ヲタサー王の温泉外交 ~SUSERIHIME~
サイゼのエスプレッソは、なんか違う気がする。味とかじゃななくて…
挨拶をエベっさんに任せて、クロはこっそり会場を抜け出していた。廊下を何度か曲がりインフォメーションに従い歩いていると、吹き抜けのホールに出る。そこは屋内であるはずなのに、外のようだった。観葉植物が床から茂り、木々には小鳥が鳴いている。ホールの中心には泉があり、噴水が涼と癒しの彩りを与えていた。
「休憩所とかかな?」
思ったことを口にする。
「クロ長官代理ッ!」
そこへ誰かが声をかけてくる。見た目はクロより年上、
「ヤソ6のスセリ、さん?」
尚且つセミロングの美人さんだ。クロは少しだけキョドった声に応じる。
「急に脱け出されては困ります」
息急き駆けてきたのであろうか、スセリは肩で息をしていた。ホンの少し自身の頬が紅潮しているのを感じる。
「い、いかがされましたか?」
「な、なんでも、なんでもないですッ! ごめんなさいッ!」
ヤカミとの出会いはインパクトが強すぎ、ウカノも切れ長な目をした、ほっそりした面持ちの美人さんだが姪である。対してスセリは女性免疫を醸成中のクロにとっては割り切れるなにかがなにもない。いや、
「目が似ている――アナムチの」
「あんな胸毛ボーボボと血縁はありません。よく間違われますが」
あったようだった。食い気味の否定は肯定に他ならない。
「コイツムナゲノイモウトコイツムナゲノイモウトコイツムナゲノイモウト」
クロは割り切れるなにかを生成させる魔法の呪文を素早く唱え、
「オッシッ! バッチ来ぉ~い残念美人ッ!」
気合いを入れて立ち向かう。美人さんへと。さりとてスセリも、
「ふぅ~。これだから…」
負けていない。やれやれをしながら、含みを持たせた言葉を途中で切る。
「そ、その先言ったら戦争だかんなッ! い、言っちゃダメなヤツだからそれッ!」
「言ってませんよ。思ってるだけです。それより戻りますよ。総隊長がオコです」
指を指し指し地団駄を踏むクロの腕をギュッと掴んで、スセリはクロの右腕を小脇にホールドする。そんなことをされれば、クロは目がアワワ。
「あら~? まだ当ててませんよ?」
スセリは小悪魔。嗜虐的な笑みを浮かべて、そのままクロを強制連行。
「あ、当てるなよ? ふ、フリじゃないからな?」
クロは本気で懇願。スセリは、
「えい」
お約束。転瞬クロは思考回路がメルトダウン。
「今の二の腕ですよ? 似てるらしいですね」
「む、ムナゲと君みた…」
「えい。ね? 似てるでしょ?」
膝から崩れ落ちるクロを措き、
「ヤソ6スセリ。クロ長官代理をお連れ致しました。イエスエベっさんイエスッ!」
引き渡しを完了させるとびしりと敬礼。
「よくやった。後でビールをおごってやろう」
「ハッ! 光栄の極みッ!」
スセリは最敬礼。
「それで、そこのヒョロモヤシになにをしたのかね?」
獰猛な笑みでエベっさん。
「おっぱいのふりして二の腕を当てたらこうなったんであります!」
スセリの返しに、エベっさんは嘆息。
「くッ…いいパンチ持ってやがる…」
立ち直り、遠い目をしてクロ。
「なに健闘しました感だしてるのさ。ブリーフィングするって言ったのクロでしょ? 逃避と怠慢を――」
エベっさん、クロの頭へぬいぐるみチョップを叩きつけて説教開始。
「さーせんッ!」
クロは正座し反省を表明し、
「サルでも出来るもんなんか求めてない。ほら、喝入れの仕上げッ!」
エベっさんは、そんなクロの後ろ頭にぬいぐるみソバットを叩き込み、クロが苦手とする大勢のまえへと送り出す。
「第6から第8小隊は残れ。他は部署に戻れ」
送り込まれたクロは自身を奮い立たせて、通る声音に厳かな下知。鋭い眦に反発者たちを射貫き、
「会場の設営を急げ。ホワイトボードにパイプ椅子に机があれば良い。かかれ」
静かな声音に命じる。ヤチホコをはじめとした反発者たちは動けない。反抗ではなく、
「俺も助けよう。こい」
雑務の遣り方がわからないのだ。
「スセリ。イナバ近隣の地図と、土地神の生息域、人どもとの交流に関する資料をかき集めてください」
クロは背中で語る。下知を飛ばしながら自らが動く。これこそが、
「スサさまがいらっしゃった時はこうだったのよ――ほらほら、スセリ隊長、資料の場所は第3資料室の7番キャビネットの五段目よ。クロ長官代理、他に必要な資料は?」
第6小隊副官のサシクニが倉庫から机を担いでくるクロに尋ねる。
ツクヨから貰った名簿によれば、彼女は第5世代だったはずだ。どことなくスセリやアナムチが薫る面影に、
「地脈の流れがわかる資料が欲しい。なければ現地で調査するし地脈を喚ぶから構わない」
母親であると直感する。簡潔に答えて、
「ウカノ、軽食の手配をお願いします」
なにやらクマノと話し込むウカノに依頼する。
「クロ長官代理、ホワイトボードの設置はここでよろしいか?」
時おりアナムチや、
「えっ、これどう開くの?」
「引っ張ればいいんじゃん?」
他のヤソ8がアンポンタン。
「よろしいわけあるかッ! 真ん中に置いてどうするッ! 前、前に置くの! そこぉ、力で開こうとすんなぁ! ボタンとか押すの! どっかにあるから!」
ポンコツに過ぎる。眩暈がする。クロの苛立ちが滲んだ怒号が大練兵場に木霊する。
旧きを知るヤソ隊の古参たちは、懐かしき喧騒の復活にホッと胸を撫でおろす。
はじめは不承不承に手を動かしていたヤソ隊士たちも、だんだんコツを掴んでイキイキと働き始めていた。
ブリーフィングの内容は、
「温泉外交?」
いたって簡潔だった。ホワイトボードに書き出された文字にヤソ隊のフロント部隊は困惑する。
「そう。温泉。心の洗濯。魂の洗浄――温泉饅頭、温泉卓球、風呂上がりの牛乳。あとはマッサージとか。いいかも」
まだ見ぬ温泉を夢見て、恍惚に茹だるクロ。
「クロ長官代理」
と、モノモチが挙手。
「どうぞ。モノモチ」
「温泉があるなんて聞いたことがないのですが。そもそも温泉外交ってなんスか?」
ごもっともなご質問。
「温泉があれば、みんな入りに来ます。そこで対話を試みます」
絶対的な自信を込めてクロは熱弁。
「ですから温泉なんて」
「ないなら造ります。皆さんは人ですか? 違うでしょ? 神さまなんだから温泉くらい造れなくてどうしますか」
懐疑的な目を向けてくるフロント部隊に、
「温泉なんて地脈と地熱に温められた温水です。そんなに難しい工事じゃない。それに、このプロジェクトが成功した暁には――」
よく通る声音にクロは説く。そして、
「お祭りを催します」
釣る。餌で。
「「「「お祭りッ?」」」」
もっとも釣れたのは、古参と七代とウカノのみだ。年若いフロント部隊たちは祭りの楽しさを又聞きでしか伝えられていない。
「そうお祭りです。これが開催できれば正真正銘ナカツクニのヒーローです。違いますか姪っ子殿?」
ここでクロはウカノとの関係性をアピール。先程のアナムチのようにウザ絡みされても面倒だ。尚且つ、
「もちろんです伯父御さまッ! ウカノのヒーローに任命ですッ!」
そのアイドル性さえも利用する。
「「「「マジでッ?」」」」
案の定に釣られるアンポンタンメンズ。釣られぬウィメンズには、
「温泉は肌によく血流を健常に正します。つまり美容に効きます」
別で釣る。駄目押しに、
「尚且つ飯が旨い。お祭りの飯も旨い。ちょっといつもと違う異空間、いつもと違う雰囲気のあなたたちに野郎共の視線とハートは釘付け。さあ盲目の始まりだぁ~!」
食い気と恋話で釣る。
美容と美食と恋愛関連――神代の頃から女性の関心事は普遍である。
「「「「やだウソ受けるぅ」」」」
この単語が出れば、乙女のガードはノーガード。――えっ? 封印されていたクロがなんでそんなことを知ってるかって? 聞いてやるなよそんなこと。恋愛シュミレーションと、HowTo本の知識に決まってんじゃん。おっと、この先を紡ぐと戦争になるからお口をチャックだ。
「く、クロさまッ!」
ここでイワノ。なにやら意を決したような眦に挙手。
「どうぞ。イワノ」
名前を呼ばれてイワノは硬直。答えぬイワノにクロは怪訝。ここで、
「当然だ。このエベっさんが保証しよう。このヒョロモヤシは、チョロインだ。ヤローだけどチョロインだ。脇が甘々の蜂蜜まみれのベタインだ。だから励め。そして、仕事も励め。安心せよ。そなたらは美しい」
エベっさん、チョロインなベタインをフォロー。そして無駄にダンディ。
「「「イエスッ! エベっさんッ! イエスッ!」」」
フロント部隊武闘派女子は、獰猛に唱和。肉食な熱視線でクロを射貫き、
「えっ、どゆこと?」
射貫かれたクロは、ひとり困惑。問いかけるように視線をウカノたちに向けると、
「「「ふぅ~。やれやれだぜ」」」
揃ってやれやれをされてしまう。
軽食のマスタードサンドを一口パクり、
「じゃあ、食べながら聞いてくれ。ヤソ8は周囲の警戒と護衛と掘削作業の補佐に回ってもらう――」
提案しながら、現場の意見を吸い上げ擦り合わせを行う。
掘削のメインはヤソ6とアナムチ。ヤソ8とヤソ7は掘削チームの護衛と警戒。ミモロとヤチホコは斥候と配置が決まる。
「勝手に地脈をいじるとクレームくるんじゃねぇか?」
この辺りに良質な龍穴がない。クロは当初の予定通りに龍穴をこさえ地脈を喚ぶことにした。するとコロクから待ったがかかる。
「誰からさ?」
「「ナキから」」
一瞬だけ表情が硬直したのをクロは感じていた。ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出す。クロの心に過去の景色が過る。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
タンポポ柄の帽子を被った男が、なにやら話していた。エベっさんが男のことを辛辣に詰っている。少しだけ溜飲が下がる。これ以上は、
「もういいよ。エベっさん――あんたも、もう帰ってくれ」
エベっさんが汚れてしまう。クロは嘆息し、
「エベっさん…いつもすまないねぇ…」
「クロっさん…それは言わない約束でしょ…」
クロとエベっさんは、オヨヨなお決まり。
「き、聞いて欲しいウツシ――」
「その寿限無みてぇな名前で呼ぶなよ…」
タンポポの言葉に、冷たな眦で言葉を被せ、
「その弟はどうなる? 俺はあんたの子だ…確かにそうだろう…」
心のダムは即座に決壊。
「そいつはテメェの子供じゃねぇのかッ? テメェは親じゃねぇのかッ?」
感情を大音声に叩きつける。透けた手をいくら握り締めようと痛みと叫びを伝える拳にはならない。クロはそれがどうにも、もどかしかった。悔しかった。親が犯そうとしている過ちを正してやれない無力な自分が哀しかった。
「お取り込み中ですか?」
そこに現れる。タンポポは姿を消し、
「あなたが、かぐさんのお兄さんの――」
スサ――末の弟が。十代に入ったばかりくらいの容姿をした少年だ。声も変わっていない。長い黒髪をうなじの辺りで束ねていて、話を聞いていなければ、女の子と見紛うほどの美少年だ。
「クロって言うんだ。おまえは?」
「はじめまして、大兄さま――スサノオと申します。ぼくのことはスサとお呼びください」
ペコリと可愛らしい仕草で御辞儀をするスサに、
「兄貴面するつもりはないよ。クロでいい。それでスサ、ここに何の用さ?」
努めてフランクにクロは接する。きっとスサがナカツクニに往けば悲しむ者が大勢いるに違いない。愛くるしいスサを見ていてクロはそう直感する。そんな真似はさせられない。させやしない。クロは口とは裏腹に兄貴をすると即決する。
「神爪を使った神術の実技講習です。それから、ここはぼくの赴任先の候補なんですよ」
「へぇ~。トツカの神爪か、スサくらいの子がトツカを解放させる――」
しばらく程も言葉を交わし、それからしばらくクロとスサの研鑽合戦が始まった。神術に関してはクロは一家言ある程に研鑽を重ねている。ただ、肝腎の神爪が顕現していないためにクロには神術が使えない。
「で、できましたよクロッ!」
神術の成功に無邪気に喜ぶスサの姿に、
「俺ならそこに、この術式とこの術式を――」
クロは楽しくなる。自分で思い描いていた術式を、次々スサに叩き込んでやる。
研鑽を続ける時がしばらく程も続いた頃、
「ここアイスプラントも育たない…えっ、ぼく、ここにいらない子?」
スサは大海原の過酷な環境に膝を突きかける。
「農業には厳しいかもね。かと言って漁業もねぇ…」
ここで兄貴なクロに、
「なぁスサ。ここに漁業や農業を興す裏技があるんだが…」
出来心。
「裏技、ですか?」
「そう裏技――禁厭って術があるんだ…」
スサは、
「なにそれ欲しいッ!」
食いつく。
「ならウケイをしようぜスサ?」
食いつくスサに少しだけ胸が痛む。
「受けてたちますよクロ――」
「勝利条件は簡単だ。おまえが俺を見捨てたら俺の勝ち。おまえが俺を助けたらおまえの勝ちだ」
キョトンと小首を傾げるスサに、
「ウツシクニタマノミコトが命ずる。この封を汝が佩きし剣にて打ち砕け――ウツシクニタマノミコトが命ずる――汝スサノオノミコトからウツシクニタマの記憶を消せ」
言霊を発動させる。後のことはエベっさんがやってくれる。エベっさんは禁厭サークルの古参メンバーだ。スサは大海原でエベっさんと据わり、自分は自己犠牲に弟を守った兄貴として消えるだけ。自己満足な自己犠牲を自嘲気味にクロは微笑い、
「そう、ですか…」
封印を打ち砕いて折れた剣を地に叩きつけ、掠れる意識の中でスサは忌々しげに吐き捨てる。
「あな、たもそう思い…ますかエベっさん…」
薄れ往く意識の中で目を向けるとエベっさんが、スサの足にすがり付き乞うている。言葉を発さずコクコク首肯し乞うている。
「まったくクソッタレですよクロッ!」
転瞬スサは、残滓と消えかけるクロとエベっさんのふたりを自身に取り込み、その場で気を失った。
★ ★ ★ ★ ★ ★
その後、クロはエベっさんに説教をされた。自己満足な自己犠牲をしようとしたことを。
スサに取り込まれる直前に見たナキの顔がチラつき、チクりと胸が痛くなる。
「無断が駄目なら筋を通すだけさ。ウカノ。ツクヨは次にいつ来ますか?」
「叔父貴のスケジュールならヤカミが把握しています。月の特命課長ですから。プッ」
意地悪く吹き出し、ヤカミの嫌がるフレーズを暴露すると、
「ちょぉぉ、ウカノ姉ちゃん!」
ヤカミがウカノに飛びかかって止めに入るがもう遅い。
ウカノは嫌だった。暗く沈んだ面持ちのクロに、前向きなこの空気が萎んでしまうことが。ゆえにヤカミを弄って道化にする。
「ヤカミ。ツクヨに仲介を頼みたい。コロク小父さんたちに間に入ってもらうと、ナキの意見を封殺しかねない。お願いできますか?」
クロは弄らない。ただ遠い目をしてホワイトボードを見つめている。
「い、弄らないんですか? あたしの弱いところ…じ、焦らしプレイですか?」
クロはコーヒーを一口。濁った視線をホワイトボードに貼りつける。
ヤカミも嫌だった。この楽しげな雰囲気が萎んでしまうことが。だから、どうとでも道化を演じてやる。
「ほ、放置プレイね? いいわよ――」
「ヤカミ」
ウカノがヤカミを止めに入ると、
「うっさいよ特命課長――」
クロは嘆息、リクエスト通りに弄るが、
「ならッ! そんな寂しい目ぇすんなぁッ!」
ヤカミはウカノの制止を振り払い吼える。
「クロさまが、そんな哀しい顔すんなら、お祭りなんかいらないッ! だって、これ思い出して楽しめるわけないもん。地脈ってのが必要なら、そこまでビッグボアを誘導すればいいじゃんッ!」
吼えるヤカミに、
「うっさいよ残念美人――計画に変更はねえ。無計画なおまえらのプランなんざ採用できないよ。今はまだ。な」
強めのチョップ。コーヒーを一息に飲み干し、エスプレッソな苦味と甘味にお口と心をリフレッシュ。
「おい、アナムチ――いい女、嫁に貰ったな…」
ポツリと置くと、
「はいッ! 自慢のワイフです――」
アナムチがガハハと笑って答える。
「えい」
と、スセリ。笑うアナムチの開いた胸襟に粘着テープをベタリと貼り、
「えい!」
ビリリと一息に引き剥がす。突然の理不尽に自慢の胸毛は無残、
「んぎゃあッ! な、なにしやがるスセリッ!」
アナムチは涙目で提訴。
「別に」
スセリは理不尽に訴えを棄却する。
「「「スセリさまじゃ。スセリさまのご降臨じゃあ」」」
ヤソ隊士たちはザワつき、
「はいケンカしな~い。ウカノ。用意して欲しい物があります手配をお願いできますか」
クロはスルーし、会談の準備に動き出す。
カップが違う気がする。エスプレッソなのに。