気力と武法
目が覚めると、最初に目に入ったのは見慣れた天井だった。
柔らかな光が窓から差し込み、部屋の中を静かに照らしている。
身体を起こそうとすると、少しだけ重さを感じた。
しかし、それは昨日まで感じていた疲労とは違う。
身体の奥に残っていた力が、ゆっくりと戻ってきているような感覚だった。
ふと横を見る。
そこにはノクスが椅子に座り、こちらを見ていた。
どうやらずっと側にいてくれたらしい。
「おはよう、アステル。体調は大丈夫になったかい?」
いつもと変わらない穏やかな声。
俺は小さく頷く。
「はい。もう大丈夫です」
そう答えた瞬間、昨日の戦いの記憶が蘇る。
俺はLv.30のゴーレムとの戦闘で、最後の力を振り絞って勝利した。
圧倒的な防御力。
人間とは比べ物にならない力。
そして、何度攻撃しても倒れない異常な耐久力。
あの戦いでは、一瞬でも判断を間違えていたら勝つことはできなかった。
俺は魔法を使い続け、最後には神力まで使って攻撃した。
その結果、ゴーレムを倒すことはできた。
しかし、その代償として俺の身体は限界を迎えた。
魔法を発動するために必要な魔力。
神聖な力を扱うために必要な神力。
その二つをほとんど使い果たしたことで、身体を動かす余裕すらなくなり、その場で倒れてしまったのだ。
「俺……みんなに迷惑をかけましたよね」
そう呟くと、ノクスは少し笑った。
「迷惑じゃないよ」
「でも……」
「アステル」
ノクスは俺の言葉を遮る。
「君がいなければ、あのゴーレムを倒すことはできなかった」
「戦いでは、誰かが危険を背負わなければならない時もある。それに、仲間が倒れた時に助けるのは当然のことだよ」
その言葉を聞いて、少しだけ気持ちが軽くなった。
それでも、感謝を伝える必要はある。
助けてもらったことを当たり前にしたくはない。
次に教団のみんなに会った時には、必ず礼を言おう。
そして、俺は自分の中に意識を集中させる。
確認したいことがあった。
昨日の戦いで、俺は確かに強くなった。
その証拠を、自分の目で確かめたかった。
この世界には、自分の成長を確認するための特殊な能力が存在する。
それが「ステータス確認」だ。
誰もが使えるわけではないが、一定の力を持つ者や神の加護を受けた者は、自分自身の能力を数値として見ることができる。
ステータスには、その人間の生命力、身体能力、魔力適性、神聖力など、様々な情報が記録されている。
もちろん、数字だけが全てではない。
戦闘経験や判断力、技術など、数値では表せないものも存在する。
しかし、それでもステータスは、この世界において重要な指標だった。
冒険者たちは自分の成長を確認するため。
騎士たちは訓練の成果を見るため。
魔法使いたちは魔力の成長を確認するため。
多くの者が、この数値を一つの目標としている。
俺は頭の中で強く念じた。
すると、目の前に透明な画面が浮かび上がる。
==========
アステル
種族:人族
職業:魔術師
所属:ノクス教団
LEVEL
Lv.25
HP 825
MP 650
筋力 75
敏捷 60
魔力 100
神力 50
スキル熟練度
・火球魔法 Lv.1
・ヒール Lv.1
・ホーリーボルト Lv.1
==========
「……」
思わず言葉を失った。
レベル25。
以前の俺とは、完全に違う。
Lv.30のゴーレムを倒したことで、大量の経験値を得たのだろう。
レベルが15も上がっている。
そして何より驚いたのは、ステータスの変化だった。
以前の自分と比べると、ほとんど全ての能力が大きく上昇している。
まるで別人になったような感覚だった。
俺は試しに腕を軽く振る。
――ブンッ!
空気を切り裂く音が部屋に響いた。
「……速い」
ただ腕を振っただけ。
それなのに、以前とは明らかに違う。
動きが軽い。
身体が自分の意思より先に反応しているようだった。
「すごい……」
自然と声が漏れる。
身体の隅々まで力が満ちている。
筋肉に力を入れると、今まで感じたことのないほど強い力が湧き上がる。
試しに、部屋に置かれていた木製のベッドへ手を伸ばす。
昨日までなら、大人でも簡単には動かせないほどの重さだった。
しかし――。
片手で持ち上げる。
「……軽い」
信じられなかった。
まるで空箱を持っているようだった。
俺はゆっくりとベッドを下ろす。
「レベルが上がるって……本当にこういうことなんだ」
その様子を見ていたノクスが、小さく笑った。
「ふふっ」
「何がおかしいんですか?」
「いや、君が自分の成長に驚いている姿が少し面白くてね」
ノクスは立ち上がり、窓の外を見る。
「でも、当然のことなんだよ」
「当然?」
「ああ」
ノクスは外の街並みを眺めながら説明を始めた。
「この世界では、レベルが上がるということは、単純に能力値が増えるという意味ではない」
「神から与えられる加護によって、身体そのものが作り変えられていくんだ」
「身体そのもの……?」
「そう」
ノクスは頷く。
「筋肉だけが強くなるわけじゃない」
「骨は強度を増す。筋肉はより効率よく力を発揮できるようになる。内臓は強化され、より長時間戦える身体になる」
「さらに、神経の反応速度も上がる」
「だから、高レベルの人間は見た目が普通でも、実際の身体能力は普通の人間とは大きく違う」
俺は黙って聞いていた。
確かに、今の自分の身体なら理解できる。
以前なら避けられなかった攻撃。
以前なら持てなかった武器。
以前なら使えなかった魔法。
それらが、今なら可能になる。
「だから、この世界ではレベルがとても重要なんだ」
ノクスは続ける。
「もちろん、レベルだけで全てが決まるわけではない。経験、装備、仲間との連携。それらも重要だ」
「だけど、レベルはその人間の基礎となる力なんだ」
俺はもう一度、自分のステータスを見る。
数字の一つ一つが、ただの情報ではなくなっていた。
これは、俺が戦ってきた証。
苦しみながらも前へ進んできた証。
そして、これからさらに強くなるための土台だ。
「ステータスって……ただの数字じゃなかったんですね」
俺が呟くと、ノクスは微笑んだ。
「そうだよ」
「ステータスは、その人間が歩んできた道の記録でもある」
「どんな敵と戦ったのか」
「どれだけ努力したのか」
「どれだけ成長したのか」
「その全てが、この数字に刻まれている」
俺は拳を握る。
昨日までの自分とは違う。
確かに強くなった。
でも、まだ足りない。
この世界には、まだ俺の知らない強敵がいる。
もっと強くならなければならない。
守りたいものを守れる力を手に入れるために。
「……頑張ります」
小さく呟く。
ノクスは満足そうに頷いた。
「その気持ちがあるなら、君はもっと強くなれるよ」
朝の光が部屋を照らす。
新しい力を手に入れた俺の、新しい一日が始まった。
「それと」
ノクスは何かを思い出したように、俺の方へ振り返った。
「スキル熟練度も見てみな」
「熟練度?」
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げる。
レベル。
ステータス。
スキル。
この世界には、前の世界では考えられないような仕組みが存在している。
しかし、スキルを覚えた時点で終わりではないらしい。
ノクスの言葉に従い、俺はもう一度ステータス画面を開く。
==========
スキル熟練度
・火球魔法 Lv.1(28%)
・ヒール Lv.1(41%)
・ホーリーボルト Lv.1(35%)
==========
表示された数字を見て、俺は少し驚いた。
「数字が増えてる」
以前見た時には、スキル名とレベルしか表示されていなかった。
しかし、今はそれぞれのスキルの横に百分率が表示されている。
火球魔法は28%。
ヒールは41%。
ホーリーボルトは35%。
つまり、俺が今まで使ってきた魔法の経験が、数値として記録されているということだ。
「その百分率が熟練度だよ」
ノクスが説明する。
「熟練度というのは、そのスキルをどれだけ使いこなせているかを示す数値だ」
「魔法は、覚えた瞬間に完成するものではない」
「同じ魔法でも、初めて使う者と、何百回も使い続けた者では、威力も精度も全く違う」
なるほど。
確かに、剣でも最初から達人のように振れるわけではない。
何度も練習し、経験を積むことで技術は向上する。
魔法も同じなのだ。
ただ覚えるだけではなく、使い続けることで自分の力になっていく。
「魔法や聖法は、使えば使うほど上達する」
ノクスは続ける。
「例えば、火球魔法を覚えたばかりの魔法使いなら、火球を一つ飛ばすだけで大量の魔力を消費する」
「それに、炎の大きさや速度も安定しない」
「でも、何度も使って熟練度を高めれば、少ない魔力で同じ威力を出せるようになる」
「さらに、魔力操作が上達することで、威力や速度も向上する」
つまり、熟練度とは単純な経験値ではない。
その魔法をどれだけ理解し、どれだけ効率よく扱えるかという技術そのものなのだ。
「熟練度が百%になると、スキルレベルが上がる」
ノクスが説明を続ける。
「スキルレベルが上昇すると、その魔法自体の性能が変化する」
「威力が上がる」
「消費魔力が減る」
「発動速度が速くなる」
「場合によっては、新しい効果が追加されることもある」
俺はステータスを見る。
今の俺の魔法は、全てLv.1。
まだ初歩の段階ということだ。
しかし、これから成長させることで、今とは比べ物にならない力になる可能性がある。
「ゲームみたいだな……」
思わず呟く。
レベルがあり。
ステータスがあり。
スキルがあり。
さらに熟練度まで存在する。
前の世界で遊んでいたゲームと、あまりにも似ている。
いや。
もしかすると、この世界そのものがゲームのようなシステムによって成り立っているのかもしれない。
だが、すぐに考えを改める。
ここはゲームではない。
魔物は本当に存在する。
戦えば傷を負う。
命を落とす危険もある。
だから、このシステムは遊びのために存在しているのではない。
この世界で生き抜くために与えられた力なのだ。
「じゃあ、同じ魔法を使い続ければ、どんどん強くなるってことか?」
俺が尋ねると、ノクスは頷いた。
「そう」
「でも、それだけじゃない」
ノクスは人差し指を立てる。
「一定以上まで熟練度を上げると、上位魔法を覚える条件になる」
「上位魔法……」
その言葉に、自然と興味が湧く。
今使っている魔法にも、その先が存在するということだ。
「魔法には、それぞれ成長の系統がある」
ノクスは説明を続ける。
「例えば火属性魔法」
「最初に覚えることが多いのは、単純な火球を飛ばす《ファイアボール》だ」
「しかし、それを極限まで鍛えることで、より高度な魔法へ派生する」
「例えば《ファイアランス》」
「これは炎を槍のように圧縮して放つ魔法だ」
「単純な火球よりも貫通力が高く、防御力の高い魔物にも有効になる」
「さらに《ファイアウォール》」
「これは広範囲に炎の壁を作り出す魔法で、敵の進行を防いだり、複数の敵を相手にする時に役立つ」
俺は想像する。
今の火球魔法は、小さな炎の球を飛ばすだけ。
しかし、鍛え続ければ槍になり、壁になる。
一つの魔法が、使い手によって全く違う姿へ変化するのだ。
「ヒールも同じだよ」
ノクスが言う。
「回復魔法にも成長段階がある」
「今のヒールは、小さな傷や疲労を回復する程度」
「でも、熟練度を高めていけば、より強力な回復魔法へ進化する可能性がある」
「将来的には、広範囲の味方を同時に回復する魔法」
「さらに高位の術者なら、失われた身体の一部を再生するほどの力を持つと言われている」
「再生まで……」
思わず息を呑む。
そこまでできるなら、回復魔法というより奇跡だ。
今まで俺は、強力な魔法を覚えるには新しい教本を手に入れるしかないと思っていた。
もちろん、魔術書から新しい魔法を学ぶ方法もある。
しかし、それだけではない。
今持っている力を磨き続けることで、自分自身の成長によって新しい可能性を開くこともできる。
この世界の魔法は、単なる技術ではない。
使う者の努力。
経験。
才能。
それら全てが組み合わさって、形を変えていくものなのだ。
「やはり、この世界の魔法は奥が深いな……」
俺が呟くと、ノクスは小さく笑った。
「そうだね」
「魔法は、ただ力を放つだけのものじゃない」
「自分自身を成長させ、その結果として新しい力を手に入れるものなんだ」
その言葉を聞いて、俺は改めて決意する。
もっと強くなりたい。
ただレベルを上げるだけではなく、自分の持つ力を完全に使いこなしたい。
「ところで、アステル」
ノクスが突然話題を変える。
「君は気も使えるのかい?」
「気……?」
聞き返す。
魔法とも聖法とも違う、新しい力。
「いえ」
俺は首を横に振る。
「まだ覚えてはいないです」
「でも……使えるようにはなってみたいです」
魔法だけではなく、他の力も扱えるようになれば、戦い方はさらに広がる。
これから先、どんな敵と出会うか分からない。
ならば、一つでも多くの力を身につけておきたい。
ノクスは満足そうに頷いた。
「なるほど」
「じゃあ、出かけようか」
その瞬間、俺は嫌な予感がした。
「あ、この流れ……」
以前にもあった。
新しい力を求める。
ノクスが提案する。
そして向かう場所は――。
「教本屋ですね」
俺が言うと、ノクスは笑った。
「正解」
やっぱりそうだった。
あの不思議な婆さんがいる教本屋。
以前訪れた時も、普通では知ることのできない魔法の知識を教えてくれた。
ならば、今回も気について何か知っているかもしれない。
「はい」
俺は立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうか」
新しい力を手に入れるために。
そして、この世界に隠されたさらなる秘密を知るために。
俺とノクスは部屋を出て、街へ向かった。
◇
「おや、また来たのかい」
魔術書屋に入ると、店の奥から老婆の声が聞こえてきた。
薄暗い店内には、前回来た時と変わらず大量の本が並んでいる。
壁際の棚には魔法書、聖法書、そして武法書。
どの本も普通の書物とは違い、この世界で生きるための力や知識が込められている。
一冊読むだけで、何年もの修行に匹敵する知識を得ることができる。
そのため、これらの教本は非常に高価だ。
正直に言えば、俺はこういう高価なものを買う時、少し緊張する。
前世からの性分なのだろうか、俺は無駄な出費があまり好きではない。
必要なものなら迷わず買う。
しかし、少しでも安くできるなら、その方法を探したいのが本音だ。
冒険者として活動するなら、金は重要だ。
武器、防具、薬、食料。
強くなるためには力だけではなく、それを維持するための資金も必要になる。
だからこそ、節約できるところは徹底して節約したい。
そんなことを考えていると、カウンターの向こうにいた老婆がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「今日はどんな教本をお求めで?」
相変わらず商売人らしい目をしている。
この婆さんは金に厳しい。
価値のあるものなら、それに見合った金額をしっかり要求する。
しかし、ただ金に執着しているだけではない。
この店に置かれている本の価値を誰よりも理解しているからこそ、安売りをしないのだ。
「アステルは気を扱えるようになりたいらしいから、武法『初級』の教本を頼むよ」
ノクスがそう言った瞬間だった。
老婆の表情が変わった。
いつもの余裕のある笑みが消え、驚いたように目を見開く。
「……気を?」
「気力も持っているのかい」
その反応に、俺は少し驚いた。
どうやら、気力を持っていることはかなり珍しいらしい。
「3属性持ちなんて初めて聞いたよ」
老婆は俺をじっと観察する。
3属性。
その言葉の意味はすぐに理解できた。
魔力。
神力。
そして気力。
この世界には、様々な力が存在する。
魔力は、魔素を利用して現象を引き起こす力だ。
炎、水、風、土などの属性を操り、遠距離から攻撃することができる。
神力は、神から与えられる聖なる力。
回復や浄化、魔物への攻撃など、人々を守るために使われる。
そして気力。
それは、自分自身の生命力を利用する力。
魔力が外へ力を放つものなら、気力は自分自身を強化する力だ。
身体能力の向上。
反射速度の強化。
武器への力の付与。
高位の武人になれば、気を放出して攻撃することすら可能になる。
つまり、気力とは肉体そのものを鍛え上げるための力なのだ。
(転生者だからかな……)
俺は心の中で小さく呟く。
なぜ自分だけが三つの力を扱えるのか。
転生した影響なのか。
それとも、転生後の身体――アステル自身が特別な才能を持っていたのか。
答えは分からない。
しかし、慎重で現実的な俺としては、確かなことが一つだけある。
この与えられた力を無駄にするつもりは一切ないということだ。
せっかく得た可能性なら、合理的に最大限利用するべきだ。
「今回はサービスだよ」
老婆が突然言った。
「銀貨3枚で買っていきな」
「え?」
思わず聞き返す。
驚いた。
あの金に厳しい婆さんが値引きするなんて、予想していなかった。
前回来た時の印象では、一枚でも多く金を取ろうとするタイプだと思っていたからだ。
「いいのかい?」
ノクスも珍しく驚いた顔をする。
老婆は鼻を鳴らした。
「勘違いするんじゃないよ」
「私は価値のないものを安く売っているわけじゃない」
「珍しい才能を見ることができた。その礼さ」
どうやら、この婆さんなりのサービスらしい。
金には厳しい。
だが、珍しいものや価値のあるものには、それなりの対応をする。
そういう職人気質の人なのだろう。
「ありがとう。婆ちゃんまたくるね」
俺がそう言うと、老婆は少し呆れた顔をした。
「婆ちゃん……ねぇ」
そう言いながらも、少しだけ嬉しそうだった。
店を出る前、俺は財布の中の銀貨をしっかり確認する。
予定より安く買えた。
よし、少し得をした気分だ。
こういう小さな節約の積み重ねが、後々大きな差になる。
それは前世でも、この世界でも変わらない俺の主義だ。
ノクスを見ると、彼女も嬉しそうだった。
きっと同じ理由だ。
無駄な出費を減らせたことが嬉しいのだろう。
「じゃ、教本を読んでみて」
教本屋を出た後、ノクスが言った。
俺は武法『初級』の教本を手に取る。
魔法の教本とは違い、そこには身体の使い方や呼吸法、気力を循環させる方法が記されていた。
気力は、ただ力を込めれば使えるものではない。
自分の身体の中にある力を感じ取り、それを正しく流す必要がある。
俺は教本を胸に当てた。
すると、頭の中へ大量の情報が流れ込んでくる。
気力の性質。
扱い方。
鍛錬方法。
様々な知識が、一瞬で理解できる。
しかし――。
「……痛くない」
以前、魔術書を読んだ時には強烈な痛みがあった。
大量の情報を受け止めきれなかったからだ。
だが今回は違う。
少し頭が重い程度で、痛みは全くなかった。
(ステータスが上がったからか……)
レベルアップによって、精神的な器も成長したのかもしれない。
俺は頭の中のスクリーンを確認する。
==========
魔力 100
神力 50
気力 10
==========
新しい項目が追加されていた。
気力。
たった10。
しかし、俺にとっては大きな一歩だった。
今まで二つだった力に、第三の力が加わった。
「帰ったら、気力も練習しようね」
ノクスは嬉しそうに言った。
自分の信者である俺が成長していくことが嬉しいのだろう。
その表情を見て、俺も少し嬉しくなる。
魔力。
神力。
気力。
三つの力を持つ自分が、これからどこまで成長できるのか。
まだ分からない。
しかし、可能性があるなら挑戦するだけだ。
そして俺たちは、魔術書屋をあとにした。
新しい力を手に入れるための第一歩を踏み出しながら。
ホームに帰ってから、俺は気力の練習を続けていた。
武法『初級』の教本に書かれていた内容を思い出しながら、ゆっくりと呼吸を整える。
気力とは、魔力や神力とは全く違う力だった。
魔力は体内にある魔素を利用し、外部へ現象として放出する力。
神力は神から与えられた加護を利用し、奇跡を起こす力。
それに対して気力は、自分自身の生命力を利用する。
つまり、己の身体そのものを鍛え上げる力だ。
そのため、気力の修行には魔法や聖法とは違った難しさがあった。
魔力ならば魔力を感じ取り、神力ならば神との繋がりを意識すればいい。
しかし気力は、自分自身を深く理解しなければならない。
身体のどこに力が流れているのか。
どこに無駄な力が入っているのか。
呼吸は乱れていないか。
精神は集中できているか。
全てを意識する必要がある。
「……難しいな」
俺は額の汗を拭う。
気力10。
ステータス上では小さな数字だ。
しかし、その10という数字を扱うだけでも、今の俺にはかなりの集中力が必要だった。
レベルが上がり、身体能力は大きく向上した。
以前なら持ち上げることも難しかった物を簡単に扱えるようになった。
だが、力が増えたからといって、すぐに全てを使いこなせるわけではないらしい。
慎重に、新しい身体と新しい力に少しずつ慣れていく必要がある。
「でも……」
俺は拳を握る。
確かに、昨日までの自分とは違う。
魔力。
神力。
そして気力。
三つの力を扱える可能性がある。
ならば、焦る必要はない。
一歩ずつ確実に成長していけばいい。
そう考えて、もう一度気力の循環を始めようとした時だった。
身体に疲労が一気に押し寄せてきた。
「……さすがに疲れたか」
気力は身体そのものを使う力だ。
魔法を使った時とは違う疲れがある。
筋肉だけではない。
精神まで消耗しているような感覚だった。
俺はそのままベッドへ倒れ込む。
「少し休むか……」
目を閉じる。
すると、すぐに眠気が襲ってきた。
昨日のゴーレム戦。
レベルアップ。
新しい力。
色々なことがありすぎた。
無理をして万全を欠くのは愚策だ。少しくらい休んでも罰は当たらないだろう。
そう思った瞬間だった。
**――コンコン。**
部屋の扉がノックされた。
「アステル、起きてるか?」
聞き覚えのある声。
レオンだ。
「起きてます」
返事をすると、扉の向こうから安心したような気配が伝わってくる。
俺は身体を起こし、扉を開けた。
すると、そこにはレオンだけではなかった。
ガイル。
フィーナ。
そして教団の仲間たちが集まっていた。
「おぉ、元気そうじゃねぇか」
ガイルが豪快に笑う。
その顔を見た瞬間、俺は思い出した。
そうだ。
俺はゴーレムを倒した後、魔力と神力を使い果たして倒れた。
仲間たちに迷惑をかけたんだった。
「心配かけてすみません」
俺が頭を下げると、レオンは肩をすくめた。
「気にするな」
「倒れるまで戦ったんだろ」
「むしろ、お前のおかげで全員生きて帰れた」
その言葉に胸が温かくなる。
自分の力が仲間の役に立った。
それが素直に嬉しかった。
「それより」
フィーナが明るい声で言う。
「アステルに知らせたいことがあるんだよ」
「知らせたいこと?」
「うん」
フィーナは笑顔を浮かべる。
「ギルドから呼び出しが来てるよ」
「ギルドから?」
「ああ」
レオンが真面目な表情になる。
「今回のゴーレム討伐について正式な報告が必要らしい」
「それと……」
少し間を置く。
「お前への褒賞があるそうだ」
「褒賞……」
俺は呟く。
ゴーレム討伐の報酬。
当然と言えば当然だ。
しかし、まだ実感が湧かない。
あれほど巨大な敵を倒した。
そして、その戦いの中心に自分がいた。
少し前まで、俺はこの世界に来たばかりで、何も知らない存在だった。
それが今では、仲間と共に強敵と戦っている。
「あと」
レオンが続ける。
「ギルドマスターがお前に直接話したいことがあるらしい」
「ギルドマスターが俺に?」
慎重な性格ゆえ、少し緊張が走る。
何か問題を起こしただろうか。
ゴーレムを倒した時、無謀な行動はしたが勝手な違反をした覚えはない。
……たぶん。
不安を感じながらも、俺は冷静に準備を始めた。
新しく作ってもらった黒鋼の軽鎧を身につける。
黒く輝く胸当ては、以前使っていた防具とは比べ物にならないほど頑丈だった。
腰には魔術杖を差す。
鏡を見る。
そこに映っていたのは、転生したばかりの頼りない少年ではなかった。
まだ未熟だ。
まだ弱い。
しかし、確実に前へ進んでいる。
「よし」
俺は仲間たちと共に、アクセルの街へ向かった。
◇
ギルドへ向かう道中。
街は朝から活気に満ちていた。
露店からは焼いた肉の香ばしい匂いが漂っている。
武器屋では鍛冶師が金槌を振るい、火花を散らしていた。
教会へ向かう人々は、それぞれが信じる神の名を口にして歩いている。
この街には七つの大きな教団が存在する。
それぞれが異なる神を信仰し、それぞれ違う加護を人々へ与えている。
その中で、ノクス教団は最も小さい教団と言われている。
俺は以前から、そのことが気になっていた。
昨日のゴーレム戦。
あれだけの連携。
あれだけの実力。
分析好きの俺から見ても、最弱と言われる理由が分からなかった。
レオンは戦闘経験豊富だった。
ガイルの力強い攻撃。
アイリの正確な魔法。
フィーナの高い索敵能力。
ゴルドの一流の鍛冶技術。
グラムの高度な聖法。
誰一人として、弱いとは思えない。
だからこそ、俺は率直に聞くことにした。
「なぁ、ノクス」
「ん?」
ノクスが振り向く。
「一つ聞きたいことがある」
「どうしたの?」
俺は少し考えてから口を開いた。
「ノクス教団って、どうして街で一番弱いって言われてるんだ?」
その瞬間。
空気が変わった。
先ほどまで笑っていたフィーナの表情が消える。
レオンは黙ったまま前を見る。
ガイルは小さく息を吐いた。
まるで、いつか聞かれることを覚悟していたようだった。
「……言う時が来たか」
レオンが静かに呟いた。
ノクスは少し困ったように笑う。
そして、近くにある人気のない公園へ歩き始めた。
「ここなら大丈夫かな」
木陰にあるベンチへ腰を下ろす。
仲間たちも自然と集まり、円になる。
しばらく誰も話さなかった。
やがて、ノクスが静かに口を開く。
「アステル」
「この街には七つの教団があるよね」
「ああ」
「でもね」
ノクスは空を見上げる。
「十五年前まで、この街には八柱の神が存在していたんだ」
ノクスの言葉が、静かな公園の中に響いた。
俺はその言葉の意味をすぐには理解できなかった。
八柱。
この街には七つの大きな教団がある。
それは、アクセルの街に住む人間なら誰もが知っている常識だった。
それぞれの教団が異なる神を信仰し、その神から与えられる加護によって人々の生活を支えている。
戦いに特化した神。
知識を司る神。
豊穣を司る神。
癒しを与える神。
神々は、この世界において決して切り離すことのできない存在だった。
だからこそ、ノクスの言葉は俺にとって大きな意味を持っていた。
本来、この街には七つではなく、八つの教団が存在していた。
つまり――。
一つの神が、この街から消えたということになる。
「今、この街で一番大きな教団はキリスト教団」
ノクスはゆっくりと話を続ける。
「でも、十五年前までは違った」
彼女は少し遠くを見るような目をした。
まるで、過去の光景を思い出しているようだった。
「その頃、二番目に大きかった教団が……ノクス教団だった」
「……」
俺は言葉を失う。
今のノクス教団からは想像できなかった。
街の片隅にある小さな教団。
信者も少ない。
他の教団と比べれば、力も影響力もない。
だからこそ、街の人々からは「最弱の教団」と呼ばれている。
しかし、それは本来の姿ではなかった。
十五年前のノクス教団は、この街でも有数の勢力を持っていた。
信者は約千五百人。
今の教団員の数とは比べものにならない。
多くの人々がノクスを信仰し、その加護を受けていた。
冒険者の中にも、ノクス教団に所属する者は多かった。
その中にはAランク冒険者も存在していたという。
Aランク。
それは、この世界でも一握りしか到達できない実力者の証だ。
強大な魔物を討伐し、国からも認められるほどの冒険者。
そんな者たちが何人も所属していた教団が、今では小さな集団になっている。
「どうして……」
俺は自然と口にしていた。
「そんな大きな教団が、どうして今みたいになったんだ?」
ノクスはすぐには答えなかった。
その沈黙が、逆に答えの重さを物語っているようだった。
しばらくして、彼女は静かに口を開く。
「十五年前」
「ある日、突然起きたんだ」
風が吹く。
木々の葉が揺れる音だけが聞こえる。
「ノクス教団の信者たちは、一夜にして消えた」
「……消えた?」
俺は聞き返す。
「うん」
ノクスは頷く。
「約千五百人いた信者が、誰一人残らずいなくなった」
背筋が冷たくなる。
千五百人。
それだけの人数が、一晩で消える。
普通ならありえない。
大規模な事件になるはずだ。
魔物の襲撃。
敵対する勢力との争い。
何かしらの痕跡が残るはずだ。
しかし――。
「戦った跡はなかった」
ノクスは淡々と言う。
「建物も壊されていなかった」
「武器や道具も残っていた」
「生活していた証拠も残っていた」
「でも……人だけが消えていた」
その話を聞いて、俺は言葉を失う。
まるで、人間だけが最初から存在しなかったかのようだった。
残された物だけが、そこにいた人々の存在を証明している。
しかし、本人たちはどこにもいない。
あまりにも不自然で、不気味な事件だった。
「調査はした」
今まで黙っていたグラムが口を開いた。
その声はいつもの豪快なものではなく、重く沈んでいた。
「王国も調べた」
「冒険者ギルドも調べた」
「他の教団も原因を探った」
「だが……」
グラムは首を横に振る。
「何も分からなかった」
沈黙が流れる。
誰も、その続きを急かそうとはしなかった。
それほどまでに、その事件は重いものだったのだろう。
「唯一、変化があったものがある」
グラムが続ける。
「祭壇じゃ」
俺はノクス教団の祭壇を思い出す。
初めて見た時から、どこか不思議な場所だった。
美しい。
神聖な雰囲気がある。
しかし、同時に何か足りないような感覚もあった。
「十五年前から、祭壇の力は少しずつ弱まり続けている」
グラムの言葉が響く。
「神の加護を生み出す場所が、力を失っているんじゃ」
俺はノクスを見る。
彼女はいつも明るく振る舞っていた。
信者が少なくても。
他の教団から軽く見られても。
それでも笑顔を絶やさなかった。
しかし、その裏には十五年間も抱えてきた秘密があったのだ。
「実はね」
ノクスが静かに話し始める。
「私、本来の力をほとんど失っているんだ」
「……え?」
思わず声が漏れる。
「今、君たちに与えている加護」
ノクスは俺を見る。
「魔力、神力、気力が1.2倍になる加護」
「あれは、本来の私の力じゃない」
「本当なら……もっと強い加護を与えられる」
「もっと多くの人を守れる」
ノクスはそこで言葉を止めた。
そして、自分の胸に手を当てる。
「でも、できない」
「私の神核が欠けているから」
「神核……」
聞き慣れない言葉だった。
「神様の力の中心になるものだよ」
ノクスは説明する。
「神核があるから、神は神として存在できる」
「そして、信者へ加護を与えることができる」
「でも……」
彼女の表情が少し暗くなる。
「十五年前」
「私の神核は奪われた」
その瞬間。
俺の中で、いくつもの疑問が綺麗に繋がった。
なぜノクス教団は衰退したのか。
なぜ祭壇は弱っているのか。
なぜノクスの加護は本来より弱いのか。
全ての原因は、十五年前の事件にある。
「でも」
ノクスは顔を上げた。
「この話は、街の誰にもしていない」
「他の教団にも秘密」
「知っているのは、この教団のみんなだけ」
そして――。
ノクスは少しだけ笑った。
「今日から、アステルもその一人」
俺は深く、静かに頷いた。
ただの弱小教団だと思っていた。
守るべき、小さな教団だと思っていた。
しかし違った。
ノクス教団には、十五年前から続く巨大な謎が眠っている。
消えた千五百人の信者。
失われた神核。
弱り続ける祭壇。
そして、未だ解き明かされていない真実。
俺はまだ知らなかった。
現実主義で慎重な俺が、やがてこの秘密と共に自分自身を大きな運命へ巻き込んでいくことを。




