5_肩車。仇の仲間と紅白米
それから数日が経っていた。
葵は決して肌を見せないことや、不審点は多々あるが、沖田は問い詰めては来なかった。
周りへも何か言ってくれたのか、着替え中に誰か入ってくることも、あれ以来ない。
葵は、自分の稽古着を手に取る。
【神木 葵】そう書いた小さな名前シールが、背襟の内側に縫い留められていた。
「これも……早く捨てちゃわないと」
ふと、新選組が最終的にどうなるのだったか気になった。
新選組オタクの父の話は、葵は年頃になってからあまり聞いていなかった。歴史が苦手な葵は、この先起きることは曖昧だ。
(理系だからとか言ってないで、もう少し勉強しとけばよかった……)
稽古着を脇に置いたとき、壁際の刀掛けにいくつか並んだ、沖田の刀が目に入る。
背中を冷たいものが伝った。
(あれ……沖田さんって五年後に……)
彼は病弱で早死になのではなかったか。現代では、その儚さも沖田人気の一端を担っていたはずだ。
その時、すっと襖があいた。
「お きた、さん……」
「何、真っ青だけど」
葵は片付けもそのままに、生返事で沖田の横をすり抜けた。
沖田は一人になった部屋で、葵の稽古着に目を落とす。
「神木 葵? 葵って徳川の御紋の……普通名前にするか?」
沖田はしばらく考え込んでいたが、稽古着をたたみ直し葵の後を追った。
◇
葵が渡り廊下に出ると、温んだ風が頬を撫でた。
沖田は、二十歳前後に見える。
血色もよく、鍛え抜いた体格をしている。
いまこの瞬間だけを切り取れば、彼が誰よりも長く生きるようにさえ思われる。
人はいつか死ぬ。葵だって、いつかは。
頭を振り、もうこのことは決して考えないように心の奥底深くに追いやった。
「ちょっとあおいさん」
「わ!」
振り返ると沖田が呆れた顔で立っていた。そういえば用事も聞かずに飛び出してきてしまった。
「行こう。京都の町、足で覚えないと」
沖田は葵に、脇差と、刀を渡してくれた。
「屯所でも、脇差くらい差しておきなよ。刀もこれ使って」
葵は礼を言い、受け取った刀を角帯に差し込む。
(部活のとき、侍ごっこしたなぁ。竹刀だけど……)
まさか幕末の京都で、本物の刀を差すことになるとは思わなかった。
門を出る時、葵は表札に気がついた。
そこには【浪士宿】とある。
葵の視線が表札を捉えているのを見て、沖田は「懐かしいな」と微笑む。
「沖田さんは、将軍の警護のために江戸からでてきたんですよね?」
「うん。でも京都についたら、その話はなくなるって放り出されて……なのに結局、気づいたらここに居残ってた」
浪士組は、今でこそ会津藩のお墨付きを得ているが、その当時は中途半端な状態――いわゆる無職だったという。
(今後どうなるかも分からないのに、危険な京都に残るってすごい……)
もともと二百人以上が将軍の警護に集まったという。しかし沖田のように京都に残ったのは二十人程度だ。このことからも葵は、彼らの志の高さを感じた。
「皆さん、忠義が厚いんですね」
沖田は頷き、表札を指で撫でた。
「この表札をかけたときは、『居場所が出来た』と、みんなで随分喜んだんだよ」
慈しむような指の動きが切なくて、葵は衝動的に沖田の手を取っていた。
湿った空気に蝉が一声――
沖田は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにこっと笑うと、葵の手を取って眺めた。
葵の手は、幼い頃から剣道で鍛えていたため、豆や皮向けでボロボロだ。
それが恥ずかしくなり、葵はさっと後ろに手を隠した。
「ちゃんと、剣客の……いい手だね」
葵は頬が熱くなった。
(こんな手なのに……)
荒れた手を心配されたことはあっても、褒められたことは今までなかった。
「行こうか」
二人は屯所を出た。
沖田の硬い手の感触や、表札を撫でる時の寂しそうな顔が、頭から離れない。
(いつも、冗談好きで明るいのにな……どれが、本当の沖田さん何だろう……)
◇
考えてみれば、幕末に来てから町に出るのは初めてだった。京都は中学校の修学旅行以来である。
この間の茶屋とは違い、今日は町の方を歩くらしい。行き交う人々でざわざわと活気がある。
(これが幕末の京都……)
景観はもちろん違う。だけど、何より匂いが違う。
葵は自分が異物のように感じ、寄る辺なさから拳を握った。
(そういえば、新選組のお仕事って……京都の平和を守ること、でいいんだよね?)
沖田に聞くと、歩きながら説明してくれるので、葵はこんがらがりそうになりながら整理した。
※後書きに補足あり
(とりあえず長州と攘夷派が敵って覚えておけばいいか。
だけど、浪士組は江戸幕府側ってことは、
江戸から明治の移り変わりで滅びるんだ)
頭が痛くなってきた葵に、沖田が言う。
「攘夷派は、天皇の名を騙って天誅の嵐を吹かせている」
夜な夜な過激な志士たちが、殺人や乱暴を働いているという。
「その暴挙から京都の町を守るのが、私たちの仕事なんですね?」
「そういうこと。近頃はさらに目に余るからな。まぁ、昼はそうでもないけれど……あ」
いきなり沖田が立ち止まったので、葵は大きな背中にぶつかった。
「土方さんが、米買ってこいって言ってたんだ」
このころの浪士組は人数が少なく、副長助勤といえども雑用をするらしい。それとも土方の人遣いが荒いのだろうか。
米屋に行き、店主に米をお願いする。
「買い出しご苦労だねぇ」
優しい声で葵を労うと、おじさんは布袋にみっちり米を入れてくれた。
「お兄ちゃん、お侍さん?」
足元で声がする。かわいい男の子だ。
葵はしゃがんで目線を合わせた。
「うん、京都の町の安全を守るんだ」
「かっこいい! 僕も大きくなったらそうなる! そうだ、肩車して!」
「うん!」
持ち上げようとしたが、組紐のチート能力は、剣を持っていないと役立たないらしい。
葵の腕力では、男の子を肩上まで持ち上げられない。一度地面に下ろす。
「っごめん、もう一回やらせて……」
葵が謝ると、店主が男の子を叱った。
「ほら、忙しいんだから邪魔するでねぇよ」
横から沖田が手を伸ばす。
「別にいいですよ。っと……」
男の子は、軽々と沖田の肩に担がれた。
「うわー、高い高い!」
「すみません、うちの倅が」
「いえいえ、お安い御用です」
男の子は大喜びで、何回も沖田に肩車をねだる。
嫌がらずに応える彼の顔が眩しくて――
沖田は葵を見て、自分の唇を指さした。
「口、あいてる」
気持ちを見透かされたようで、葵ははっと口を閉じた。
「あけてるんですっ!」
「そんな人いる?」
ひとしきり笑う沖田の声に、葵はちっとも嫌な気分にならなかった。
それどころか、彼のこの声や表情は本来、藤堂や土方など、気心がしれた一握りの人しか出逢えない。
なんなら葵は、自分がこれを引き出しているのだと思うと誇らしい気すらする。
(なに考えてるんだろ……)
米の布袋を抱きかかえる。
ずっしり重い。
米袋は約15㎏。おじさんがおまけしてくれたせいで更に重量が増していた。
米屋を出て、屯所までの道を行く。沖田が何度目かの声をかけた。
「あおいさん、代わるけど」
「い、いいです……」
男性であっても炎天下で15㎏の米を持ち歩くのは大変なのだが、葵は意地になっていた。
(さっきも肩車してあげられなかったし。非力だと思われて、女ってばれたら困る……)
沖田はふっと笑って、
「強情だな。そうしたらちょっと休憩しようか。水、もらってくる」
葵は一人になり、ふと、人気のない狭い裏路地が気になった。
(あれ……ここ、蒼井直清がいなくなったっていう三条の辺りじゃ?)
足を一歩踏み入れると、ひんやりした空気が葵を包む。ここで蒼井直清は死んだのだと直感する。
「わっ……」
袴の裾を踏み、前につんのめった。
着いた膝に痛みが走る。
身体は、米をクッションにしていて無事だった。
「大丈夫ですか」
通りすがりの男が声をかけてくれた。
葵は返事をしようとして、何かが引っかかった。
男は葵に手を貸すわけでもなく、驚いた顔で葵を見ている。
「お前……死んだはずじゃ」
男が身を低くしたのと同時に、葵は手をつき、後へ飛び退く。
男はすでに抜刀していた。
(なに!? 蒼井直清の仇? でも左眼に傷はない……)
抜き差しならぬ状況なのに、葵の手は柄にかかったままだった。
(これを抜いたら……)
どうなるのだろうか。
組紐の力で、竹刀の時のように男に斬りかかるのか。そうすれば、葵は人を殺すことになる。
ためらう葵に、男が向かってきた。
鞘ごと受けようとしたが、刀の重さに振り遅れる。
「……っ」
葵の肩に剣先が掠る。
退くことが頭をよぎる。
だけど、背中を見せて逃げ切れるだろうか。
――退けない
覚悟を手に乗せ柄を握る。男の方がわずかに速い。
刹那、かまいたちのような突風が吹き、間に沖田が滑り込む。
葵の見開いた目に血飛沫が飛んだ。
傷を負った男が逃げ、破れた袋から出た白い米が、じわじわ赤に染まっていく。
刀を鞘に収める音が、やけに大きく響いた。
沖田が一歩ずつ近づいてくる。
――朱い
葵は根が生えたようにその場から動けなかった。
肩に沖田の手が伸びたとき、
「いやっ」
葵は思い切りその手を振り払っていた。
傷を見ようとしてくれただけだと分かっているのに、身体の芯から震えが止まらない。
沖田は、無言で手を下げた。
どうやって帰ったのか覚えていない。
「流しておいで」
優しい声で沖田に言われた。
葵は風呂の中から頼りない掛け金で鍵をし、何度もぬるくなった湯を身体にかけ、幾度も布で皮膚を擦る。
肩の傷の痛みは感じなかった。
戻ると、葵が散らかしたままにしていた荷物はすっかり片付けられ、布団が敷かれていた。
葵は物も言わずに薄い掛け布団に包まる。
夏なのに、寒かった。
沖田は布団から少しだけ見える葵の髪に、手を伸ばしかけ、直前でぐっと握った。
葵から距離を取ると、沖田は「すぐ慣れるよ」とひと言云った。
■公武合体派(幕府と朝廷が助け合う思想)
・浪士組(葵がいるところ。会津の庇護を受ける)
・会津(今の福島県)
・薩摩(今の鹿児島県)
・徳川幕府
■尊王攘夷派(幕府を倒して、朝廷のみで政治をしたい思想)
・長州(今の山口県)
・その他攘夷派の志士




