第4話「エリザ」
王族を裁判にかけるのは実に半世紀ぶりだった。その歴史的な裁判は、淡々とした空気の中、筋書き通りに進行していった。
傍聴人は一人もおらず、法廷には数名の裁判官と、証言台に立つラインツファルトだけがいた。彼は矢継ぎ早に投げかけられる質問に冷静に答えていく。
しばらく沈黙していたハルトマンが、静かに立ち上がった。
「私から一つ質問したい。端的に聞く。お前は、旧王国近衛騎士団長ラインツファルト・ノイシュタット本人なのか」
裁判官側で事前に質問内容を共有していたにもかかわらず、一堂はどよめいた。
「はい。間違いありません」
「バカな。八十年も前の人間だぞ? やはり魔術というものは恐ろしいな」
「静粛に」
色めき立つ裁判官たちを、裁判長がいさめた。
「被告人は、王国が滅亡し、共和国が樹立されたことを認知しているか」
「承知しています」
「よろしい。共和国は、かつての王政について、その苛烈さと非人道的な側面を憎み、断固としてそれを排除すべく、かつての王政を思わせるノイシュタット一族のすべてを極刑ないしは追放刑に処した」
ラインツファルトは、無意識に拳を握りしめる。彼にとって王政は、つい先日まで確かに存在していたものだった。それが今や暴政とされ、一族は皆処刑または追放。たった数日の間に覆った現実が、なおさら彼を苛立たせた。
が、それがもはやなんの意味もない怒りであることは、ラインツファルトも重々承知していた。だからこそなおさら腹立たしかった。
「よって被告人ラインツファルトを、それらの例にならい、魔の森以西への追放刑に処す」
魔の森以西——。
そこは古来より、野蛮で不毛な地とされてきた。魔の森を越えた者はほとんどいない。その先に何があるのか、誰も知らない。
「その際、神聖グラジオラス帝国との協定書に基づき、その身柄を当該帝国へと引き渡す。監督官にはティアレット・ハルトマン大尉を任命する」
拘置所は水が氷るほどの寒さだった。意外にもハルトマンが二人のために魔力を用いて火を与えてくれたおかげで、二人は凍えずにすんだ。
出発前夜、ラインツファルトは特別に豪勢な夕食を振る舞われた。
彼はそれをエリザに分けた。
「エリザ、これを食べなさい。君は西に行かないから少ないが、俺一人で食べるのも気まずいからな」
「恐れ入ります」
うずくまっていたエリザはゆっくりと頭をもたげた。寒さに凍えたせいか、その動作は緩慢だった。
「今まで辛かっただろうけど、これで長かったエリザの役目も終わりだ。これが終わったらエリザは何がしたい?」
彼女は少し考え込んでから、静かに答えた。
「もっと学校に行ってみたいです。小学校しか行けなかったので。もっとたくさんの人と出会ってみたいです」
「学校か。俺も家庭教師ばかりで学校には通えなかったな。家庭教師には怒られてばっかりだったし、いい思い出もない。学校ではいい人に出会えたか? 好きな人とか」
エリザは少し驚いたような顔をしたが、微笑んで答えた。
「……一人だけ、忘れられない人がいます。でも、それはきっともう過去のことです」
「そうか……」
ラインツファルトは、それ以上は何も聞かなかった。エリザが思い出に浸る間、静かに食事を続けた。
エリザが横になって眠りについたあと、寒そうに縮こまっている彼女に自分の分の毛布をかけてやった。
「これからは幸せに生きてくれ」
その夜のことだった。
静まり返った拘置所に、ひときわ不気味なうめき声が響いた。
「……う、ぁ……」
ラインツファルトが立ち上がると、同じ部屋の隅でエリザがうずくまり、激しく身を震わせていた。
「エリザ!? どうした!」
しかし、返事はない。
「まさか……!」
気づいたラインツファルトの顔色が変わる。
「くそっ、アンデッド化が進行している……! なぜこんなタイミングで……」
彼女の肌は青ざめ、瞳が濁り、指先が不自然に曲がり始めていた。苦悶の表情を浮かべながら、エリザはかすれた声を振り絞る。
「……どうして……」
それが最後の言葉だった。
次の瞬間、彼女の身体は硬直し、静寂が訪れた。
そして——エリザは死の淵から蘇った。
だがそれはもう、彼女ではなかった。
「……エリザ、聞こえてるか? 返事をしてくれ」
ラインツファルトの呟きは、虚しく拘置所の冷たい壁に吸い込まれていく。
沈黙を破ったのは、駆けつけてきたハルトマンだった。彼女は水晶のような鋭い氷を空中に浮かべ、アンデッド化したエリザに向けた。
「やめろ! まだ元に戻れるかもしれない!」
だがそのとき、エリザはラインツファルトに向かって飛びかかった。
いや——もはやそれは、かつてエリザと呼ばれた何かだった。
「くっ……!」
反射的に腕を上げ、防御の姿勢を取る。だが、か細かったはずの彼女の腕は異常なまでに強く、彼を壁際まで押し込んだ。
「エリザ! やめろ!」
ラインツファルトは叫ぶ。しかし、彼女の瞳にはもはや理性の光はなく、どす黒い何かがその身を包み込んでいた。
「……グ……ぁ……」
その口から漏れたのは、人の言葉ではなく、歪んだ呻き声だった。
ハルトマンが動いた。
「仕方ない。討つ」
冷徹な声とともに、浮かべていた氷の刃が鋭く光る。
「やめろ! 待て、まだ——!」
しかし、躊躇するラインツファルトをよそに、ハルトマンの魔術が発動する。
一閃——。
氷の刃が放たれ、一直線にエリザへと向かった。
「——ッ!」
刹那、エリザの動きが止まる。
胸を貫かれたまま、彼女はかすかに震えた。
そして、最後に一度だけ、まるで何かを思い出したかのようにラインツファルトを見た。
「……ごめ……なさ……」
その声が、確かに聞こえた気がした。
次の瞬間、彼女はばたりと倒れ伏した。
ラインツファルトは信じられないといった顔でその場に立ち尽くしたままだった。
拘置所には、パキパキ氷の砕ける音と、ハルトマンの静かな息遣いだけが残っていた。
「……これで終わりだ」
彼女の冷たい声が響く。
しかし、その声がラインツファルトの耳に届くことはなかった。
彼の目には、あまりにも無残な結末が焼き付いていた。