2516三十石船
淀川の流れが三十石船をゆったりと押し流し始めた。
広い川面に陽射しがきらきら反射している。両岸がゆっくり後ろに流れていく。
四人は船の縁に並んで座っていた。
藤堂がそういえば、と切り出した。
「葵ちゃんの家族って、どんな人なの?」
「母は早く死んでしまったので、あんまり覚えていないんです。父は――」
――『葵、妹ができて良かったな』
再婚相手のお腹を優しく撫でる父の穏やかな顔が浮かぶ。ここと現代の時の流れが同じなのかはわからないが、妹はもう生まれているのだろうか。
「父も、お義母さんも優しい人です」
藤堂は気まずそうに頭をかく。
「ごめん、変なこと聞いちゃって……」
「いいえ、気にしないでください」
じっと聞いていた沖田は、顔を上げて話題を変えた。
「なにか買おうか」
見れば小型船が、体当たりせんばかりに集まっている。
しかもかなり荒っぽく叫んでいる。
「食らわんか〜、くらわんか〜!」
「餅くらわんかあ!」
「こっちは酒だ、ぼけぇ!」
乱暴な言い方に驚くが、沖田によれば、これが淀川の名物だという。
「船の上でやることもないからね、暇つぶしだってさ」
「じゃあ……お茶を一杯お願いします」
葵はおそるおそるお茶をもらう。
隣の斎藤は、無言で酒を飲み始めた。
「斎藤さん、浮かれるななんて言ってたくせにお酒飲んでるじゃないですか」
「ふん、どうせ今日は移動だけだ。それに帰ったら将軍上洛に向けて、馬車馬以上に働かされるぞ」
「そうそう、たまにはね〜。葵ちゃん一緒に食べ歩きする?」
むしゃむしゃ餅を頬張る藤堂は、遠足に行くような調子だ。
「私、ちょっと行きたいところが……」
「一緒に行くよ、一人じゃ危ないんじゃない?」
彼がそう言ったとき、葵の身体がぐらりと傾いた。川の水面へ顔が近づく。
「――危ない」
投げ出されかけた身体は、沖田に力強く引き寄せられていた。
近くの船頭が、声をかける。
「ここから流れが急になりますんでね」
「ちゃんと掴まってて」
耳元で沖田が囁く。
肩が密着し、葵の頬がみるみる赤くなった。
「大丈夫です。……船に、つかまりますから」
「いいから。冬の淀川に落ちたら洒落にならない」
手が、肩から下がっていく。腰を抱くようにして葵の身体を固定する。
冬の川下りで冷えているはずなのに、置かれた手の部分だけ、ホッカイロを貼っているようだった。
(……恥ずかしい。けどあったかい)
隣では沖田が優しく微笑っている。川のせせらぎと船の揺れを感じていると、まるでカップルが、湖でボートに乗っているような気になってくる。
(ああ、これが任務じゃなくて、ただのデートならいいのにな……)
そんなことを考えてしまい、罪悪感が湧く。
だけど、葵は甘えるように、身体を沖田へ預けた。周りに気づかれないように、ほんの少しだけ。
沖田の手がぴくっと動く。
彼は川風に朱い頬を当てた後、斎藤へ声をかけた。
「斎藤は大阪着いたらどこ行くの?」
「寺だ」
斎藤はごそごそと手荷物からなにやら取り出している。出てきたのは、B5サイズ程度の、布張りの納経帳だった。
どうやら大阪の寺を巡って、"御朱印"というその寺ならではの印を押してもらう気らしい。
彼の趣味の一つで、葵は度々話を聞いている。
(お酒も飲んでるし、納経帳まで持ってきて、やっぱり一番浮かれてるの斎藤さんなんじゃ?)
怪しむ葵の視線はものともせず、彼は納経帳を開き、御朱印をなぞる。
「ここの寺はな――」
そして珍しく雄弁な、いや、お経のような語り口で喋り始めた。さらさらと流れる川音のように、斎藤の声が響いていく。
藤堂は重くなった頭で船を漕ぎ始めた。
斎藤は「たるんでおる」とむっとし、葵に向いた。
「お前も休むか?」
考えてみたが、寝るとなると本当に沖田に寄りかかってしまいそうで、首を振る。それに、斎藤の話の続きも気になった。
「いいえ。それで、そのお寺の住職がどうしたんでしたっけ?」
続きを促すと、斎藤はひきつったような顔――彼なりの笑顔を見せた。
「ああ、その住職は十四代目で……(中略)……で、その寺には瓦が三百二十七枚あるのだが」
沖田は「また始まった」と遠くを眺め、藤堂は沖田の肩枕の上で寝息を立てている。
「そして瓦職人を辞めて船大工になったそうだ……(中略)……その船大工の権兵衛が作った船が、三十石船の原型の一つと言われておる。もっとも――」
とりとめなく行ったりきたりする斎藤の話。
意外に面白いので、葵は聞き入り、時にこくこくと頷く。
それが嬉しいのか、斎藤の話は川の流れのように留まるところを知らない。
何時間ほど乗っていただろうか。
沖田に触れられていることも、緊張ではなく心地よさに変わっていた。
乗ったのは朝方だったが、ようやく大阪の町が近づいてきたのは、すでに正午を回ったころだった。




