46.軍靴の足音
露店で買った焼き甘パンとその為諸々を運ぶ最中、私は耳に入った噂話に思わず足を止めた。
「死んだはずのフィリス王子が蘇って、おまけにコボルトを率いて都に攻め入るだって? 誰がそんな荒唐無稽な話を……」
「それがどうも信憑性のある話らしい。イースタールの最西にあるトゥーリ領主のお墨付きだと。ドルガノ様も急ぎチェティリの要塞に向かっているそうだ」
「腕の怪我もまだ芳しくないというのに……ドルガノ様が居なくなっては、このウェスタールの地もお仕舞いだ。騎士団の者達には何とか頑張って貰わねば」
……以前の自身であれば、フィリス王子の復活という話題に大喜びで食いつき、彼らの話に割って入ったことだろう。しかし今は違う。目深に被ったフードを更に下げ、下宿先の店へと戻る。
「お帰りアラベラ。早かったね」
「マルタさん、言われた通りの品を買ってきました」
「どれどれ……うん、全部揃ってるね。助かったよ。この甘パンは一つ、アンタが持っていきな」
「ありがとうございます」
ここは商都ウェスティンにある小間物屋、店の裏側にある居住スペースの一角だ。私は気の良い夫婦が経営するこの店に、身分を偽って住み込みで働いている。
……今の私はバルバラ・ヘレノスでなく、身寄りのない孤児のアラベラだ。
イースタールの関所にてイチロが川に飛び込み逃げ出した後。私はドルガノ様の計らいで表向きには行方不明、そうして裏ではウェスタールの都市ウェスティンに匿われる立場となった。
ドルガノ様は私の無実を信じ、騎士団に捕まれば酷い目に遭うからと、住む場所や働き口まで紹介してくださった。父のサヴァンが関所での騎士殺しの責を問われ投獄され、間もなく獄死したと聞いた時。私は涙が枯れるまで泣いた後、もしドルガノ様の計らいが……そうして罪を自白したイチロの行動がなければ、自身も同じ末路を辿っていただろうことに気付いた。
店の裏口から外に出て、女将のマルタから貰った甘パンを口にする。甘くて美味しい。
……私のわがままのせいで父と、そうしてペトロスが死んで、イチロが行方不明となった。思い浮かぶのはあのコボルト達の顔だ。
イチロは無事にしてるだろうか。ニクスはあの後、ノースフィールまで逃げ延びてくれただろうか。
私は取り返しのつかない過ちを犯し、それでも誰かの犠牲と助けを得て、こうして生きながらえている。
だから、せめて彼らも同じように生きていて欲しいと願った。イチロ、ニクス。そうして私を救ってくれたドルガノ様。誰も死なないで欲しい。
……死した筈の王子に率いられる、コボルトの軍勢。ドルガノ様の出陣。街で耳にしたその噂に、ふと不穏な想像が脳裏をよぎりそうになったのを寸でのところで振り払い、私は甘パンの残りを口に運んだ。
チェティリ要塞の一室。黒ずんだ残骸に杭を打ち立てたまま、床に倒れ伏す灰色のローブの人物。彼女は苦しみ悶えた末に絶命し、その死に顔は血に塗れ壮絶なものであった。
……対象の肉体の一部に、魔物の骨で出来た杭を打ち込み呪う『呪痕』の魔術。場所や時間を問わず相手を衰弱死させられる強力な術だが、同時にこの術には様々な制約が存在する。
第一、体内魔力オドを持つ相手を対象にする場合、その殺害までに時間を要することになる。また術の発動中は自身のオドを杭に流し込む必要があり、相手を殺す前にオドが尽きれば術は解除されてしまう。
第二、この『呪痕』には対象が相手を呪い返す為の対抗手段が存在する。相手がオドを有し、かつ魔術に対する心得があれば術の行使中に反撃される危険性があるということだ。
そう。つまりこの女は……。
「じゅ、呪詛返しだ」
「ということは、フィリス様が生きているという報告は誠……」
「腕が崩れている、王子は死んだのか?」
「いや、呪いで仕留めた時だけなく呪詛返しに成功した時も依代が崩れると聞く。とはいえ術が効いた以上、無事では済んでいないだろうが……」
「静まれ!」
ざわつく騎士達の言葉を一喝し、私は再び口を開く。
「即刻、聖都にいるジニアス陛下に報告を。私が所有する勇者フィリスの右手を用いた『呪痕』で呪詛返しが起きた。まず本人が生きてると考えて間違いなかろう」
「はは! 承知しました!」
騎士の一人が出ていった後、中年にさしかかるであろう年頃の男が、揉み手でこちらに話しかけてくる。彼の名はシェドネ。私の叔父にあたり、ルミネス家の末席に名を連ねる人間だ。
「……流石はセシリア様、フィリス王子の腕をまさか要塞に持ち運んでいたとは。この事態を見越しての慧眼、恐れ入ります」
フンと鼻を鳴らし、私は口を開く。
「世辞は良い、シェドネ。それよりドルガノはいつ此方に着くのだ」
「四日後になると伺っています」
「遅いな」
「ドルガノ様は北部の軍事拠点に立ち寄り、そこにいる戦力をノースフィールへの侵攻に回すとおっしゃっていたそうです」
「チッ、私の許しもなく勝手な判断を」
「とはいえ、フィリス王子率いる軍はノースフィールから来たとのこと。忘れられた地の、不遜な魔術師共が王子の支持基盤となっていることは間違いないでしょう。将が不在のうちに根城を叩くのも理にかなった行動ではあります」
シェドネの弁に、少し考えた後に言葉を紡ぐ。
「ロミリス名代オルフィスは、フィリス王子の母方の叔父であったな」
「ええ、オルフィスは先日のヘレノス領に関する件で十分すぎる補償をこちらに寄越しましたが、今思えばあれは我らを油断させる為の策。なにせ奴の膝元でフィリス王子が彼の目を忍び、企みをくわだてていたとは考え難いですからな」
「分かった。ならば我がルミネス隊も、北部拠点の戦力をノースフィールの侵攻に振り分けよう」
「……承知しました」
シェドネは黄色い歯をのぞかせニタリと笑い、恭しく頭を下げた。
フィリス・トエル・ラミシス。あれは私が仕留め損ねた『獲物』だ。
騎士団長ジニアス、そうして先王ネメシスをも籠絡した私の美貌に、ただ一人彼だけが靡かなかった。それどころか奴は、まるで穢らわしいもの見るかのような目で私を見下して……。
「(フン、蘇ったのなら丁度良い。今度こそお前の矜持と尊厳の全てを踏み躙り、私のもとに跪かせてくれる)」
自身の体が怒りと興奮で火照り、同時にその胸の芯がどこまでも冷たくなっていくのが分かる。
我が聖槍に己が軍を蹂躙され、そうして母の故郷を焼かれ、あのお高く止まった王子の顔がどのように歪み絶望の色に染まるのか。考えただけでも仄暗い悦びに胸が躍るかのようであった。




