第7話「魔の森へ」
翌朝、ハルトマンは、役人から『監督任務を怠った場合に相応の罰を受ける』という厳粛な魔術を施された。彼女が、職務を違反したり怠ったりするのを防ぐためだ。
出発後、ハルトマンの手綱さばきで馬車は数日間順調に進み、魔の森への到達も時間の問題となっていた。森が遠く視界に収まるほどまで進んだそのとき、突如として暴風雨が吹き荒れ、部隊は道をそれて小さな村へと退避を余儀なくされた。
その村には小川が流れ、水車小屋が回り、住居と質素な修道院が建っていた。
村の宿場に着くと、町の宿場にただで泊めさせてもらっていた。共和国の軍人という肩書は伊達ではないらしい。
彼らは、宿のあるじにドン引きされるほどガツガツと食事を平らげてしまい、キッチンの食料はすっかり空っぽになってしまった。制服を着て給仕の手伝いをしていた少女も口を開けてドン引きだ。
言い訳をするとすれば、たしかに馬車に食料は積んであったのだが、量に限りがあって満腹になるまで食べるわけにもいかなかった。彼らにとっては久しぶりのごちそうだったのである。
あてがわれた部屋で、ヴェイスとラインツファルトはテーブルを挟んで葡萄酒を傾けていた。こればかりは馬車に積んであったもので、なかなか上等な品だった。ハロルドとメリッサはソファでカードゲームを、隊長は外出していた。
ヴェイスが雑談の中で、改まって話題を切り出した。
「隊長とはあんまり深く関わらない方がいいっすよ。どうにも怪しいっすから」
「怪しい? どういう風に怪しいんだ?」
「隊長の年齢って何歳くらいだと思います?」
「うーん、二十代後半くらいじゃないか?」
ヴェイスは葡萄酒を一口飲み、一拍置いてから口を開く。
「それがニ十年くらいあの見た目のままらしいんすよ。二十代後半のままなんす」
「ずっと二十代後半のまま? 仮に本当なら、五十年は生きてる計算になるな。帝国で何かあったということか? そんな魔術は聞いたことがない」
ハルトマンがどこか凡人離れした雰囲気をまとっているのは、そうした事情も関係しているのかもしれない。
ヴェイスは籠に山積みされたビスケットを次々とつまみながら続ける。メリッサが懲りずに持ち込んだものらしい。
彼はビスケットを食べつつ使えながら話した。
「しかも、全く眠らないらしいんすよ」
「たしかに変わってはいるな」
「しかもしかも、時々発作に襲われてるんすよ。動けなくなるくらいに」
「発作……」
ラインツファルトの脳裏に、エリザがアンデッドと化したときの光景がよぎる。胸に嫌な感情が広がった。
発作と聞けば、アンデッド化が最初に思い浮かぶのも無理はない。
「隊長はいつからそうだったんだ?」
「俺が出会ったときからっすから、少なくとも二年以上前からっすね。だから、アンデッド化の前兆とかではないっす」
ラインツファルトは気になって、つい身を乗り出した。そのときになってようやく、ヴェイスが「寝ずにいられる」と説明した意図が分かった。つまり、アンデッド化しているのではない。
「寝なくてよくて、発作に襲われている。つまり、隊長はアンデッドそのものだと……?」
ヴェイスは満足げに指を鳴らした。
なるほどたしかに、それなら怪しいと表現してもおかしくはない。
とはいえ、それでは納得できない部分も残る。
「でも、それじゃあ辻褄が合わなくないか? アンデッドが隊長のように自我を保ってるなんて話、聞いたことがない」
「気になるなら聞いてみたらいいじゃない。素直に話してくれるかもよ?」
カードゲームに興じていたメリッサが、にやりと笑いながら口を挟む。
「俺たちはメリッサみたいに隊長と仲良くないんで、そんなこと聞けないっす」
「なんであたしが隊長と仲いいってことになんの!」と、憤慨するメリッサ。
「この前だって、お菓子を没収されたあげくに、罰として隊長に魔術で本を複製させられてたっすよ」
「あ”! それ言わないでって言ったやつ!」
にやつくヴェイスに、カードを取ろうとしていたハロルドがソファで笑い転げた。
「そこ! 笑うな!」
メリッサは顔を赤らめ、声を荒げる。
特務部隊とは魔術師の寄せ集めだと聞いていたが、案外互いに皮肉を言いあう程度には仲がいいらしい。あぶれもの同士通じるところがあるのかもしれない。
(ていうかあれ、罰として存続してたのか……)
ラインツファルトは静かに壺を傾け、葡萄酒をコップに注いだ。琥珀色の液体がゆっくりと波打ち、微かな香りが立ち上る。
「隊長がアンデッド、か」
低くつぶやいた声は、独り言とも、誰かへの問いかけともつかない。
もしそれが真実なら——彼女は、自らと同じアンデッドでありながらエリザを殺したことになる。それは矛盾だ。理に合わない。ラインツファルトの胸にひと筋の苛立ちが走る。
(いや、まだそうと決まったわけではない。まだ判断するには性急だ)
とはいえ、ハルトマンはアンデッドを毛嫌いしていた。そこには何か理由がある。偶然ではないはずだ。
沈黙を破ったのは、メリッサだった。葡萄酒の余韻も冷めぬうちに、彼女は何気ない調子で口を開く。
「そういえば、ラインツファルトはどこからやってきたん?」
ハルトマンが言葉を濁した時のことを思い出したのだろう。メリッサの目は、好奇心に満ちていた。
ラインツファルトは一瞬だけ考えたが、隠す理由もないと悟ると、静かに答えた。
「俺は八十年前、アリオストに魔術で封印されていた。最近まで仲間に保護されてたんだ。ついこの前、意識を取り戻したばかりだ」
一同は驚愕の声をあげる。
「まじっすか! じゃあマジもんの王族なんすね!?」
「王様だったりすんの!?」
ヴェイスとメリッサの反応は露骨だった。あっけに取られた表情のまま、二人は食い気味にラインツファルトを見つめる。
「まあ『マジもん』だが、王ではない。むしろ仕える立場だったんだ。俺にとってはついこの前までそうだったんだよ。驚きだろう?」
「いや、いろいろ驚きっすよ!」
彼らが語らいあっていると、そこへ給仕の手伝いをしていた女がやってきた。銀のプレートの上には、鮮やかに盛られた果物が並んでいた。
「食後のデザートです。よろしければ召し上がってください」
慎ましい声色で告げると、プレートが卓上に置かれる。
「お! いただき~っ!」
待ちきれない様子で、メリッサが葡萄をひと粒つまみ取った。
「メリッサ、お行儀悪いよ」
ハロルドが呆れたようにたしなめるが、メリッサは肩をすくめるだけだった。
すると、女はふと微笑みを浮かべながら尋ねる。片耳には花をかたどったイヤリングが揺れていた。
「皆さん、仲が良いんですね。共和国の軍人さんなんでしょう? これからどちらへ向かわれるんですか?」
こたえていいものか迷っているラインツファルトをよそに、意外にも寡黙なハロルドが口を開く。
「これから魔の森を超えて、帝国へ行きます。教団の巣窟に、ね」
その言葉にはどこか含みがあった。
そして、彼の視線はまっすぐに目の前の女を見据えていた。