第16話「大魔法使いとマルティウス」
戦場に、場違いな静寂が落ちた。
レギーナを拘束した少年――シュテュンプケは、まるで庭の雑草でも抜いたかのように軽く手を払うと、うんざりした顔で空を見上げた。
「……やれやれ。これだから帝国の連中は。土足で人の庭を踏み荒らすのが礼儀だとでも教わってるのかね」
その時、森の奥から金属音が響いた。
ジャリ、ジャリ、と。重装歩兵の行軍音。
木の陰から現れたのは、マルティウス率いる帝国兵の増援だった。二十、三十――黒い甲冑の壁が、逃げ場を塞ぐように展開する。
「なぜ出てきたのですか。私はそのような命令はしていませんが、マルティウス卿」
レギーナが苛立ちを隠そうともせず声を張った。
その声に応えたのは、鎧の軋む音とともに歩み出た男──マルティウス。
彼は肩をすくめ、唇の端に皮肉な笑みを浮かべる。その動作は、余裕というよりも見下すような冷たさをまとっていた。
「今が好機と見えましてね。レギーナ殿、少々苦戦しておられるようでしたので。さて──」
マルティウスの目が細められる。その眼差しは鋭い獣のそれに変わった。
「あなたがなぜローアイアイを離れたのか、その理由……ぜひとも聞いてみたいものです」
「おいおい、村からまったく出ないなんてことあるかよ。森の異常分子を掃除するのも、立派な役目なんだ」
シュテュンプケはわざとらしく首をかしげる。その声色は軽いが、足元の魔力が静かに蠢いているのを誰もが感じていた。
「ほう……強気ですね。その役目とやら……私の新しい玩具で太刀打ちできるか、試させてもらいましょうか」
マルティウスが号令をかける。
一斉に放たれる漆黒の魔弾。物理法則を無視した殺意の豪雨が、シュテュンプケへと降り注ぐ。
ラインツファルトは叫んだ。
「危ないッ!」
動けない体で、それでも庇おうとする。
だが、シュテュンプケは鼻で笑った。
「無粋だねえ」
パチン。
少年が指を鳴らす。
その乾いた音が、世界のルールを書き換えるトリガーだった。
視界が、反転する。
天地が逆になり、色彩が混ざり合い、強烈な吐き気が脳髄を揺さぶる。
重力崩壊ではない。座標そのものの強制置換。
「え……?」
ラインツファルトが次に瞬きをした時、そこはもう戦場ではなかった。
湿った土の匂いも、血の臭気もしない。
あるのは、静謐な、あまりに静謐な、花の香りだけ。
「……ようこそ。我が箱庭、ローアイアイへ」
シュテュンプケの声が、どこか遠くから響いた。




