第1話:篝(かがり)家の物置小屋
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篝家という豪奢な本邸に面する中庭に、本邸とは対照的に古びた物置小屋がぽつんと佇んでいた。
そこが、篝家の次女である私――紗夜が、息を潜めて生活する場所だった。
冬は手が悴むほどに寒く、夏は蒸し風呂のように暑い。
そんな地獄のような環境だが、十数年もこの生活を続けていれば、悲しいかな、すっかり身体が慣れてしまっていた。
「……あ~、寒い」
私は擦り切れた古い着物を着て、冷たい水に凍えながら、洗濯や拭き掃除などの雑用に追われていた。
その時、通りかかった使用人たちの声が風に乗って聞こえてくる。
「……あら、あそこにいるのは紗夜様じゃない? あんなみすぼらしい姿で、恥ずかしくないのかしら」
「ちょっとやめなさいよ、聞こえるわよ。まあ、あんな姿でも一応は頑張っていらっしゃるんだから」
使用人たちはひそひそと嘲るように笑いながら、目の前を通りすぎて行った。
(……はあ、バッチリ聞こえてるわよ。まったく、毎度毎度ご苦労なことね。そんなに陰口を叩く暇があるなんて、篝家の使用人はみんな仕事が暇なのかしら)
私は小さく溜め息を吐き、何食わぬ顔で手を動かし続けた。
私の一族はいわゆる名家というやつだ。
代々、篝家に生まれる者には『炎の精霊を従える力』がある。そのため、広大な敷地のいたる所に、精霊の灯火が赤々と揺らめいていた。
しかし、私には炎の精霊を従える力どころか、精霊の声すら聞こえない。
幼い頃は「いつか出来るようになる」と優しく諭してくれた両親も、私が7歳になる頃には、手のひらを返したように冷たくなった。
篝家において「精霊の声が聞こえない者は存在価値ゼロ」とされるのは、絶対的なルールだったからだ。
(……ってか、生まれつき炎の精霊の加護がある家系っていうなら、責めるべきは私じゃなくて遺伝元の両親でしょ! 修行したって身につかない先天的なものを、どうやって克服しろっていうのよ! 篝家の人間はどいつもこいつも馬鹿なんじゃないの!?)
私は周囲に本音がバレないよう、握った箒にぐっと力を込め、怒りのエネルギーをすべて乗せて庭を掃いた。
(まあ、でも、幼い頃にこの一族の愚かさに見切りをつけられたのは、不幸中の幸いね)
私はそう思いながら、そっと胸に手を当てた。
衣服の奥、身体の芯を巡っているのは、圧倒的で底知れない精霊力。
そう。実は私には、外見からは決して分からないよう『精霊王の刻印』が刻まれていた。
篝家の人間がありがたがっている矮小な炎の精霊など、足元にも及ばないほどの絶対的な力だ。
(こんなの、もし万が一にでもバレたら、一生この家から出してもらえないものね……)
この篝家では、陰湿な権力争いなど日常茶飯事だ。その上、彼らは精霊を敬うどころか、ただの「使役する道具」として傲慢に扱っている。精霊から力を借りている分際でそんな不遜なことをしている一族に、明るい未来などあるはずがない。
だから私は、自ら進んで「無能」として生活しているのだ。
本当だったら一族の人間をギャフンと言わせてやりたいところだが、ここは背に腹はかえられない。
――夕暮れ時。
ようやく全ての雑用を終えて物置小屋へと帰り、引き戸を閉めた瞬間、私は地味で気弱な令嬢の演技をかなぐり捨てた。
「……あ~、疲れた! この演技も楽じゃないわね」
そう言いながらガチガチの肩の力を抜き、凝り固まった身体をほぐしながら、ベッド代わりに敷いた藁の上にどさりと座る。
そして、床下にこっそり隠し持っている『自立・逃亡計画ノート』を開いた。
ここに書かれているのは、実家からいかにして合法的に縁を切り、誰も自分を知らない田舎でスローライフを送るかという、未来へのワクワクとした算段だ。
「やっぱり、自然がいっぱいあって、綺麗な川が流れている場所が良いわよね! あとは食べ物が美味しくて、可愛いもふもふの猫や犬と戯れて生活できたら、たとえ質素でも全然大丈夫、むしろ最高だわ!」
私は輝かしい未来への希望を胸に抱き、その夜は泥のように眠りについた。
翌日。
普段は私の存在すら忘れている本邸から、ツンとすました使用人がやってきた。
「次期当主の織斗様がお呼びです。本邸の広間にお越しください」
「……は、はい。分かりました……っ」
私は一瞬で「気弱な令嬢モード」へと切り替えた。
わざと肩をすぼめて歩幅を小さくし、使用人の後ろをトボトボとついていく。
(あの傲慢な織斗がわざわざ私を呼ぶなんて、どう考えてもろくな用事じゃないわね。面倒なことにならなきゃいいけど……)
やがて通されたのは、篝家の威光をこれでもかと見せつけるような、赤々と炎が燃え盛る大広間だった。
部屋の奥、豪華な椅子に傲然と腰掛けた織斗が、入ってきた私をゴミでも見るような冷酷な目で見下ろしている。
(……うわあ、すごい威圧感を放っているつもりでしょうけど、ただの精霊の無駄遣いじゃない? 見ていて恥ずかしいんだけど)
私は織斗が放つ、浅はかで自尊心の塊のような炎の魔力に内心で冷ややかに突っ込みを入れた。
けれど表面上は、恐怖に怯えるようにブルブルと身体を震わせながら床に膝をつき、次の言葉をじっと待った。
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