【カウントダウン】
「ひとまず明日の十五時半までですよ。事件として、危険性が証明されていないうちは……間に合いそうですか?」
「善処するよ。悪いね、振り回して」
北条の乗ったパトカーを見やる。迎えが来るまでに、もう少し問い詰めても良かったのだが。下手に気分を害すると厄介そうだから、仕方ないか。
「気にしないでください。お二人のご協力には感謝してますから、できることは……あ、でも」
笑顔で胸を張った小園くんが、一転して眉をひそめる。碧波と俺にだけ聞こえる声で、早口に囁いた。
「龍馬さんも僕も、しばらくは取り調べに時間を取られると思います。何か調べたいことがあったら、僕に連絡してください。極力出るようにしますから。
あと、北条さんに確認したいことがあった場合は、土井垣という女性警察官が担当ですから。電話口では事務所名と名字と、北条さんの名前を言ってくださいね」
「ありがとう。龍馬にもよろしく」
「勿論です。では、僕はこれで」
パトカーを見送り、すぐさま車に乗り込む。情報が少ない上に、時間もない。僅かな間すら惜しいのだ。
「まずは現場へ。それから北条の身辺調査。大家にも当たるよ。二十四時間以内に、だ」
「謎を解く、が抜けてるよ。…ほんとに間に合うのかな。あの人依頼人なのに、一番重要なことを隠してる」
「それでも間に合わせなきゃね。事件としてどこまで重大なのかはまだわからないけど、保護されてるうちに解決するべきだと思う」
龍馬や小園くんがいるから聞いて貰えたが、本来なら、事件性が確立する前に保護されることなどない。よって、これ以上の融通は利かない。依頼人の安全が保証されているのは、今だけなのだ。
「うちに泊めるわけにもいかないし」
「絶対嫌だね」
「なんにせよ、タイムリミットまでには解決する必要がある。それで、提案なんだけど」
シートベルトを留めた碧波の顔を見つめる。今なら、もう問題ないはずだ。
「視点が一人分になるのは惜しいけどさ。……別行動、してみる?」
「…本気?」
エンジンを掛けながら聞いてみると、碧波は驚愕の表情を浮かべた。驚きというよりも、むしろ引いている。そんな顔向けないでよ。泣いちゃうぞ。
「無理でしょ。私たち、たぶん二人揃ってやっと一人分だよ」
「そんなに?」
「自分たちがホームズやポワロと同じレベルだって言うなら、手分けするのは賛成だね」
「……すみませんでした」
少しの安堵とともに、謝罪の言葉を呟く。碧波は苦笑を浮かべると、スマホをホルダーにセットした。
「手分けすれば浅い情報しか得られない。効率重視なら、ちゃんと順番を決めることだ。現場を見たら、次は大家の住所を調べる。大学に聞き込みをして、あとの時間で考える。他に必要なことは?」
「現場を確認し次第、北条と連絡を取ろう。部屋をどんな状態にして出掛けたのか知りたい」
ブレーキから足を離すと、車は滑らかに走り出す。頷いた碧波が、腕時計に目を落とした。
「あと、二十四時間二十分」
小さなアパートの近くに車を停める。一階の角部屋が北条の自宅だ。一階と言えど外側からは見えにくい場所だし、防犯にはなるのだろう。……いや、見通しが良い方が安全なのか?
借りていた鍵でドアを開け、部屋の中を覗く。一目見るなり、碧波が不織布マスクの針金を押さえた。
「……すごいね」
カーテンを閉め切った薄暗い中でも、部屋の異常さは充分に表れていた。
床一面を覆う白い粉は、まるで雪が積もったよう。ハンガーに掛かった沢山の洗濯物には満遍なく粉が付き、机もベッドも、壁も、天井までもが粉にまみれていた。よく見ると、玄関にも薄っすらと粉が積もっている。
「北条の目元には、確かにアレルギー症状が出ていた。この粉が小麦粉なのは確定でいいだろうね」
話しながら、床を目で辿る。事務所に来た北条の足と同じサイズの足跡が、くっきりと残されていた。部屋の真ん中まで歩き、引き返した足跡だ。形も歩幅も、不自然な点は特にない。写真を撮り、ビニール袋を被せた足を踏み入れる。
「依頼内容は本当のことを言ってるみたいだね。大紫兄、どう思う?」
「その一、北条の自作自演。その二、不法侵入者の仕業。その三、お隣さんの嫌がらせ……このうちのどれかかな。見て、そこ」
床の一点を指差すと、碧波が目を丸くした。粉の積もったそこには、薄く光が差し込んでいる。
「なにこれ」
「角度からして、たぶん……ここかな」
碧波を壁際へ誘導し、ほんの少し棚をずらす。露になった壁には、直径三センチメートル程度の穴が一つ開いていた。手をかざし、床の光が隠れるのを確認する。確かにこの穴から光が漏れ出ているようだ。
「その三だとしたら、ここから粉を撒いたってこと?」
「手段は何なりとあるよ。ブロワーを使ったとか」
「騒音がするものは使えないよ。居住者全員に怪しまれる」
顔を寄せ、穴を覗いてみる。何も置かれていない、なんとも殺風景な空間だ。カーテンのない窓からは日光が差し込み、漏れていたのはこの光だったのだと気付く。
「空き部屋かな」
「ミニマリストって線もある」
「隣は空き部屋だよ」
「ひぇ⁉」
「ぎゃ」
「おわッ」
突然玄関先から声が響く。半開きだったドアの外からこちらを見ているのは、白髪混じりの初老の男性。
驚きのあまり、思わす碧波の肩にしがみついた。中途半端に立ち上がりかけていた碧波はバランスを崩し、後ろ向きに俺の方へと倒れてくる。不意打ちの事態を未だもやし体格の俺が受け止められるはずもなく、二人仲良く転倒した。
はずみで吊られていたセーターが落下し、さらさらの煙幕を張りながら碧波を覆う。
「ぶふぇッ、げほッ」
「……なーにやっとるかね」
一瞬にして全身小麦粉まみれになった俺たちを、男性は戸惑い顔で眺めていた。




