キリスト教団 15幹部との戦闘
セドリックの姿が消えた。
残像すら残さないその消失に、俺の直感が警鐘を鳴らし続ける。死線の記憶が、全身の皮膚を粟立たせた。
俺は思考を介さず、反射的に身体を捻る。
直後、空気を引き裂く音とともに、強烈な拳が頬の真横を通り過ぎていった。圧搾された風が肌を激しく打つ。
「速い……!」
寸でのところで避けた直後、俺は地面を強く蹴り、跳躍するようにして大きく距離を取った。相手の攻撃間合いから逃れ、体勢を立て直すための退避。
だが、セドリックは追ってこない。ただ静かに、初めからそこに立っていたかのように拳を引いただけだった。その佇まいには、何の隙も見当たらない。
「今のを避けるか」
セドリックは淡々と呟く。感情の起伏を感じさせない声だった。
「避けるだけならな……っ」
俺は流れる汗を拭い、拳を握り直す。
受けたわけでもない。ただかすめた風の圧力と、回避のために強引に捻った腕がジリジリと痺れている。
たった一度、拳を交えた――いや、交わすことすら叶わずに攻撃をかわしただけで、分かってしまった。
こいつは強い。
生半可な強さではない。単純にステータスが高いだけ、レベル数値が大きいだけというわけではないのだ。無駄の徹底的に削ぎ落とされた体の使い方、戦闘における絶対的な呼吸の支配。それがセドリックという男の地力だった。
「行くぞ」
静かな一言の直後、セドリックが鋭く踏み込んだ。距離を一瞬でゼロにする踏み込み。
右。
視界を覆う右拳。俺は交差させた前腕で受ける。ガツンと骨を揺らす重撃。
左。
追撃の左ストレート。頭部を直撃する直前、身体を限界まで捻ってかわす。
下からの蹴り。
顎を狙い鋭く跳ね上がるつま先。俺は必死に後ろへ跳んだ。
「――っ!」
休む暇がない。息を吸う隙すら与えられない。
セドリックの攻撃は一つ一つが異次元に速く、重い。一撃一撃が必殺の威力を秘めている。だが、それ以上にこの戦いを絶望的なものにしているのは――。
「……読まれてる」
俺が口の中で呟いたその瞬間、セドリックの拳が完璧なタイミングで腹へ迫っていた。俺が次にとる回避行動の先へと、あらかじめ拳が置かれているような感覚。
避けられない。俺は強引に両腕を交差させ、腹部への直撃を防ぐ。
ドゴォン!
凄まじい衝撃が両腕を介して身体を突き抜けた。内臓が押し潰されるような錯覚。
「ぐっ……!」
受け切ることができず、俺の身体が数歩どころか、地面を削りながら後ろへ滑っていった。シューズの裏が摩擦で熱を持つ。
「分かったか」
セドリックが、呼吸一つ乱さずに静かに言った。
「何が……っ?」
腹を押さえ、身をかがめながら俺は問い返す。
「お前は速い。力もある。反応も悪くない。一般の戦士として見れば、上の下……いや、上の上と言っても差し支えないだろう」
「褒めてるのか?」
「事実を言っているだけだ」
セドリックが再び静かに構える。右足を少し引き、左手を軽く前に出す完璧な半身。
「だが、それだけだ」
言葉が終わるのと同時に、再び距離が消えた。
「くっ!」
拳。避ける。
蹴り。受ける。
肘。身体を引く。
視界が激しく回転し、世界がセドリックの繰り出す打撃の軌道だけで埋め尽くされる。
俺は必死に食らいつく。死力を尽くして反応し、防ぎ、かわす。だが、交戦時間が長くなればなるほど、はっきりと突きつけられる事実があった。
俺とセドリックでは、戦い方そのものが違うのだ。
俺の戦闘スタイルは、ノクスの加護によって得た圧倒的な力と速度を駆使し、相手の攻撃をねじ伏せるか凌ぎ切り、一瞬の隙を見つけて最大の威力を叩き込むというもの。いわば「能力値で圧倒する戦い」だ。
対してセドリックは違う。彼は俺がどのタイミングでどう踏み込み、どっちへ避けるのか、その呼吸や視線の動き、筋組織のわずかな収縮から「次に何をするのか」を完全に読んでいる。未来を見通しているかのように、俺の行動を誘導し、詰みへと追い詰めているのだ。
「そこだ」
「――!」
セドリックの声とともに、拳が肩をかすめる。防いだはずの体勢が、わずかに崩された。
次は腹。
読まれていると分かっていても、崩れた体勢では避けきれない。
ドンッ!
「ぐあっ!?」
直撃。腹部にめり込むような重い衝撃。身体が軽々と浮き上がった。
視界が明暗を繰り返し、酸素が肺から強制吐出される。俺は空中で必死に体勢を立て直し、受け身を取りながら転がり、どうにか着地した。
観客席から悲鳴が上がった。
この闘技場を包む息をのむような緊張感の中で、甲高い声が響く。
「アステル!」
ミアの声だ。心配と不安で押し潰されそうな声。
俺は背を向けたまま、ぐっと拳を握り締め、力強く手を上げた。
「まだだ……!」
膝の震えを抑え込み、荒い息を整える。
ここで負けるわけにはいかない。
ノクス教団の未来も、月金貨五万枚の希望も、俺のプライドも、ここで全てを潰させるわけにはいかないんだ。
俺にはノクスの加護がある。そして――まだ使っていない、全てを跳ね返すための切り札がある。
「……神威転化」
第1章:秘術解放と狂戦士の鼓動
呟きとともに、身体の奥深く、魂の核にある何かが一気に切り替わった。
ドクン、と深い鼓動が響き、体内を駆け巡る魔力が一気に激流となって膨れ上がる。黒く禍々しくも清廉なノクスの加護が全身の血管を巡り、筋組織の一本一本を再構築していくかのように、身体能力が跳ね上がった。
皮膚の表面から漆黒のオーラが立ち上り、周囲の空間を歪ませる。
「ほう」
セドリックが初めて目を細めた。その瞳に、ほんのわずかな警戒のの色が宿る。
「それがお前の切り札か。神の加護を肉体に直接降ろす秘術……確かに素晴らしい魔力出力だ」
「まだだ」
俺は口端を上げ、強がりではなく笑った。全身に満ちる膨大な力が、敗北の恐怖を押し流していく。
俺は胸当てへゆっくりと手を当てた。そこには、俺がこれまで幾多の修羅場をくぐり抜け、手に入れてきた最高峰の装飾が刻まれている。
――『狂戦士の心核』。
戦闘時に装着者の精神を極限まで研ぎ澄まし、肉体のリミッターを強制解除して身体能力を爆発的に引き上げる、超レアマジックアイテム。
「――発動」
胸当ての中央に埋め込まれた赤き宝珠が、血のような不気味で美しい光を放ち始めた。
ドクン――!
胸の奥で、心臓が爆発したかのように強く、高く鳴り響いた。
血液が熱い灼熱のマグマへと変わり、全身の細胞を激しく駆け巡る。視界の端が赤く染まり、脳内でアドレナリンが激流となって噴出した。
「……っ!」
世界が変わった。
観客席の雑音、風の音、あらゆる環境音が遠くへと離れていく。代わりに、自分の鼓動と相手の呼吸音だけが克明に耳へ届く。
視界が恐ろしいほど鮮明になり、空気中の塵の動きすら把握できる。
重かった身体が、羽のように軽い。
「これが……『狂戦将』の力だ」
俺は力強く拳を握り締めた。神威転化の漆黒の魔力と、狂戦士の心核がもたらす赤き神威が混ざり合い、漆黒と真紅の二色のオーラとなって身体から噴き上がる。地面がその力に耐えかね、メリメリと音を立てて亀裂を刻んでいった。
静まり返っていた観客席が、突如として激しいざわめきに包まれる。
「な、何だあのかき消すような圧は……!?」
「聞いたことがある……あれはガスト教団の幹部をたった一人で蹂躙したという、あの狂戦将の形態じゃないか!」
「凄まじい魔力だ……闘技場の結界が軋んでいるぞ!」
どよめく観客たちの中で、ミアだけはただ一人、険しい顔で俺を見つめていた。その瞳には歓喜も驚きもなく、ただ深い心配の色だけがあった。
「アステル……無理はしないで……! その力は身体への負担が――」
「大丈夫だ、ミア」
俺は振り返らず、声だけで応えた。今の俺には、負ける気が一切しない。全身に満ち満ちるこの絶大な力が、敗北という選択肢を完全に消し去っていた。
俺はセドリックを真っ直ぐに見据える。
「これなら――勝てる!」
ドンッ! と地面を蹴った。
脚力の一撃で闘技場の石畳が粉砕され、衝撃波が巻き起こる。俺の身体は音速を超え、一瞬でセドリックとの距離を詰めた。
視界に捉えたセドリックの顔面へ、持てる全ての力と魔力を乗せた右拳を振り抜く。
「――どうだあぁぁぁっ!」
空気を爆砕する拳が迫る。
セドリックは表情を変えず、ただ静かに右腕を上げた。
ガンッ――!
金属同士が激突したかのような激しい破壊音が響き渡り、二人の間から猛烈な暴風が吹き荒れた。
「……な」
俺の目が見開かれる。
信じられない光景が、目の前に広がっていた。
受け止められたのだ。
神威転化と狂戦士の心核を同時発動し、音速を超えた俺の渾身の一撃が、セドリックのたった一本の腕によって完璧にブロックされていた。
いや。
それだけじゃない。衝撃を受け流したわけでも、ギリギリで耐えたわけでもない。セドリックの足元は一ミリたりとも動いていなかった。
「速くなったな」
暴風の中で、セドリックが静かに言う。
「だが――」
セドリックの腕に力が込められ、俺の巨岩のような拳が、いとも簡単に押し返された。
「まだ甘い」
「くっ……!」
押し返された勢いを利用し、俺は間髪入れずに連続攻撃へと移行した。
右ストレート!
左フック!
旋風のような右ローキック!
踏み込んでの再び右の突き!
ラッシュ。それは一秒間に数十撃を叩き込む、常人の目では視認すら不可能な乱打。今までなら、どんな強敵であっても一撃かすらせれば体勢を崩し、力で押し切って戦闘終了を迎えていた圧倒的な速度と破壊力。
だが――。
セドリックは、その全てを完璧にかわし、受け、流していた。
右拳は最小限の首の動きで紙一重で避けられる。
左フックは腕のフレームで軽く軌道を外される。
ローキックは足を一歩引くことで空を切らされる。
それどころかセドリックは、俺の攻撃の勢いや踏み込みの力を利用し、関節を軽く突くことでこちらの体勢をわずかに崩してくるのだ。
「なんで……! なんで当たらねえんだよ……!」
焦燥感が脳を焼く。力は上がっている。スピードも上がっている。世界が遅く見えるほどの領域にいるはずなのに、セドリックという男には一切の攻撃が届かない。
「力に頼りすぎだ」
セドリックの短い指摘とともに、すれ違いざまに強烈な拳が俺の腹へ突き刺さった。
「ぐっ……!?」
さらに間髪入れず、肩へ。
旋回した肘が背中へ。
払われた足元へ。
一つ一つの打撃は、致命傷を避けるようにコントロールされている。しかし、的確に俺の重心を奪い、体力を削り、精神を削り落としていく。
俺は堪らず後ろへ跳び、大きく距離を取った。
ハァ、ハァ、と激しい呼吸が漏れる。狂戦士の心核による肉体への過負荷と、一方的な打撃のダメージがじわじわと体を蝕んでいた。
「……おかしいだろ」
膝に手を置き、汗と血の混じった顔を上げて俺は吐き捨てた。
「何がだ?」
「こっちは能力値を何倍にも引き上げてるんだぞ……! スピードもパワーも、お前の倍以上出ているはずだ!」
「知っている。確かにお前の現在のステータス数値は、私を上回っているだろう」
「なら、なんで俺についてこられる!? なんで攻撃が読めるんだよ!」
セドリックは構えを解かず、ほんの少しだけ口角を上げた。それは嘲笑ではなく、教導者のような静かな笑みだった。
「今までに培ってきた『経験』と『技術』の差だ」
「経験……?」
「そうだ」
セドリックの瞳が、射抜くような鋭さで俺を見つめる。
「お前は自分の膨大な力を、全く制御できていない。ただ筋肉と魔力の出力任せに体を動かしているだけだ」
「……」
「強い力を手に入れた者ほど、それに依存し、戦い方の本質を見失う。力で押せば勝てるという思考の停滞……それが、お前の最大の弱点だ」
俺はぎりっと歯を食いしばった。
言われなくても、戦いの中で痛いほど分かっていた。
セドリックは俺の筋肉の動き、視線の泳ぎ、踏み込む際の体重移動の癖、その全てを観察し、「次にどんな攻撃が来るか」をコンマ数秒前に完璧に予測している。だからこそ、どれだけ速度を上げようと、セドリックにとっては「次に来ると分かっている遅い攻撃」に過ぎないのだ。
能力値という数字の暴力。
それを長年の修羅場で磨き抜かれた純粋な「武の技術」が完璧に凌駕していた。
悔しさが胸を焦がす。だが、同時に俺の中のくだらないプライドが首をもたげた。
「……確かに言われた通りだよ。技術も経験も、俺はお前いに足元にも及ばないのかもしれない」
俺はゆっくりと立ち上がり、再び両拳を構えた。
「でもな、俺にもここまで戦ってきたプライドがあるんだよ。理論で届かないなら――力で押し切ってやる!」
「やってみろ」
俺は再び激しく地面を蹴り、極限のスピードで踏み込んだ。
視界が赤く染まる。思考を捨て、野性そのままに打撃を繰り出す。
拳が交差する。
空を切る蹴りが風を爆発させる。
セドリックが避ける。
俺は食らいつき、さらに追う。
だが――届かない。
あと数ミリ、あと数センチというところで、攻撃は全て紙一重でかわされ、あるいは最小限の力で受け流される。
何度腕を振っても、空気を殴る虚しい感触だけが手に戻ってくる。
俺が何を考え、どう動き、どうやって崩そうとしているのか。その全ての手札が、セドリックという巨大な壁の前には完全に透けて見えていた。
「くそっ……! くそ悪魔め……!」
弄ばれている。
どんなに腕を振っても、足を伸ばしても、大人と子どもの喧嘩のようにあしらわれている。神威転化を使い、狂戦士の心核まで解放した俺が、手も足も出ずにあしらわれているのだ。
「そこだ」
セドリックの短い声。
俺が放った右ストレートの肘を軽く叩かれ、体勢が前に流れた瞬間――ガラ空きになった左脇腹へ、セドリックの寸分の狂いもない拳がめり込んだ。
「ガハッ……――!?」
重ろのような衝撃。内臓が破裂したかのような錯覚とともに、俺の身体は弾み球のように空中へ吹き飛ばされた。
視界がぐるりと回転し、闘技場の石畳の上を激しく転がる。
痛い。熱い。激痛が全身を突き抜け、呼吸が完全に止まった。
「アステル――っ!」
観客席からミアの悲鳴が聞こえる。
俺は荒い息を吐き出しながら、血の味がする口内を噛み締め、必死に地面に手を突いた。
立たなければ。
だが、足が生まれたての子鹿のように激しく震え、力が入らない。
限界だった。狂戦士の心核による反動と、セドリックから受けた的確な打撃のダメージが、俺の肉体を内側から崩壊させていた。赤きオーラが揺らぎ、消えかけていく。
「……まだ……やれる……っ」
膝を折りそうになりながら、俺はどうにか立ち上がった。
「もう十分だ」
セドリックが拳を下ろし、静かに言った。その声には何の侮蔑もなく、ただ客観的な事実だけが込められていた。
「何を……言ってる……」
「お前はもう限界に近い。これ以上戦えば、心核の反動で二度と戦えない体になるぞ」
「……まだ、倒れてねえ」
俺は震える腕を強引に上げ、フラフラとした足取りで構え直す。
セドリックは無言で俺を見つめていた。その深い瞳が、俺の眼光を射抜く。
「意地か」
「違う……」
「では何だ? なぜそこまでして戦う」
「約束……したからだろ……!」
俺は歪んだ顔で、フッと自嘲気味に笑った。
「俺が負けたら……キリスト教団に入る……そういう約束だっただろ」
「ああ、そうだ」
「だったら……最後まで足掻いてやるよ。無様でもな!」
俺は最後の力を振り絞り、再び踏み込んだ。視界が急速に暗くなっていく中で、セドリックの顔面だけを見据えて腕を振る。
だが――。
その拳が届くことは、最後までなかった。
セドリックは最小限の動きで俺の拳を逸らした。
勢い余って前傾姿勢になった俺の軸足を、セドリックの足が静かに払う。
「――っ!」
世界が滑るように回転した。
受け身を取る力すら残っていなかった。俺の身体は無造作に石畳の上へと叩きつけられる。
冷たい石の感触。
立とうとした。腕に力を込めようとした。だが、指先一つすら、もう俺の意思に従ってはくれなかった。
足音が近づき、セドリックが俺のすぐ目の前に立った。
「終わりだ」
「……まだ……」
「もう戦える状態ではない。これ以上の続行は、審判としても認めん」
「……」
悔しかった。
胸が張り裂けそうなほど、惨めで、悔しかった。
ノクスの加護による神威転化を使った。
命を削るような狂戦士の心核まで解放した。
自分の持てる全ての札を叩きつけ、全力を出し尽くした。
それでも――勝てなかった。
ステータス。
技術。
経験。
その全てにおいて、俺はセドリックに完全敗北したのだ。
俺がどれだけ能力値を上げようと、積み重ねてきた本物の「強さ」の前には、その差を埋めることすら叶わなかった。
「……俺の、負けだ」
吐き捨てるように、俺はようやくその言葉を口にした。
言葉が出た瞬間、闘技場を包んでいた緊迫感が弾け、静まり返るような静寂が訪れた。観客たちは息をのんで、倒れ伏す俺と立つセドリックを見つめている。
セドリックは倒れた俺を見下ろし、ゆっくりと右手を差し出してきた。
「約束は守るか?」
「当たり前だろ……」
俺は荒い息を吐きながら、血反吐を吐くように言葉を絞り出す。ふらつき、倒れそうになりながらもセドリックの手を借りずに自力で膝を立て、どうにか立ち上がった。
真っ直ぐにセドリックの目を見る。
「俺は……自分が出した約束を破るほど腐っちゃいない」
「ならば――」
セドリックは差し出した手をそのまま固定し、真摯な声で告げた。
「ようこそ、キリスト教団へ」
俺はその差し出された大きな手を見つめ、思わず額を押さえた。
「……クソ、最悪だ」
セドリックがわずかに眉をひそめる。
「何が最悪なんだ? 敗北を受け入れたのではないのか」
「そうじゃねえよ! 俺、ノクス教団なんだぞ!?」
「それは変わらない」
セドリックは何でもないことのようにさらりと言い放った。
「は?」
「お前がノクス教団の信徒であり、その加護を受けている事実は変わりようがない。私が求めたのは『キリスト教団への加入』だ。ノクス教団を脱退しろとは一言も言っていない」
「……じゃあ、俺はキリスト教団にも所属することになるのか?」
「そういうことになるな」
「……」
俺は両手で完全に頭を抱え込んだ。頭痛がしてきた。ダメージのせいだけじゃない。
「なぁ……キリスト教団に浮気したって思われて、ノクス様に怒られないかな、俺……」
いつの間にか闘技場へ降りてきていたミアが、俺の横からひょっこりと顔を出して口を挟んだ。
「たぶん怒らないと思う」
「なんでそう言い切れるんだよ!?」
「だって、アステルが勝手に賭けて勝手に負けて決めたことだから」
「それ、全然慰めになってないぞ!?」
ミアは少し顎に手を当てて考え込むような仕草をした後、悪戯っぽくニヤニヤしながらぽつりと言った。
「でも……『節操がないね』って、少し呆れ顔で怒られるかもね」
「他人事だと思って……!」
俺は天を仰ぎ、深々とため息を吐いた。
ノクス教団に所属したまま、敵対……とまではいかずとも巨大な別組織であるキリスト教団にも所属するという、とんでもなく奇妙で複雑な立場になってしまった。
いや、実質的にはキリスト教団の傘下、あるいは二重籍のようなものだ。
ノクス教団の教義を捨てたわけではない。
ノクス様への信仰や感謝が消えたわけでもない。
だが、あのキリスト教団という超巨大組織に加わった以上――。
「まあ……キリスト教団の人間になったも同然か」
俺は青空を見上げた。
目標だった月金貨五万枚。
順調に仲間が増え、成長していたノクス教団。
その矢先に突如として現れた、レベル八十二の怪物・第一五幹部セドリック。
そして――完敗。
「人生、マジで何が起こるか分からないな……」
「本当にね。でも、生きててよかったよ」
ミアが心底安心したように微笑む。
俺は全身の激痛に顔を歪ませながら、苦笑いを浮かべた。
「……とりあえずさ」
「うん?」
「キリスト教団の給料がどれくらいなのか、真っ先に聞いてみようぜ」
ミアがズッコケそうになりながら俺を見る。
「そこ気にするんだ!?」
「当然だろ! 負けて傘下に入ったんだ、むしり取れる手当てや給料は全部むしり取らなきゃ損だ!」
負けた以上、せめて得られる利益は全て得なければ納得がいかない。
こうして俺は、まったく望んでいなかった巨大組織への加入を果たすことになった。
――ノクス教団所属。
――キリスト教団所属。
前代未聞の「教団二重所属」という、奇妙極まりない立ち位置となった俺の戦いは、ここからさらにややこしい方向へと転がっていくのだった。




