第七章 第二節
「違っ……」
俺は否定しようとするが、それを遮って龍弥は言う。
「違わない。だからこそ、兄ちゃんはここまで落ち込んでるんだよ。姉ちゃんが、正義先輩と付き合うことで、もう自分には手の届かない存在になってしまうから。
でもここで言いたいのは、一般的な男女の恋愛のように、男1人女1人の関係が絶対だから、という訳じゃないよ。兄ちゃんが主張してる、ハーレム制度に当てはめて言ってるんだ。
兄ちゃんの主張では一夫多妻だろうが、多夫一妻だろうが、とある条件を満たせば問題ないって言ってるよね? さて、それは何だったっけ?」
「……ハーレム主が、優秀である事」
ハーレム主。つまり、養う側が優秀である必要がある。
「そう、その通り。その条件さえ満たせば……、まああとは、お互いがハーレムを容認していれば、姉ちゃんが正義先輩と付き合おうが、兄ちゃんも姉ちゃんと付き合えるはずなんだよ。
にも拘わらず、兄ちゃんは落ち込んだ。兄ちゃんはハーレム制度を容認しているのに。
正義先輩と姉ちゃんが付き合う事も良しとしているのに。
それってつまり、兄ちゃんは……」
そこまで言われれば俺でも分かる。
俺は常日頃から、自分に対して思っていることを言う。
「……そうだな。俺が涼香の事を恋愛的な意味で好きかどうかは別としても、俺は、優秀な人間じゃない。駄目人間だから無理だ」
仮に、龍弥が言うように、正義、涼香、俺の3人でハーレムを構築するとすれば、形としては多夫一妻ハーレムとなる。
そして、その多夫一妻ハーレムの主は正義になる。正義が超優秀な訳だから。それに対するハーレムメンバーは涼香となる。
では俺も正義のハーレムメンバーなのかといえば、それは違う。俺は正義を心の底から尊敬しているが、恋愛対象ではないからだ。
なので、多夫一妻のハーレムを構築するのなら、俺もハーレム主になり、ハーレムメンバーを涼香としなければならないが、俺は駄目人間なのでハーレム主にはなれない。(さらに言えば、涼香が、正義と俺をハーレムメンバーとした、ハーレム主を目指している訳でもない。)
つまり、多夫一妻ハーレムの構築は不可能。
俺は独り身で生きていく……と思ったところで、
「兄ちゃん」
再び、龍弥が俺の言葉に割り込む。でも今度は、どこか優しげな口調だった。
「あのさ。兄ちゃんは、俺と姉ちゃんと母ちゃんが、この家に来た日の事、覚えてる?」
「もちろん」
それは断言出来る。忘れる訳がない。大事な家族が増えた日なのだから。
「昔の俺と姉ちゃんは、だいぶ内向的でさ。あの日も、自分達から話しかけることなんてしなくて、ずっと口を閉ざしてた。
だけど、兄ちゃんは自分から率先して話しかけてきてくれたろ? 俺、あれすごく嬉しかったんだ。たぶん、姉ちゃんもそうだったと思う」
「……俺、滅茶苦茶言葉を噛んでたけどな」
そう。今はマシになったが、俺も昔は、龍弥や涼香と同じ……、いや、もっとひどく内向的な人間だった。
それでも、新しい家族と仲良くなりたいと思って、慣れないながらも何とか話しかけた。
「趣味とか、好きな食べ物とか、聞いてくれたよね」
「俺のトークレベルだと、そういう、定番の質問しか浮かばなかっただけだよ。外向的な人間なら、ウケを狙って喋ることが出来たんだろうけどな。俺には無理だった」
話しかけても、会話を発展させることが出来ず、会話が途切れてしまうことが常だった。
「でも兄ちゃん。次の日には、俺が好きな小説家や芸能人の本を図書館で借りてきて読んで、俺に感想を教えてくれたじゃん。その次の日には別の本、そのまた次の日には別の本って、何日も続けてさ。
あれって、本の感想を教えるのをきっかけにすることで、俺とコミュニケーションを取ってくれたんだろ?
俺、それに気づいた時、兄ちゃんの事、本当にすげーと思ったんだ。この人、すごくアクティブだな、かっこいいな、って。俺もこういう風になりたいな、って心から思った」
「買いかぶりすぎだよ」
そうしないと、龍弥に話しかけることが出来ない臆病者だっただけだ。
「でも、そういう風に思ったのは事実だよ。それから少しずつでもアクティブな人間になろうと思って、行動するようになったんだ」
「その結果、年上の美人大学生を恋人にすることが出来たんだから、龍弥はホントすごいと思う」
心からそう思う。俺なんかよりずっと立派だ。
「うん。それについては、ものすごく頑張りました」
そう言って、龍弥はおどけた。
「まあ、そういう訳で、兄ちゃんは俺に多大な影響を与えた訳さ。兄ちゃんが正義先輩から受けた影響並に、俺は兄ちゃんに影響を受けてる。
そういう意味では、俺は兄ちゃんの信者と言ってもいいかもしれない」
龍弥が俺の信者? 何だそれ? それじゃ、俺は龍弥の教祖ってことか? 無い。ありえない。
「俺はそんな器じゃないぞ。大した影響力なんてない」
「あはは。そうは言うけどさ、影響力が大きいのは事実だと思うよ。特に、姉ちゃんに与えた影響は、すごく大きかった」
「?」
訳が分からず、俺は首を傾げる。
そんな俺を見て、龍弥は笑って言う。
「だって、姉ちゃんの場合は、精神面に対してだけじゃなく、肉体面にまで影響を与えてるんだから。
姉ちゃん、アクティブかつスレンダーになったじゃん」
……ああ、そういうことか。龍弥の言う意味が分かった。
涼香はこの家に来たばかりの頃、今よりも少し太っていた。いわゆる、ぽっちゃり系女子ってやつだ。
しかし、この家で過ごすうちに痩せていき、今ではスレンダー(ただし、胸のサイズはダウンしなかった)になり、性格もアクティブになっていった。
けれど。
「それは間違ってる。性格については分からないが、体型についてはむしろ、俺は涼香の邪魔をしていたと言ってもいい」
なぜなら、俺は涼香が家に来た日に、涼香の好きな食べ物を聞きだし、それを日々を作って、涼香に食べてもらっていたからだ。
涼香は、ケーキとかアイスといった、甘いデザートが好きだと言っていた。だから俺は、ネットや本でデザートの作り方について調べ、それらを実際に作り、涼香に食べてもらった。
今では月に1回か2回程度しか作っていないが、涼香がこの家に来てから数週間は、2日に一度は何かしらデザートを作っていた。
デザートを作ると、涼香は喜んで食べてくれた。でも、俺は1つ勘違いをしていた。
「俺は涼香が痩せようとしていたことに気づかなかった。俺のデザートは、涼香のダイエットの邪魔だったに違いない。でも、涼香はそうにも関わらず、俺のデザートを食べてくれたんだ」
「……あれ? もしかして兄ちゃん、姉ちゃんが痩せた理由、というか前提について、全然分かってない?」
「前提?」
「そう。兄ちゃんは、姉ちゃんが最初から痩せようとしていたって思ってるけど、それは違う。
姉ちゃんが痩せようと思ったのは、兄ちゃんのデザートを食べた後なんだよ」
それってつまり。
「涼香は、俺のデザートを食べるようになったことでで、体重を気にするようになった、ということか?」
「うん、そうだよ」
それを聞いて、俺はうなだれる。
「俺は、なんてことを。俺がデザートを毎日作ってしまったことで、涼香の毎日のカロリー摂取量が許容量を超えてしまっていたのか……。
で、優しい涼香はそれを言い出せず、増えてしまった体重を減らすためにダイエットを始めた。そういうことだろう?」
と、俺が確認のための問いを投げたら、今度は龍弥がうなだれた。
「……マジかー。兄ちゃん、女心が全然分かってないね」
「? なにか間違ってたか?」
そう言うと、珍しく龍弥は溜め息をついた。
「あのさ、兄ちゃん。学生の女の子が、ダイエットをする理由の1位って知ってる?」
「……知らない」
「だろうね。ちなみに答えはね、好きな男の子に振り向いてもらうため、もしくは、つりあうようになるため、だよ。
そして姉ちゃんも、それと同じだった訳。
兄ちゃんを好きになったから、兄ちゃんに振り向いてもらいたくて、痩せる決心をしたんだよ。
まあ、好きになったタイミングについては、本人に聞かないとさすがに分からないけどね」
それを聞いて、俺はしばし呆然とした。
……言葉が出てこない。
なんと言葉を返せばいいのか分からない。
涼香が俺をすごく好いてくれているのは分かった。
だが俺は、それに応えることが出来ないのだ。
ようやく口に出来た言葉は、普段から考えている事であり、心の底から思っている事だった。
「……涼香は、俺みたいな駄目人間を好きになるべきじゃない」
そう。涼香の想いに応えることが出来ない理由。それは、俺が最低の、とんでもない駄目人間だからだ。
自分の実の母親を追いつめ、不幸にしてしまった。
そんな人間が、人に好いてもらえるなんて幸福を、得ていいはずがない。




