第31話「ハロルド・ニードラッド」
エリックはハロルドと真正面から相対し、鋭い眼差しとともに剣を抜き放った。刃が鳴り、瞬時に炎が立ち昇る。紅蓮の光は彼の全身を包み、鍛え抜かれた魔術の奔流が剣に宿った。
「最初から全力でいかせてもらう。卑怯とは言うまいな」
「構いませんよ。それでも僕が勝ちますから」
ハロルドもそれに応えて剣を抜く。
ーー力はセーブしておこう。騒ぎになって素性が割れでもしたら一大事だ。
二人は互いに視線を絡ませ、緊張が空気を張り詰めさせる。
「私は共和国最後の旧七大貴族家の当主、エリック・アンドラスだ。お前の名は?」
「僕はハロルド・ニードラッド、ただのしがない魔術師です」
互いに名を告げると、刹那のあいだ間合いを計った。
「来い。手加減は無用だ」
「では、遠慮なく」
地を裂くようにハロルドが駆けた。風をまとい、疾風のごとき剣を振り上げる。
迎え撃つエリックは、前傾姿勢で重心を滑らせると、灼熱の刃を一気に叩きつけた。
――速い。
魔力による強化と鍛錬が生む猛撃。その一撃に吹き飛ばされ、ハロルドの身体は弾丸のように後方へ弾かれて、噴水に叩き込まれた。水柱が天へと舞い、赤い飛沫が水面を染める。
「ニードラッドさん!」
メリッサが駆け寄ると、ハロルドは浅い水の中に上半身を突っ込んで横たわっていた。深く切り裂かれ首筋からは、血が流れて水を赤く染めている。
ハロルドは激しく咳き込み、血を吐いた。わずか一合にここまで叩き込む執念――勝利への飢えが突き刺さる。
「誰か、治癒できる人を呼んで! あんまりだわ、ここまでするなんて……」
涙声に近い叫びをあげ、メリッサは彼を抱き起こそうとした。
だが、ハロルドは手でそれを静止した。
「……?」
怪訝な表情を浮かべた彼女の目の前で、ハロルドは裂けた喉笛をなぞる。その瞬間、肉が再生し、血の痕跡さえ消えてゆく。
あっさりと立ち上がるハロルドに、メリッサは言葉を失った。
「え」
メリッサは驚いて口をぽかんと半開きにした。一瞬遅れて、家庭教師から学んだ知識が脳裏にひらめく。
ーー治癒。
七種の魔力は術者に「ギフト」と呼ばれる生まれつき使える術を与える。なかでも、風の魔力は治癒の能力と結びついている。ハロルドはその力で傷を癒したのだ。
その背に、メリッサははっきりと感じた。――この人なら、父に勝てるかもしれない。
「噂以上ですね。危うく命を落とすところでした」
ハロルドの言葉に、エリックの眉がわずかに動く。自信をもって放った必勝の一撃を凌がれたのは、久方ぶりのことだった。
「やるな、若者」
他者に厳しい彼も、素直に認めざるを得なかった。彼は、強い。油断をすれば負ける。
「お互いに相手の力量を甘く見ていたようですね。ですが……今度は油断しませんよ」
「私もかつて、手も足も出ずに負けた相手がいる。それ以来私は、さらなる鍛錬を重ね続けてきた。彼女は……おそらく君よりも強い相手だった。私はその彼女にさえ勝てるよう訓練してきた。君に見せる隙はない」
二人の様子を後ろから気づかわしげに眺めていたメリッサは、普段多くを語らない父の過去をほとんど初めて耳にした。普段庭で訓練をしている姿を奇妙なものを見る目で見ていたが、父もまた、自分と同じように何かに縛られて生きていたのだ。
「少しは隙を見せてくださいよ? そうじゃないと僕が困ります」
ハロルドは微笑み、左手に風を集める。烈風が奔流となり剣を包み、刃は嵐そのものへと変貌した。
「行きます!」
刃が唸りを上げ、疾風と共に横薙ぎに奔る。
エリックもまた炎を迸らせた。風を呑み尽くすほどの灼熱の奔流が迎え撃つ。
二人の剣が衝突し、空気が爆ぜた。熱と風が混じり合い、観衆の頬を焼くほどの衝撃波が広場を覆う。
その衝撃で、ハロルドの持っていた剣は根元からぽっきりと折れてしまった。エリックの使う炎の魔力は物体強化のギフトを伴う。単純なぶつかり合いでその差が現れるのは極めて稀だ。
どうやらまだ相手の力量を無意識に見てるらしい、ハロルドは折れた剣の柄を放り投げて、腰に差した日本の短刀を両手に帯びた。




