2.昼
朝に起きることはなかったが、昼には何の問題もなく外へ出ていた──何の問題もない? 二日酔いを引きずって無目的に街を徘徊する人間のどこが何の問題もないんだ? なあ、死のうとしているんだろ? 今日こそなんだろ? これでやっとオサラバできるな。はあ長かった。うーん、いざ死ぬと決まると案外無感動なものだな。さっさと死んで、終わったら美味い飯でも食いに行こう。酒も飲んで、ああ今日やっとオレは死んだんだなって悦に浸ってまた明日だ。なあだから早く死のう。どこでどうやって死ぬんだ。教えてくれたっていいだろ。なあ。おい。オレがイラついてるの分かってるよな。
おいおい、死ぬ前にアイツを見てみろよ。アイツのズボン。かっけえズボンだ。虹色の輝きが水面の油みたいにうねってやがる。うねってるんだって! ──たしかに対向から歩いて来る男の履いているズボンは鈍い輝きを放っていて、まるで水面に浮く油のようだった。この例えはうねりというリアルタイム性にも言及している。奇妙でありながら主張が強すぎず、人に不快な連想を促すもののその裏には最先端技術の存在がうかがい知れることから上手く相殺され、あのズボンは見事に魅力以外の全ての要素を排除することに成功していた。あのズボンに描かれた油は排水となって海に繋がっていて、さらに海は世界へと開かれている。あのズボンさえあればきっとどこまでも泳いで行けるだろう。僕は地球を思い浮かべる──おいおい、妄想に飲み込まれる前にやることがあるんじゃないのか。あの男にズボンの交換を申し入れろ。大丈夫だ。何も変なことじゃない。お前の言う通り、何も問題はないさ──男に近づくと、男はまるで初めから全てを知っているみたいだった。男の目は黒ずんだ鰯みたいに泥と沈んでいるが、数秒ほど見つめればなぜか爽やかにも思えてくる手向けの花の趣さえ兼ね備えていた。あらゆる面でその男は不思議だった。二度と忘れることはないだろう。言葉を交わすこともなく僕らはお互いにズボンを脱ぎ合う。渡し合う。今更とはいえ僕は男に確認を入れる。
「大丈夫ですか。人がたくさんいますよ。」
「そんなこと気にもならないさ。そんなこと気にもならないさ。」
そう紫の唇の間から低い声で繰り返してもなお、男の爽やかな目は死んでいなかった。男は僕のズボンを履いて去って行った。あとは僕がこのズボンに描かれた排水の中を泳ぐだけだった。まずは北へ向かう。寒いから南へ向かう。行き当たりばったりの遊泳は地球を一周するくらいでは治まりがつかず、開始地点からずっと僕の体は虹色の油にまみれていたので、宇宙の闇に浮かぶ地球は一際キラキラうねっていた。




