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ミセリコルディアと罪の星  作者: 芦多羽 雲璃矢
デンドロビウム編
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第42話「古き王冠亭」

 バーテンダーはいくらか不愛想を装って二人を見下ろす。


「王冠ねえ。そんなもんは80年前にアリオスト皇帝陛下が叩き割ったよ。あんたら、共和国のスパイ、か?」


 すると店内の空気が一瞬で凍り付き、数人の客がゆっくりとこちらを向く。全員が服の下に武器を隠し持っていた。


 ラインツファルトも立ち上がって武器に手をかける。


「よせ」シュテュンプケはつづける。「おい、マスター。スパイならこんな臭い店には来ねえよ。私たちは、あんたらの『頭』に用があるんだ。『マルティウス』はいるか?」


 マルティウスという名を聞いた瞬間、バーテンダーの目の色が変わった。いや、ラインツファルトも、だ。聞き覚えのある名だ。


 バーテンダーは、彼らの意図をくみ取ったのかくみ取っていないのか、曖昧な仕方でつぶやく。


「……二階。団長がお待ちだ」


 二階で待っていたのは、バーテンダーとは似ても似つかない、理知的な雰囲気を壮年持つ壮年の男だった。擦り切れた酒場の連中とは対照的に仕立ての良い、だが時代遅れなデザインの貴族服を身に着けている。彼こそが、デンドロビウムの旧王党派を束ねるリーダー、団長マルティウスだった。その一挙手一投足は、中途半端にもったいぶっていて、貴族然としている、あるいは貴族を気取った風である。


 魔の森でレギーナとともに戦っていた、ラインツファルト・ノイシュタットの因縁の相手だ。


「お前は、あのときレギーナと一緒にいた男か!」


 振られたマルティウスは、立ち上がってうやうやしく礼をする。


「あの時はとんだご無礼を働いてしまい申し訳ございません。何分彼女は戦闘狂でして……。果たしてラインツファルト様。ここに来られたということは、王国を復興なさるおつもりですか」


 その表情は真剣みを帯びていた。なるほど敵対者ではないらしい。


 ラインツファルトは声を落として言った。


「ああ、そのつもりだ」


 隣りにいたシュテュンプケがぎょっとしたように肩をすくめる。


「おいおい、マジかよ。国って……。私たちにはそんなご大層なものを作る余裕なんてないだろ? そもそも私は」シュテュンプケは腰に手を当てて「協力するとまでは言っていない」


 ラインツファルトは答えに詰まった。


 そこへ、マルティウスが口を挟む。彼の笑みは、まるでシュテュンプケの言葉を待っていたかのようだった。


「ええ、存じております、シュテュンプケ女史。あなたは『王国復興』などという、のっぺりとした退屈なものには興味がない」


「……何?」


 シュテュンプケの目が鋭くなる。


「あなたの目的は、アリオスト……いえ、『古代帝国』の因縁そのものでしょう。……ラインツファルト様は『王』として。あなたは『筆頭魔術師』として。お二人がここに来られたのは必然です」


 マルティウスは立ち上がる。「お二人に、特にシュテュンプケ女史に、見ていただきたいものがあるのです。お付き合いいただけますか」




 彼に導かれて、シュテュンプケとラインツファルトはじめじめとした洞窟を抜けた。ラインツファルトは二人の後ろに付き従っていたが、シュテュンプケの後ろ姿はどこか所在無げで、小さく見えた。


 そしていよいよ、彼らは鍵をかけられた扉の前にたどり着いた。


「中を見ても、あまり動揺なさらないでください。すべて地脈の乱れによる、歴史の二番煎じですので」


 マルティウスは冗長な仕方でドアを開けた。二人は生唾を飲み込む。


 その先の薄暗い空洞には、天然の柱が林立していた。だが最も注目すべきは、無数の映像が無秩序に散らかって流れ続けていることだった。


 誰かが言い争っている姿、燃え盛る街並み、振り下ろされる刃……、そこは雑踏よりも人々の声があふれ出している。そしてその大部分は、『あの日』の断章だった。


「な、んだこれ……」とラインツファルト。


「地脈の影響です。未来に関するものはないのですが、アーガディア大書庫の映像版と言って差し支えないかもしれません。人の想いのこもった歴史が、地脈からあふれ出して再生されているのです」


『逃げてください! あなたでは絶対に勝てない相手です!』


 聞き覚えのある声が響く。ラインツファルトはぎょっとしてあたりを見回したが、それらしい映像は目につかなかった。


「ここには王国や共和国だけでなく、わずかながら古代帝国時代の記憶が現れることがあります」マルティウスは説明する。


「そんなバカな……」


 シュテュンプケはいつになくそわそわしていた。


「……あ、あれです。皆様は実に運が良くていらっしゃる。見たところでは、あれは古代帝国の皇帝陛下と『四人の筆頭魔術師』の姿のようです。そうでしょう? シュテュンプケ女史」


 シュテュンプケの肩が小さくはねた。


 マルティウスが指さした先には、玉座に座る皇帝の目下に片ひざを折る四人の姿があった。それぞれ正装であろう重厚な衣をまとって頭を垂れている。その中の一つは、紛れもなく、シュテュンプケその人だった。


 マルティウスはつづける。


「古代帝国は、レナトゥス王国や、もしかしたらこの神聖帝国以上に、一国をあげて神に対して抵抗していました。それが歴代皇帝の意志だったからです」


「それで、その歴代皇帝の意志がどうだって言うんだ?」


 ラインツファルトは怪訝そうに尋ねる。


「皇帝たちは彼ら筆頭魔術師に命じたのです。『神に抗い、終末を回避せよ』と。そして彼らは千年の時をかけて高度な古代魔術体系を構築しました。それが今やアリオストの手に渡っているのです」


「その中にシュテュンプケさんもいたのか?」


 マルティウスは厳かに頷く。


「つまり、アリオストが作り上げたこの歪んだ世界は、元をたどればシュテュンプケ女史にあるともいえるのです」


「それは言いすぎじゃないのか?」


 ラインツファルトの擁護を、しかしシュテュンプケは制止する。


「いや、いいんだ。……その通りなんだ。私は80年前、アリオストに古代魔術を教えたことがある。まだこの世界の運命に、神に滅ぼされるっていう終末に、抵抗したいという欲を捨てきれなかったんだ。だから多少乱暴でも、その可能性がありそうな奴にその知識を託したんだ。でもそれは、想像以上に破滅的な選択肢だった」


「そう、破滅的なのです」マルティウスは後を継ぐ。「何万という共和国の人々が殺され、いまや帝国の人々さえその危険にさらされている。シュテュンプケ女史、あなたがラインツファルト様にご同行されたのは、アリオストをこれ以上見過ごせなかったからでしょう?」


 シュテュンプケは何も答えず、ただ、過去の自分が映る幻影を、苦々しげに睨みつけていた。

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