異がそういう悪知恵を働かせる事があるのだと、青函大橋大侵災から生還した上官が言っていたのを覚えている。
だが、目の前の敵は人型からはほど遠いタコで、この形状になる前はカニだった。
そもそも罠だとして、なにを狙っているのか。
甲冑と合一している時特有の広い視界で、あたしは大怪異の挙動を用心深く見据えたのだが、ヤツはひたすらに触手を振るってこちらを狙うばかりで、裏があるようには思えない。
だからこそ、違和感が強いのだ。
思えば<青薔薇>と合一する直前――リリィを捕らえようとしていた大怪異の触手を斬り裂いた時もそうだった。
あの時、あたしは触手を弾いて軌道を逸し、なんとかリリィ達が脱出する隙を作るつもりで鳴刀を振るった。
だというのに、鳴刀に通した魔道は魔力の刃を形成し、あたし自身が驚くほどあっさりと触手を斬り捨てた。
――だからこそ、この大怪異にもあたしの武は通じると判断したのだが……
以前の――アンネローゼに生まれ変わる前のあたしだったならば、あんな風に怪異の肉を断ち斬るようなマネはできなかったはずだ。
没落武家の娘らしく貧弱な魔道器官しか持たず、だからこそ魔道ではなく武道にのめり込んで、必死に鍛錬を積み重ねたあたしだ。
その甲斐あって帝都近衛に抜擢されたものの……やはり魔道に明るい華族出身者達には叶わず、帝都の裏鬼門を守る丙隊の末席――要するに一番危険な部隊に配属されて、変えの効く捨て駒のような扱いをされていたのだ。
……そんなあたしの剣が――通用している?
ほら、いつの間にか大怪異はあたしの間合いだ。
あと一歩――五メートルを踏み込んで、両手で構えた太刀を振り上げれば、ヤツに傷を負わせられるだろう。
――隊ではいつも囮役だった、このあたしが?
と、不意に脳裏を過る、ある非番の昼下がりの記憶。
「先輩、『ほしみこ』はドコまで進みました?」
食堂で食後のお茶を啜っていたあたしに、『ほしみこ』を勧めてくれた後輩が声をかけてきて。
アンネローゼとの模擬戦に勝てないと正直に告げると、後輩は困ったような笑みをうかべたんだっけ。
「先輩、そこ、負け確イベントなんですよ。
SNSでは勝てるという噂も見かけますけど、他のイベントぶっち切って、ひたすらステータスあげなきゃダメみたいなんです」
どうやら負けて話を進めるのが、本来のルートなのだと後輩は言う。
その時まであたしは、アンネローゼというキャラを主人公と切磋琢磨するライバルだと思っていたのだが、後輩が言うにはルートによってはラスボスにもなり得る敵役――悪役令嬢なのだと教えられた。
公爵令嬢という社会的な立場だけではなく、幼い頃から純血魔属の英才教育を受けて、騎士としても魔道士としても完璧に近い、国内有数の能力を持った存在――それがアンネローゼ・フェルノードなのだと……
「……ああ、そうか……」
あたしの中で理解が広がっていく。
魔力の大きさや魔道の太さは鍛錬によって、ある程度は成長させられる。
だが、その元となる魔動と、それを発する魔道器官は生まれつきの才によるものが大きく――だからこそ、前世でのあたしは魔道の才に満ち溢れた同僚達に遅れを取っていたのだ。
「――だが、いまならばっ!」
幼いながらも才能に満ち溢れたこの身体に、武を積み重ねたあたしの記憶が重なって――
『ほしみこ』を勧めてくれた後輩が、愛読していた小説を読みながらよく用いていた言葉を思い出す。
つまるところ、今のあたしは――
「――チートとかいう存在なんだろう!?」
広い視界の中――後方上空で逃げずにこちらを見下ろし、小さな拳を振り上げて応援してくれているリリィを強く意識する。
先輩達のように――英雄と呼ばれたあの人達みたいになりたいと、ずっとずっと思っていた。
そんなあたしの想いを知って、<青薔薇>を贈ってくれた先輩達に報いたいと、弱くちっぽけな自分を叱咤し続けて――
けれど、力及ばずに最後を迎えたあの瞬間を思い出すと、今でも情けなさに絶望したくなるくらいだ。
――でも、だけど!
「――おねえちゃあああぁぁぁんっ!!」
リリィの声がはっきりと聞こえた。
「やっちゃえ――――っ!!」
拳を突き出して叫びながら、金色のきらきらした瞳はあたしの勝利を確信しているようで。
――できる気がした。
……ううん、やってみせるわ!
カチリと胸の奥の魔道器官が、なにかと繋がる感覚がした。
……ああ、これが――
「――それは助けを求められる誰か……」
とある喚起詞の基点となる祝詞が、胸の奥からするりと湧き上がる。
<青薔薇>の首に埋め込まれた無色に透き通った宝珠が、あたしの唄に応えて鮮烈な蒼の輝きを放った。
『――ギ、ギイイイイィィィッ!!』
その輝きを恐れた大怪異が、金属がこすれるような奇声を発して猛攻を加えてくる。
大小無数の触手が雨のように降り注いだ。
けれど、蒼の輝きを受けた<舞台>は、より強固になってすべての触手を受け切り、当たる先から黒い粘液へと変えていく。
太刀を両手で下段に構え、両足を揃えてわずかに前後に開く。
「――それは報われる事のない願い……」
ずっとずっと欲しかった力が、いまこの胸にあって――
「それはあらゆる嘆きを越えて差し伸べられる、ただひとつの想い――」
それを大好きな義妹を守る為に振るえる事を……今、あたしは心の底から誇らしく思う。
<舞台>を首元の蒼が染め上げた。
<青薔薇>の元になった帝都近衛制式甲冑<舞姫参式>には、対怪異調伏用の祭器が搭載されている。
それは先輩が駆った御家伝来甲冑に搭載されていた神器を、陰陽寮が解析して生み出した模造品で、<青薔薇>にも同じものが搭載されていたのだけれど、あたしは一度として喚起できた試しがなかった。
――でも、それが今……応えてくれたっ!
「――行くわよ、大怪異。
アンタは出てくる世界を間違えた!」
この世界は女の子が恋愛を謳歌する物語が紡がれる、そんな優しい世界のはずなんだもの!
あたしやアンタは、異物でしかないのよ!
――だからこそ、同じ異物のあたしが引導を渡してあげる!
構えた太刀に魔道を通せば、蒼に染まった<舞台>が収束して、刀身を蒼い燐光を振りまく水晶質のそれへと換えていく。
大怪異が残った触手数十本を、一斉に降り注がせたのをあたしの目ははっきりと捉えた。
――でも、あたしはもう退かない!
「――輝け! <疑似宝珠>!!」
いつか唄える日をと願い続けたその喚起詞と共に、あたしは晶刀を逆袈裟に斬り上げた。
蒼の輝きは長大な刃となって降り注ぐ触手すべてを呑み込み――大怪異のタコのような巨体を縦に斬り裂く。
ドス黒い粘液噴き出す斬撃痕の奥に、わずかに覗く、いびつな形状をした鉛色の物質。
――見えた!
異界の生き物である怪異を、この世に固着させている特有の臓器――<騒臓>だ。
あたしは斬り上げの勢いそのままに騎体を捻る。
右足を軸に身を回し、左足を滑らせる事で伸び上がった騎体を強引に押し下げる。
「――穂月流舞刀術! 双弧月ッ!!」
そのまま横一文字に刃を振るって、その粘液まみれの肉ごと<騒臓>を斬り裂いた。
「ギ――――ッ!?」
金属をこすり合わせたような大怪異の悲鳴が周囲にこだまする。
――残心。
晶刀を正眼に構えて、あたしは油断なく大怪異を見据えた。
瞬間、十字に斬り裂かれた大怪異が不意に震え出し、まるで砕けた<騒臓>に収斂するかのように、渦巻きながらその巨体を縮めて行く。
それは前世の隊で同僚達が何度も見せてくれた光景。
……ああ、あたしにも……できたんだ。
――怪異の死だ。
「――調伏、完了!」
そう言い放って残心を解けば――
「……あ、あれ?」
あれほど全身にみなぎっていた魔力が霧散して、あたしの視界は<鞍房>の中へと戻っていた。
<青薔薇>の合一が解除されたのだと気づくと同時に、抗いがたい倦怠感が全身を襲う。
耳に着けていた<遠話器>が接続音を奏でた。
『――お嬢ッ!? その騎体、アンネお嬢なんですよねっ!?』
「……ああ、アールバ団長……来てくれたのね……」
自分の声のはずなのに、すごく遠くから聞こえる気がするわ。
固定具で四肢を固定してなかったなら、鞍から落ちてたもしれない。
顔を覆っていた仮面が霧散して、<鞍房>内壁に外の景色が映し出される。
向こうの空から徐々に大きくなって見えるのは、我が家の騎士団に配備された気圏輸送機ね。
「……団長、まずはリリィをお願い。一緒にいる魔獣は敵じゃないみたいだから、手荒な事はしないであげて……」
ああ、なんかすごく眠い。
そういえば、前世でも無理に魔法を連発した時には、こんな風に意識を飛ばしてたっけ。
「……ふふ。こんなトコは成長しないわね。あたし……」
『――お嬢!? おい、お嬢!?』
アールバ団長の焦ったような声を聞きながら――
「後始末を頼んだわ、ね……」
そうして、たっぷりの安堵と充足感に包まれて、わたくしの意識は遠のいて行く……




