↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/63

第57話 盤上の仮面劇


 天を突くような大理石の柱が並び、燦然たる水晶のシャンデリアが至高の光を落とす、ヴェルスーン帝国・拝謁の間。

 

 玉座に座す皇帝ガルディアが放つ絶対的な威圧感の中、両国の文官や高位貴族たちが左右に居並び、張り詰めた沈黙が空間を支配していた。


 その中央、公式の外交交渉という名の「盤上」に足を踏み入れたエミリアは、一転して可憐な花のような笑みを咲かせていた。


「──まぁ、帝国のお茶はとても香り高いのね。わたくし、故郷でもよくロマンス小説を読みながら、こんな素敵なお茶会を夢見ていたの!」


 鈴を転がすような声。お転婆で無邪気な第三王女の仮面を完璧に被り、エミリアは楽しげに語る。他愛のない恋バナや、両国のロマンス小説の合同出版といった、外交の場には不釣り合いな世間話。帝国の文官たちは「これだからお転婆姫は」と内心で鼻で笑い、緊張を緩める。

 だが、その言葉の節々に、極上の「猛毒」が仕込まれていることに凡庸な脳髄では気づけない。


「例えば……そう、小説の中で国境の川を挟んで愛を誓い合う恋人たちがいたとして、その川の管理権がどちらにあるかで、お話の結末が変わってしまいますわよね? 現実の『大陸河川共同管理条約・第十二条』のように、未確定の境界における緩衝地帯での偶発的な衝突は、不可抗力として処理されるべきなのでしょう? ふふ、なんだかロマンチックね。」


 少女の空想を装いながら、エミリアは明確に「国際法のバグ」を突いていた。

 先日の国境衝突を、条約の盲点を利用して「不可抗力の事故」へとすり替え、帝国側に全面的な非を認めさせようとする巧妙な論理の罠。


 エミリアの背後に控えるガルディニア王国のレイナード補佐官は、その完璧な論理展開に、内心で勝利を確信していた。これほど精緻に組み立てられた法理の罠を、帝国の無骨な騎士どもが切り崩せるはずがない、と。


「──失礼。そのロマンチックな物語に、少々不粋な脚注を加えさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 静寂を破ったのは、低く、しかし一言一句が拝謁の間の大理石に染み渡るような、澄んだ声だった。

 車椅子に深く腰掛けた、薄い茶髪の青年──トア・レンバート。

 衣服の上からでも分かるほど華奢で、儚げな顔立ちをしたその青年の背後には、他者を寄せ付けない冷徹な覇気を纏った白銀の髪の美女、アルテリゼが影のように寄り添っている。


 トアの瞳がかすかに光を帯びた瞬間、彼の脳内では、世界を構成するすべての「ルール」が数式(プログラム)として展開されていた。国際法、過去の判例、条約の文言──それらが青い光の文字列となってトアの視界を埋め尽くし、瞬時に再演算されていく。


「王女殿下、あなたの引かれた『大陸河川共同管理条約・第十二条』は、確かに緩衝地帯での衝突を不可抗力と定めています。……ですがそれは、百二十年前の『百日戦役』の後に結ばれた『ヴェルサイム古法』の附帯決議、その第三項によって完全に上書き(ハッキング)されている。──『意図的な兵站の事前配置、および偽装された命令書の存在が確認された場合、その適用を免除する』」


「……っ!?」


 レイナード補佐官の顔から血の気が引いた。そんな一世紀以上前の、歴史の闇に埋もれた判例を、この病弱な青年は平然とそらんじてみせたのだ。

 トアの淡々とした、しかし容赦のない逆襲(書き換え)は止まらない。


「さらに言えば、今回の国境侵犯を主導したガルディニアの部隊長は、出発の三日前、本国から『特定の座標で帝国軍を挑発せよ』という極秘命令書を受け取っている。その命令書の署名は……エミリア殿下、あなたの実の姉君である『第一王女』の筆跡、および魔力刻印と完全に一致しました。証拠の写しは、すでに我が方のグレン騎士団長の手によって、こちらの机上に」


 トアが指し示した書面──第一王女の魔力刻印がはっきりと刻まれた写しを見た瞬間、レイナードは喉を詰まらせた。


 否定のしようがない、完璧な物証。

今回の事件が、ガルディニア王国の第一王女派による「自作自演の謀略」であったことが、白日の下に晒された瞬間だった。


(な、なんだこの男は……!? 帝国の防衛陣形を書き換えただけでなく、本国の最高機密である第一王女の動向まで、すべてハッキングしていたというのか……!?)


 レイナードは底知れぬ恐怖に身体を震わせた。

しかも、恐怖はトアの頭脳だけではない。トアの車椅子の後ろから、リゼが「これ以上トアに脳を使わせたら、お前の命はない」とでも言うような、肌を突き刺す極限の殺意を放っているのだ。だが、その冷徹な殺意とは裏腹に、トアが「大丈夫だから」と優しくリゼの手を撫て宥めると、彼女の頭上の竜耳が「ぴこぴこ」と嬉しそうに動く。

 

 その凶悪無比な半竜の武力と、トアの圧倒的な知性の挟み撃ちに遭い、レイナードは未だかつてない胃の激痛に襲われ、腹を押さえてその場に頽れた。

 しかし、その緊迫し、凍りついた空間の中で──ただ一人、歓喜の笑みを浮かべる者がいた。


(素晴らしい……! 素晴らしいわ、トア・レンバート……!!)


 エミリアは、扇で隠した口元を歓喜に歪ませ、そのエメラルドグリーンの瞳を狂気的に爛々と輝かせていた。


 彼女の真の目的は、帝国の打倒ではない。自国で目障りだった姉(第一王女)の権勢を叩き潰すこと。トアは、エミリアの目論見を完璧に見抜き、彼女の手を汚すことなく、姉の陰謀を完璧な証拠と共に粉砕してくれたのだ。


  お転婆なピエロの仮面の奥で、エミリアはトアという至高の知性に対する、異常なまでの執着の炎を燃え上がらせていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。