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第23話「レギーナ、死、アリオスト」

 魔の森の起源は、一万年ほど前にシュテュンプケがグラジオラス教団の正統派から逃れてきたところに端を発する。ゆえにその本質は侵入者を拒むところにある。足を踏み入れたばかりに飲み込まれてしまった人間の例は枚挙にいとまがない。


 だが裏を返せば、侵入者以外のための通用口も存在する。シュテュンプケはその秘密の道を利用し、仲間たちを転移させた。彼の意図は明白だ。自らを囮とし、わずかな時間でも稼ぐこと。


 転移先に雨の気配はなく、森は静かに光をたたえていた。対峙するのは、シュテュンプケとレギーナ、二人だけ。レティシアも、ラインツファルトも、ハルトマンやグスタフすらもここにはいない。


「自分をおとりにして彼らを先へ行かせたのですか。無駄なあがきを。あなたという世界最高峰の魔術師を排除できる――それだけで、私は十分ですわ」


 レギーナの声は涼やかに響いた。


「ほめてもらえるのはありがてえ話だな」


「貴方の著作は、私の魔術研究において欠かせないものでした。ずっと、敬愛しておりましたよ」


 レギーナは皮肉めいた笑みを浮かべ、くすりと笑った。


 その態度の裏には――今や自分は、その“敬愛の対象”を超えたという確信があった。


「あんたの実力はたいしたもんだ。長いこと隠居していた身には、勝ち目がないってのも理解してるさ」


 そう言って、シュテュンプケは目深にかぶっていたとんがり帽子をくいと持ち上げる。


「だからこうして、あんたを引き離して時間を稼ぐ。それだけが、今の私にできる最後の仕事だ」


 対するレギーナは、たおやかな身体を揺らしながら、静かに嗤った。


「では冥途の土産に教えて差し上げましょうか。アリオストは現在、世界中の魔力を吸収し、古の都グラジオラスの復活を進めています」


「なに……?」


 空気が一変する。


「あの都市は、二千年前に神々の手によって徹底的に破壊されたはずだ。まさかあの傷跡を、あの記憶を掘り返すつもりか!? 世界中の魔力を回収してまで……! 何人の命が犠牲になると――どれだけの人間が、アンデッドと化すと思ってやがる!」


 思えば、先ほどから体にどこか違和感がある。ただマルティウスの魔術を背負って衰弱していたわけではない。これは、星全体の魔力が、急激に失われていく感覚だ。


「アリオストは『原初の帝国』を蘇らせるのだと言っていました。古代帝国すら凌駕する存在を……と。意味までは教えてもらえませんでしたが」


 ――原初の帝国。


 その名を聞いた瞬間、シュテュンプケの背に、得体の知れぬ寒気が走った。


「シュテュンプケさん? ずいぶんと訳知り顔じゃありませんか」


「……その名は二度と聞くことのないものだと思っていた。あまりに、……何か、おかしい」


 アーガディア機関の停止といい、ここ百年、何かが変わり始めている。


 万年帝国の終焉、二千年王国の崩壊と、国があらためられるたびに魔術を筆頭として、外なる神々はこの世界から奪い続けてきた。そして、人類がまだ星神アーガディアの影響を色濃く受け継いでいた『原初の帝国』時代の記憶は、もはや自分の中以外からは奪い去られたはずだった。


 そして今、“神々の監視下”にあった“原初の帝国の記憶"が蘇ろうとしている――。


「その記憶は、この私の中にしか残っていないはずだった……」


 だがそれが、なぜか蘇っている。


「どうやら、あなたは色々と知りすぎているようですね。よろしい、あなたを私の“ペット”にして、たっぷり教えていただくとしましょう」


 レギーナが背中から銀の長剣を抜き放つ。


 銀光が閃き、空気が裂けるように張り詰める。


 シュテュンプケもまた、肩のあたりで切りそろえた漆黒の髪を揺らし、杖を構えた。


「あいにく、今回ばかりは戦わないわけにはいかない。こちらとしても時間を稼がせてもらいたいのでね」


 言葉と同時に、シュテュンプケの足が地を蹴った。老齢の魔術師とは思えぬ動きだった。真正面からの突撃――魔術師らしからぬ戦法。だがそれゆえに、レギーナは本能的に身構える。


 なにかある。


 何かを仕掛けてくる。そう読んだ彼女は、剣に手をかける構えで魔力の制御を強めた。


「出でよ――魔剣!」


 シュテュンプケの叫びと同時に、空間が唸った。


「まさか! なぜ魔剣を持って……!?」


 レギーナは思わず飛び退ろうとした。だが、その努力もむなしい。宙から現れた銀色の剣、それはかつてのレナトゥス王が持っていた剣。


 だが、次の瞬間――その魔剣を手にしたのは、シュテュンプケではなかった。


 閃光のごとき影が現れ、剣を掴み、そのまま一閃。


「――ラインツファルト……!?」


 レギーナの視線が追いつくより早く、銀光が彼女の首筋をとらえた。


「はは……っ」


 その口元からこぼれたのは、まるで愉悦を噛みしめるような、乾いた笑み。だが次の瞬間、首がふっと軽くなる。レギーナの意識が、すうっと闇へ沈んでいった。






 それより少し前。ラインツファルト、ハルトマン(とグスタフ)、シュテュンプケはぐつぐつ音を立てて沸騰する鍋を囲みながら、レギーナの対応策を練っていた。


「レギーナは八十年かけて魔術を極めてきた魔女だ。私の全盛と比べても遜色ないだろう。……いや、いまの私では勝ち目がないと見ていい」


 そう言ったシュテュンプケの横顔に、かつての神秘も老成もなかった。ただ、戦う者の覚悟があった。


 ラインツファルトは無言のまま彼を見つめる。マルティウス戦で見た、霧のような回避。その動きは、今の時代に失われた“魔術の技”そのものだった。あれに並ぶ敵と、どう戦うというのか。


 とはいえ。


「じゃあどうする。三人が連携すれば勝てるのか」


 ハルトマンは尋ねた。


「あれは武闘派の戦闘狂だから、正面からぶつかれば勝たせてくれるかもしれない」


 シュテュンプケは、ラインツファルトのつぶやきを無視して言う。


「いや、連携をしてもやつを倒すには相応の時間が必要になるが、持久戦になるのは私としても避けたい。そこで、だ。私にもっといい案がある。伏兵を用意して、一瞬の隙を突く」


 鍋をかき回しながら、シュテュンプケは淡々と続けた。


「私は王国以前、もっと古い時代の魔術を網羅している。あいつらには絶対に感知できない手段で、魔剣と――ラインツファルトを潜ませる」


「私を、ですか?」


「あんたの底力は訓練でよく見せてもらった。この大役はあんたにしか任せられない」


 ラインツファルトはひとまず納得したという風にうなずいた。


「ところで、この鍋の具材には、何を?」


「森でうごめいてた魔獣だが?」


 ーーーー。






 計画は成功した。レギーナの首は、静かに地に落ち――


 その場にいた全員が、その事実を、終わりとして受け入れかけた。


 ……しかし。


「なるほど。私を出向かせるとは。贅沢なものだな、大魔法使いとやら」


 音もなく、空が裂けた。


 虚空から空間を切り裂いて現れたのは、長大な布をその身にまとった、歴史の教科書から出てきたような人物。目の奥には星の運行すら閉じ込めたような冷たい光を宿す。


 その装束はまさしく、『原初の帝国』時代のもの。


「アリオスト……ッ!」


 ラインツファルトが、怒りを押し殺すように名を呼ぶ。両手が震える。無意識のうちに、拳を握っていた。


「久しいな、ラインツファルト」


 その姿は、神の威厳をさえたたえていた。

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