お風呂とお布団
「ちょっと待ってて」
そう言い残して、沖田は出て行ってしまった。
葵は藤堂にもらった蒼井直清の手荷物を、端に置いた。
ここは部屋というより、本当に最低限の間借りスペースと言ったほうがいいかもしれない。それでも一応襖と障子で区切られてはいた。
(男の人と二人部屋……いやいや)
邪な考えをしたようで、頭を振る。
凜として大人っぽい容姿の葵は、現代では『剣術小町』『美剣士』と呼ばれ、本人の知らないところで、高嶺の花扱いされていた。
葵は剣道一筋ではあったが、色恋に興味がないわけではなく、
むしろ18歳までろくに男子と付き合ったことのない自分に、コンプレックスさえ抱いていた。
そんな彼女にとって、この狭い部屋で沖田と寝るというのは異常事態。
(大部屋で男性と雑魚寝するよりいいよね……)
そう、自分に言い聞かせる。
しばらくすると、盆を手に沖田が戻ってきた。もう残り物しかなかったけど、と言い簡単に食事を済ませる。
葵は箸が進まず、なかなか食事が喉を通らない。
そんな葵を心配そうに見ていた沖田が、
「蒼井さん風呂入る?」
「……あるんですか?」
「うん、ここ出て廊下を……」
場所を説明しながら、沖田は結局ついてきてくれる。
(優しいな……)
と、思ったが脱衣場まで一緒なことに気づき。
(もしかして、このまま一緒に入るの!?)
葵は赤い顔を見られないように、沖田の背中を押した。
「あ、あの! 私、身体に見られたくない傷があって……なので、お風呂やっぱりいいです!!」
沖田は肩越しにちらっと葵を見る。
(苦しい言い訳だったかな……)
心臓をばくばくいわせたまま待っていると、
「うん、そうしたら一人で入ったら? 内鍵もあるし。じゃあまた」
沖田はあっさり引き返してくれたので、葵は安堵した。
(はー、生き返った)
お湯で、嫌なことも少しは流れた気がした。
戻ると布団が敷かれてあり、葵は頭を下げた。
「すみません、私がやらなきゃいけないのに」
「別にいいよ。寝ようか」
と、いきなり沖田が袴の紐を解き出す。
(えぇぇ……!)
目を手で覆いたかったが、とりあえず下を向いて布団を見つめる。その間しゅるしゅると紐を解く音がしている。
(ん? 袴を着たまま寝る方がおかしいのか。皺だらけになっちゃうもんね……)
よく考えれば、彼が袴を脱いだ所で下には着物を着ているわけで、恥ずかしがる方が恥ずかしいのだ。
「脱がないの?」
予想していた通り、沖田に指摘される。
「あ、はい。このままで……」
おかしいのはわかっていたが、葵は袴は脱ぎたくなかった。
今着ている蒼井直清の、夏用の単は薄い着物だ。
下に肌着は着るが、合わさる部分を止めるものは男用の細帯だけ。
(もしも寝ている間に、合わせがはだけたら……)
せっかく風呂に入ったのに冷や汗が出る。
袴を握りしめたままでいる葵に、小さな声が――
「ふぅん。残念」
(え、残念――?)
ばっ、と沖田を見るが、彼は袴をきちんと畳んでいる最中で、葵のことは見ていない。
(聞き間違いか……沖田さん別に人に興味なさそうだもんね。よかった)
葵の方でそんな失礼なことを考えているとは知らず、沖田は刀を枕元に置くと、
「布団いいよ」
と言って座布団を丸めて畳に横になり始めた。
「えぇ! 私が畳で寝ます」
剣道部では上下関係が厳しい。1年生の頃は先輩の荷物を持ったり、広い体育館の雑巾がけをやるのも当たり前だった。
それが感覚として染み付いている葵は、副長助勤の沖田を差し置いて、自分が布団で眠るなんてとんでもなかった。
五回ほど寝る場所の交換を申し出たが、沖田は葵の頭を撫でた。
「疲れてるでしょ。布団は明日買いに行けば済むんだから」
一々距離が近い沖田に、葵が上目遣いで見つめると、彼は一瞬止まって視線を逸らす。
「ほら行灯の火を消して」
「……はい」
葵は仕方なく、沖田の声に返事をして、そろりと行灯まで寄ってみた。
(なにこれ、どうやって火を消すの……)
目の前には、障子でできた四角い細長い箱。上からのぞき込むと、中に火が揺らめいている。
「やろうか」
気付けば隣に沖田がいた。
彼が取っ手をそっと上に引き上げると、一面がすっと開けた。
中にある芯のような部分についた火を、沖田は指で摘む。じゅっという短い音ともに部屋は暗闇になった。
あるのは障子から差し込む、わずかな月明かりだけ。
もう、すぐ近くにいる沖田の表情も見えなかった。
「寝よう」
「はい」
結局沖田は頑として畳で寝ると譲らないので、葵が布団に寝ることになった。
(お父さん、大丈夫かな……。お母さんいないのに、私までいなくなったら……)
熱くなった目頭を指で揉む。
(ううん、お父さんには恵さんがいるもん……)
自分の居場所なんてどこにもないのかも知れない。
色々ありすぎて考える暇もなかったが、葵は今どういう状態なのだろう。タイムスリップなら、葵はいきなり現代から消えたということになる。
(駄目だ、泣いちゃ駄目……。とりあえず様子を見て、帰る方法を探すんだから)
夜に暗い考え事をしても、ろくなことにならない。
(前向きに、男としてやっていく方法を考えよう……)
下にしていた左腕の痺れが限界になり、息を詰めて、そおっと向きを変えた。
沖田の背中がぼんやり見えた。
葵は、沖田と腕力にそこまで差は感じなかった。組紐のおかげだろう。
しかしこうして見ると、彼の背中は広く、葵とは全然違っていた。
(背丈だけなら、私だって屯所の男性に負けないくらいあったけどな)
葵は、また余計なことを考えかけている自分に気づいて、枕に顔を埋めた。
(男性って、筋肉量が女性の1.5倍くらいあるんだっけ……トレーニングしたらどれくらい追いつけるのかな……)
土方に大見得を切ってしまった以上、壬生浪士組で実績も上げなければならない。
まるで羊を数えるように、男性に見せかけるためのコツを思案する。
(えーっと、声は低く、……あぐらで、座る……泣かない、あと……あ、……と――)
眠れるはずないと思っていたのに、深い疲労に強制的に意識を持っていかれ、葵は気絶するように眠りに落ちた。
このころの屯所、八木邸は壬生村きっての旧家さんで、今でも見学できるみたいですね。
このころの浪士組は余裕もなく、実際は幹部と言えど雑魚寝だったようです。




