Ch.3-2-11 獣属性(2/2)
◇2327年11月14日(日) 18:18
「いっくよー」
戦場にはおよそそぐわない呑気な声が、だからこそこだました。
声こそ街角のカフェから聞こえてきそうな緩い色だが、空中に浮かぶ彼女の両足はいつの間にか異形に変わっている。
白い陶器のような肌は滑らかそうな手触りはそのままに、艷やかな鱗に覆われ、その太さもはち切れんばかりに膨張している。
足先は鋭いかぎ爪が伸び、もはや猛禽類ではなく恐竜の如くに変貌していた。きっとその足は鉄板を紙くずのように引き裂くのは想像に難くない。
「えい」
間抜けな声と共に彼女は空から糸を引くように落下した。
狙いは彼女の真下にいる頭が異様に膨らんだOGRE。
Mr.バブルヘッドのわかりやすい弱点目掛け、重力を味方に足から急降下した女だったが、しかしその一撃は危機を悟ったOGREが咄嗟に腕を頭上で交差させ、狙いには届かない。
響く重い水っぽい音。
肉と骨がミキサー車に投じられた時に似た不快さを催す周波数。
彼女の狩人と化した両足は、シュウの刀も弾くOGREの強化皮膚をなんでもないかのように握り潰し、そのまま掴んだ獲物を持ち上げ、再び空へと舞い戻る。
「⋯⋯マジかよ」
思わず声が漏れた。
しょうがないだろ。面と行為があまりに合ってなさすぎる。
そして一方的な蹂躙が始まった。
空中という圧倒的アドバンテージを活かし、女は三次元を飛び交い、時にはその強靭な足でOGREを叩きのめしていく。
哀れ上空に持ち上げられたMr.バブルヘッドは、野球ボールよろしくデッドボールとしてOGREの群れに投げ込まれ、四散した体をビクビク痙攣させていた。
上空という生物の死角に対する攻撃手段が限定的なOGREたちは、受け身にまわざるを得なくなり、必然、注意は上へと向く。
どこのだれかも分からないが、OGREにとっての”天敵”とも言える暴力の顕現により、あれだけ俺たちに群がっていたOGREたちのヘイトはいまや俺達から剥がれていた。
つまり俺たちを囲んでいた包囲網が崩れ、絶望的だった戦況に明確な隙——”脱出への道”が開きつつあった。
◇2327年11月14日(日) 18:20
「シュウ、今だ! 抜けるぞ!」
機を察するのは危機感知と並んでスラムに暮らす者として必須のスキルだ。その本能が今この瞬間しかないと訴えている。
シュウも俺と同じことを考えているだろうが、それでも俺は自分自身に言い聞かせるように叫び、”Amor”と”喷发”で手近なOGREを牽制しながら、ひしゃげた出口へと駆け出した。
”半歩遅れて”背後でシュウの刀が空を切り裂く音が追随する。
その足音のリズムが、先ほどまでの完璧な拍からズレているのは明らかだった。
「どうした、シュウ! 息が上がってんぞ。流石のお前でもバテたか?」
「⋯⋯黙れ」
走りながら叩いた軽口に帰ってきた声はひどく掠れ、防毒マスクの下から漏れる呼吸が明らかに荒い。
それは当然だろう。こんな異常な数のバケモノを相手にし続けたのだ。しかも俺と違い、近距離で。
相手と対峙する距離は基本的に近ければ近いほど体力の消耗は激しい。ミヤケファミリーの懐刀とはいえ、疲労が溜まっていて当然だろう。
ただ、俺はそれ以上深く考えず、出口を目指した。
この状況で他者を気遣う余裕はない。
それにスラムの住人なら自分のケツは自分で吹くのは当然のことだ。
俺はこちらに気付き襲いかかってくるOGREをいなし、その足に銃弾を浴びせこんで先に進む。
ついでに目につく限りのこちらに注意を向けそうなOGREたちにも鉛と合金のプレゼントをしながら。
そしてついに死地からの出口の目前にたどり着いた。
◇
出口から少し逸れた上を見上げると、少女が巨大な翼をはためかせながら、まるでゲームでも楽しむかのようにOGREの群れを蹂躙し続けている。
地の利を存分に活かしている少女は、OGREが触れることは許さず、余裕すら感じられる。
「 お前がどこのどいつかは分からんが、サンキューな!」
俺は少女がいる天井に向けて声を張り上げた。
その声に少女の下にいる何匹かのOGREが反応し、こちらに顔が向けられる。ただそれはあまりにも隙が大きすぎる。
頭上から注意が逸れたOGREは真上から暴力の塊のような脚に頭を握りつぶされ、それに気を取られた別のOGREは”Amor”によって花を咲かせた。
”Amor”の銃身に走る赤い光条が薄暗い地下に光り、オゾンの匂いが鼻腔を満たす。
残りの銃弾は”Amor”に装填済みの34発とフルマガジン一つ、”喷发”は8発×二つ。なんとか間に合った。
もう、俺の前には障害物はない。これでようやく、イカれた地下施設とおさらばできる。
これ以上の長居は無用と、出口へ足を進めようとしたまさにその時、上空から無感情な鈴の音がボソリと落ちてきた。
「お礼はまだ早いんじゃない?」
足が止まる——足元から巡る嫌な予感が体を支配する。
「お友達、大丈夫なの?」
その言葉に無心で俺は振り返った。
「⋯⋯シュウ?」
奴は俺の背後、数メートル手前で立ち尽くしていた。
常に完璧な姿勢を保っていた暗殺者が、まるで泥酔したかのように刀の切っ先を震わせている。
泥酔とは自分で言いえて妙だ。事実、防毒マスクの隙間から、ゲロのようにどどめ色をした体液がとめどなく滴り落ちていた。
「毒か!?」
俺は咄嗟に息を止め、すぐに無意味に気付く。
シュウは防毒マスクを着けている。空気感染なら奴にかかるわけがないし、俺が先に毒に侵されるはずだ。
その他に考えられるとすると⋯⋯。
「OGREの血に、CCを活性させる成分が混ざってるみたい」
ふわりと、俺のすぐ左横に少女が降り立った。足はすでに元の華奢な人間のものに戻っている。
「粘膜接触——マスクしてるし、たぶん、目からかな。返り血浴びてるだろうし、それでCCが異常活性したんだと思う」
脳裏に、一瞬で幾つかの場面がフラッシュバックする。
”OGREの切断された動脈から吹き出し、シュウの顔に降り注いだ赤い霧。”
”知ってると思うけど、CCIの許容値を超えた時、人は肉体的にも精神的にも崩壊する。” ナオミの講釈。
おいおい、それって。
俺の発火したシナプスが最速で最悪のシナリオに行き着いた、まさにその瞬間だった。
——ゴトリと。
シュウの顔から防毒マスクが外れ、無機質な音を立てて床に転がった。
「■■■■■■■■■■■■■」
露わになった口元から、人間らしからぬ大量の粘着質なよだれと少なくとも俺には理解できない咆哮が撒き散らされる。
猛禽類のように鋭かった彼の眼球は毛細血管が破裂したように真っ赤に充血し、焦点の合わない濁った瞳となって、ゆっくりと俺の方を向いた。
「おいおい」
左目の義眼が、シュウの体内で爆発的に活性化するCCIの光を捉える。
周囲のOGREを圧倒する光の奔流。
右目で捉える現実では、シュウの筋肉が膨張し、鍛え上げられた体がスーツを突き破るのを見た。
そんなシュウと目が合う。
「■■■■■■■■■■■■■」
再びの咆哮。
それはもはや衝突は不可避であることを意味していた。
獣心のはずなのに、シュウは両手の刀を逆手に持ち直す。
体に染み付いた構え。接敵必殺の、俺を敵と見なした証拠。
俺は奥歯を噛み締め、”Amor”と”喷发”のグリップを強く握り直す。
⋯⋯やるしかない。やらなければ、俺が死ぬ。
シュウを中心に捉えた俺の瞳の端で、未だに汚れなき純白のトーガをまとう少女が、微かに微笑みをたたえたのが分かった。
「あなたは私をイジメなかったから手伝ってあげる。お友達をやるんでしょう?」
場違いな美声は文字通り、天上からの救いの声に聞こえた。
「⋯⋯助かる。頼む、お前——」
「お前じゃなくて、イヴ」
俺の言葉を遮り、彼女——イヴははっきりと名乗った。
相手はOGREと化したシュウと、その周りを取り囲むOGREの群れ。
対してこちらはどこの馬ともしれないAA教の女、イヴと、俺。
彼我の戦力差は圧倒的だ。
「⋯⋯まともにやっても勝ち目はない。シュウ⋯⋯お友達を無力化したら、速攻で逃げるぞ」
「おっけー」
気の抜けた声と裏腹に、俺の義眼が異常に輝く奔流を捉えた。
思わず目を向けると、先程のシュウに起きたCCの活性がちゃちに感じるほどの光がイヴから立ち上っている。
唖然とする俺に気付いた少女はニコリと笑い、しかしその瞳の奥には、猛禽類以上の、純粋な暴力の色が宿っていた。
「大丈夫。私とあなたならやれる——無限のCCIを持つ者たちなら」
更新遅れましたが、今後もマイペースに続けていきます。




