2.噂
【作品をお読みいただくにあたって】
本作は、昭和初期を舞台としたフィクションです。
時代背景や当時の社会通念、登場人物の思想・価値観を描くにあたり、現代では差別的と受け取られる言葉や表現が登場する場合があります。
作中の表現は、当時の社会や登場人物の考え方を描くためのものであり、特定の個人・集団への差別や偏見を助長する意図はありません。
ご理解のうえ、お読みいただけますと幸いです。
――それは満月の夜にだけ現れる。
鈴の音を響かせ優雅に東京の街並みを横断する。いつどこに現れるかも不明。特徴は長髪の黒髪と漆黒のドレス。月の光に照らされた髪と服を靡かせ歩く姿はまるで少女のよう……しかし纏う空気と人々を惑わすその声は月日を重ねた女性…もしくは老婆のように、艶を含んだ怪しげな響きと熱を含む。遭遇した者は誰であろうと運の査定にかけられる。気に入られた者には「幸運」を、気に食わない者には「不運」を与える。情に訴える者、対価を差し出して温情を確約する者、どんな者にでも等しく運を与える幻影――
「――全身が黒で覆われていることから、西洋にいるとされる「魔女」という人もいますが、その魔女が飼う動物と「不幸を運ぶ」という言い伝えと、ある本の題名から取り、『黒猫』と名付けられた幻影……。あぁ、そんな風に言われるくらいだから、きっと日本一美人で、可愛くて、賢いんだろうなぁ〜」
「…………葉月」
先程から目を輝かせながら機会を伺っていた同居人を静かに制する望月。噂好きな彼女はこの手の話が大好きだ。黙ってはいないと予想はしていたが、まさか自分たちの会話に割ってまで乱入するとは。成人した女性の在り方としてどうなのか。
というか、話を盛るな。噂なのだから当然あやふやな部分はある。しかし彼女の場合、勝手に盛ってる気がするのは気のせいか?などと色々考えるが、とりあえず今は先程から一言も喋らない依頼人をどうするかが最優先事項。
「失礼しました。伊藤さん、こちらは葉月。彼女は自分の手伝いをしてもらってます。そして……この手の噂話や情報にはかなり詳しいんです。自分もよく助言をもらってます」
望月が葉月に対するお世辞なしの評価だ。実際この手の話題で葉月を負かせる人間を望月は知らない。望月に紹介された葉月は先程と打って代わり、礼儀正しく静かに頭を下げる。
望月が言うのもなんだが、葉月は幼さは残るが整った容姿、そして礼儀作法もしっかりしている。黙っていれば、正しく「大和撫子」と言われてもおかしくない。問題は性格だ。まぁ、変な男が寄ってきても大変迷惑なため、望月としてはこのままでも全く問題はないが。
「はぁ……そうなんですね。先程も思いましたが、可愛らしい学生さんですね」
「……ありがとうございます。でも私、成人は済ませてるんです」
「えっ!いや、これは……大変失礼しました」
「いえいえ。よく間違えられるんで、お気になさらず」
伊藤の失言に葉月が愛想良く答える中、望月は静かに目を細める。が、自分が口を出して葉月が取り持った空気を悪くするわけにはいかない。なにせ彼女が全く気にしていないのだから。
望月は自身の気持ちの切り替えも込め咳払いをする。2人の意識がこちらに向く。
「で、葉月。その噂について、どこまで知ってる?」
「はい。いつ現れた噂かと聞かれたら分かりませんが、東京中に広まったのは理由は、ある作家の書いた『物語』なんです。無名の作家さんなんですけど、その人が書いた『黒猫』というお話が、噂と似ていると話題になって……そこから「満月の幻影」=「黒猫」という感じで噂が広がったんです!」
私も「黒猫」は読みましたよ、と笑顔で話す葉月。そういえば楽しそうに読書に邁進していたな。
「その本が発売されたのは今月。まだ1ヶ月くらいしか経っていませんが、東京に住んでいて知らない人はいないくらいの人気作です。でも商人さんたちの間では、前からそういう噂はあったそうです。ただ半数くらいが気にしていなかったみたいですけど。今じゃその噂を聞かない日はないくらい話題にあがるそうです!」
「その噂を見たっていう話は?」
「う〜ん、聞いた事ないですね。商店街でもよく話題に上がるんですが、みなさん半信半疑って感じですね?『満月の夜』になれば絶対会える……けど、どこに出るのかわからない。それにもし実在するとして、そこまでして叶えたい願いっていうのがあるのかって言う話になっちゃうんですよね〜。だけど不思議なことにその「黒猫」が関わった話しはかなり上がるんです」
例えば――ある外国人がスパイだったとか。
例えば――神出鬼没の窃盗犯が捕まったとか。
例えば――ある財閥の闇が暴かれたとか。
「全部関係ないようですけど、何らかの形で全ての事件に『黒猫』が関与していたから発覚、逮捕できたんじゃないかって」
なるほど。リスクを冒してまで探すに値するかどうか……。規制や巡視が厳しくなってきているこの時世に好奇心で探究するにはいささか危険である一方、今まで解決、明るみにされなかった事件の背後にいるのではないかという不明確な話し。まさに噂だな。だか、これといったものはない。葉月もわかっているようだ。
「私が知ってる話しはどれもありきたりですね。――と言うことで!先生、提案があります!」
「なんだ?」
「噂を調べたいのであれば、この噂とよく似ていると言われる『黒猫』の作者さんを尋ねられるのはいかがですか?」
はい!と挙手する勢いで提案した葉月。確かに噂を見た人物がいない以上、今のところ取れる手段はないが。
「でも、流石に安易な考えではありませんか?似ているとは言え、その作家が本当に噂を元にしたのかも分かりませんし」
「ですが、今手元にある情報では限りなく『噂』に近いのは、この本を書いた作者でしょう。手がかりがない以上は、ダメ元で訪ねてみる価値はあるかと」
「……さすが、探偵さんだ!なるほど、確かにそうですね。やはり着目点が違いますね!」
話を否定したかと思えばこれか。望月は心底嫌になる。こういうタイプは嫌というほど見てきているし流し方も知っているが、だからと言って積極的に関わりたい人間とは思えない。これが依頼人でなければ早々距離を置くというのに。
舌打ちをグッと堪え望月は伊藤を見る。その伊藤は期待を汲んだ眼差しを望月にだけ向けている。
「……葉月。その作者の名前は?」
「はい。こちらです」
手渡された1冊の本。準備が早いことだ。望月は本に目を落とす。
――白鷺治
作者の筆名と出版社名がある。そして葉月が新聞を一部持ってくる。新聞に掲載された広告欄にお目当ての出版社の住所と電話番号が書いてあった。
望月は紙に必要事項のみ書き出す。電話でもいいが直接出版社に出向き話を聴いた方がいいだろう。何か他の手がかりが見つかるかも知れない。
「わかりました。とりあえずこの出版社を訪ねてみましょう。何かわかるかもしれません」
「では……!」
「その依頼、お引き受け致しましょう」
望月が頷くと同時に伊藤は喜びと期待が入り混じった笑みを見せる。そんな伊藤を見ながら望月は思う。
本来ならあまり受けたくない依頼だ。だが第三者に首を突っ込まれるのはもっと嫌だ。それになりより、依頼してきた伊藤が気になった。何故かは不明だが。
とりあえず今考えても仕方ない。望月は伊藤に声をかけ出かける支度するため席を立つ。
伊藤に先に玄関の外で待ってるよう声をかけ、背広を帽子を手に取る。玄関に向かうと葉月が女中のように待っていた。
「……少し遅くなるかも知れん。お前は先に休んでていいからな」
「はい、わかりました」
「それから戸締りはしっかりしておけ。夜に誰か来ても出なくていい。外に出るなら暗くなる前に帰れ。あとは……」
「……お父さん?」
「誰が父親だ」
首を傾げる葉月に思わず突っ込む。確かに自分の年齢なら父親になっている奴もいるだろ。だが自分は未婚だし、9歳の年齢差を考えたら兄と妹が妥当だろ。なんで父親なんだ。もっと別の言い方があるだろう。
望月の顔が面白かったのかクスクス口に手を当て笑う葉月。歳上を揶揄う歳下に言いたい事は山程あるが、これ以上伊藤を待たせるわけにも行かない。
「……葉月。聞いてたと思うが、この依頼」
「……多田さん、わかってますよ。私も調べてみます」
「……無理はするな」
先程の表情は消え真面目な顔で口を開く望月に、こちらも「心得ている」とでも言うように静かに微笑む葉月。2人の視線が交わる。
「……行ってくる」
「いってらっしゃい。お気をつけて」
小さく息を吐いた望月は伊藤の元へ向かうため玄関の扉に手をかける。扉が音を立てて締まる。葉月は笑顔で見送るのだった。
扉で遮断されたこの場所は外の明るさと比べると幾分か薄暗く感じる。自分以外が居なくなった場所に時計の振り子の音が一段と大きく響く。2人の影が消えるまで見送った葉月は静かに息を吐き古びた天井を見上げる。
「……変なのが来ちゃったなぁ……」
その独り言は老化した板の隙間に吸収されるよう、音もなく消えていった。
こちらの小説は「アルファポリス」でも連載しております。




