2-17.上の空ディナー
どういう順路を辿ったかは覚えていないが、気づいた時には自室のベッドに寝転んでいた。
アズマヤは手に持ったメモを確認してから、天井を仰ぐように大の字になって、虚ろな目をただまっすぐと正面に向ける。
いろいろなことが積み重なったこともあって、アズマヤの気持ちはうまく置き所を見つけられないまま、騒めきを抱え続けているのだが、その中でもアズマヤの中に強い影響を与えているものがマルイとの約束だった。
女子との関わりがない人生ではなかったが、それはあくまで友人関係とか、そういうものの延長線上にあることで、決して色っぽい話の類ではなかった。
そのこともあって、ヒノエとそうであるように、普通に会話するなどのことにあまり大きな抵抗はないが、そこから少しでも踏み込んでしまうと、どのように振る舞えばいいのか分からなくなり、アズマヤの中に動揺が生まれる。
今は正にその動揺の中にいて、アズマヤは貰ったマルイの部屋を示すメモを手に、その部屋にどのような表情で向かえばいいのか分からなくなっていた。
いや、冷静になって考えれば、話の流れからマルイの部屋に誘われた理由がマルイの言っていたことに関わっていることくらいは分かる。
そこは十分に理解しているのだが、そのマルイの発言の真意がどこにあるか分からない以上、アズマヤを部屋に招いたマルイが何を言い出すのかは分からない。
可能性は常に存在して、その可能性に期待しているというよりも、その可能性が現実になってしまった時に、自分は何をすればいいのか分からないという気持ちが正直なところだ。
あるかもしれない可能性に気持ちが昂っているわけではなく、あるかもしれない可能性を考えたら、自分の取るべき行動が分からなくなって、頭が真っ白になっていると言った方が今の気持ちとしては正確だ。
何でもないなら何でもないで構わない。その方がいいとすら思っている。
その考えがそのまま通用し、ただアズマヤが質問したことに対する回答をマルイが用意しているだけなら、この緊張も動揺も全て仕舞い込めばいい。
その未来を望みながら、アズマヤはゆっくりと溜め息のような息を吐いて、渡されたメモをテーブルの上に置いた。
それから、何か気になってしまって、そのテーブルの引き出しの中に移動させることにする。
何となく、見つからない方がいいと思ったが、その見つからない方がいいと思った相手が誰であるのかは分からない。
ただ一瞬、ヒノエの顔は思い浮かんだが、そこでヒノエの顔を思い浮かべた理由はアズマヤ自身も分かっていない。
そうこうしていたら、不意に部屋の扉がノックされ、アズマヤの身体はビクンと跳ねた。
ノックされたことに驚いたわけではなく、ノックされたことで部屋の外に誰が立っているのかを想像してしまい、アズマヤの中で和解しかけていた緊張が再び首を擡げてしまった。
まさか、と頭の中では声に出しながらも、アズマヤの中でマルイの顔が思い浮かんで、アズマヤはかぶりを振る。
マルイは部屋で待っていると言っていたので、自分から逢いに来ることはないはずだ。その必要性がない。
きっとマルイ以外の誰かだと思いながらも、頭の中に捨て切れない顔を張りつけて、アズマヤはノックに答えるように声を出す。
それから、部屋の扉をゆっくりと開いてみると、そこには想像通りにマルイではなく、キッカの顔があった。
「お休みでしたか?」
「え、ええ、まあ……」
そう答えながら、視線をずらしたアズマヤがキッカの奥に立っていたヒノエと目を合わせる。
その視線に気づいたヒノエは微笑んで、僅かに頭を下げてくるが、アズマヤはそのヒノエの視線や表情に何を返したらいいか分からなくなって、思わず目を逸らしてしまう。
良く分からないが、言葉にし切れない後ろめたさが心の内側に張りついている。
「ミチカ様がお戻りになられて、これから夕食をお二人と一緒に食べたいと仰っているのですが、アズマヤさんはどうされますか?」
「ああ、そういうことなんですね。でしたら、超人の件も聞きたいので、ご一緒させていただきます」
アズマヤはミチカとのディナーの誘いを受けることにして、一度、自室の電気を消すために部屋の中に戻ってから、キッカの案内で移動することになった。
道中、ヒノエが僅かに覗き込むように、アズマヤの顔をじっと見つめてくるので、アズマヤは思わず見つめ返し、ゆっくりと首を傾げた。
「どうしました?」
「い、いえ、何でも……」
「そうですか?あの後も、タタラメさんの案内で屋敷の中を?」
「はい。いろいろと見てきましたよ。プールとか」
「そうなんですね。良かったです」
アズマヤが僅かに微笑むと、ヒノエは不思議そうにアズマヤの顔を見てきた。
「良かった?」
「いえ、ヒノエさん。あんなことがあった後だし、この屋敷に泊まることになって、お母様にも逢いに行けていないから、どういう様子かと心配していたので」
「ああ、そういうことですか……」
アズマヤの言葉に納得したようにヒノエが頷いてから、僅かに俯いて自身の胸元に手を当てた。
「正直、不安な気持ちとか、焦る気持ち自体はあるんですよ。でも、その気持ちと同じくらいにアズマヤさんに助けていただいた感謝とかもあって、ここでアズマヤさんを置いて、一人で母のところに行くっていう風にはどうしても思えないんですよ」
「俺への感謝……?」
ヒノエをここに留めている思わぬ理由の一端を耳にし、アズマヤは少し戸惑った。
もしかしたら、一人で出発していたかもしれないヒノエを留めているという後ろめたさの他に、自身を思ってくるヒノエの気持ちへの嬉しさもあって、アズマヤの心は複雑な感情に支配される。
「だから、アズマヤさんを無事に見送るまで、そういう気持ちは出さないようにすると決めたんです」
ヒノエの決意にアズマヤはどう言おうか悩み、うまく笑顔を作れないまま、困ったように頭を掻いた。
ヒノエとは短い付き合いだが、その中でもヒノエがどれだけ頑固かは知っている。
仮にアズマヤがここでヒノエを先に送り出そうとしても、それをヒノエが認めることはない。
それがあったから、アズマヤとヒノエは今、この屋敷にいるのだから、それは間違いない。
「つきました。ミチカ様は既に中でお待ちです」
辿りついた扉の前でキッカが立ち止まって、そう告げたことでアズマヤとヒノエの話は中断された。
そこは既に何度か訪れたダイニングルームである。
キッカが扉を開けて、その中に足を踏み入れたら、そこではテーブルの上にアイユが様々な料理を並べている最中だった。
その向こうではミチカがテーブルについていて、部屋にやってきたアズマヤとヒノエに笑みを向けている。
「ただいま、ヨースケくん。部屋で休んでいると聞いていたけど、調子は良さそうで良かったよ」
「おかえりなさい。一応、様子を見ただけなので、怪我自体に影響が出ているわけではありません。心配させてしまってすみません」
「いやいや。ほら、昨日の夜は一緒に食べられなかったから、今日は一緒に食べたいと思ってたの」
ミチカに手招きされるまま、アズマヤとヒノエはテーブルについた。
具体的な肉の種類も調理法も分からないが、とにかく見た目からして美味しそうな肉料理をメインに、スープやサラダ、パンが一緒に並べられている。
飲み物はワイングラスが置かれているが、流石に未成年であるからして、そこにワインが注がれるわけもなく、そこには水が入っているようだ。
「それではいただきます」
ミチカの一言がきっかけとなって、アズマヤ達の夕食が開始された。
アイユの食事は既に朝や昼にも食べているが、それでも驚くほどに美味しく、アズマヤの手は自然と進む。
「今日はどうだった?キッカに案内してもらったんだよね?」
「ああ、はい。いろいろと見させていただきました」
「とても凄かったです」
ヒノエが僅かに目を輝かせながら、ミチカにそう言っていた。
アズマヤは途中で離脱してしまったが、あの後にもいろいろと見せてもらったようで、ヒノエはそこから何を見たのかというミチカの質問に、楽しそうな様子で答えている。
その姿を見ながら、アズマヤはさっきのヒノエの言葉を思い返していた。
アズマヤを無事に見送るまで、ヒノエは自分の抱えた不安とか焦りみたいな感情をできるだけ見せないようにしている。
それは裏側にそういう感情があることを意味していて、その感情をアズマヤが我慢させている事実を意味する。
きっとヒノエはそういう気持ちで言ったのではなく、アズマヤの帰宅を見届けるまでは自分の気持ちを優先したくないという、本人の中にある前向きな気持ちから言った言葉だとは思うのだが、その気持ちを聞いたアズマヤはどうしても、そう受け止められない部分が強かった。
ヒノエの気持ちも行動も居場所も、全てを自分が縛っているのかもしれないと考えたら、途端にさっきまで美味しかった肉の味が分からなくなる。
アイユがそう言っていたように、アズマヤはもう少し早くヒノエの近くから離れた方がいいのかもしれない。
そう考えている途中だった。
「アズマヤさん?」
不意にヒノエの不安そうな声が聞こえ、アズマヤは慌てて顔を上げた。
どうやら、深く考え込み過ぎていたようで、ヒノエとミチカの心配した眼差しがアズマヤに向いている。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です!何でもありません!」
アズマヤは慌ててそう答えるが、ヒノエはあまり納得できていない様子で、更に質問を投げかけてきた。
「本当に大丈夫ですか?実は怪我がまた痛み出しているとかないですよね?」
「大丈夫です!そうならないように休んだので、怪我は良くなっていっています」
「それなら、いいですけど……」
まだ心配そうな目を向けるヒノエに、余計な不安を与えてしまったとアズマヤが反省している最中のことだった。
入口近くに立っていたキッカが不意に動き出し、ミチカの隣に移動して、ミチカの耳元に口を近づけた。
「ミチカ様……後で少しお話が……」
囁くようにそう告げて、ミチカはどこか怪訝げにキッカを見ている。
「どうしたの……?」
「いえ、ここでは……」
そう言いながら、キッカがアズマヤとヒノエに目を向け、アズマヤが不思議そうに見つめ返していると、ミチカは何かに納得したらしく、僅かに頷いた。
その様子にどうしたのかと思ったが、その雰囲気を察したらしく、ミチカが話を変えるようにアズマヤを見てくる。
「そうだ。ヨースケくんのことだけどね。軽く調べた感じ、超人の動きが少し離れたみたいだから、明日には帰って大丈夫だと思うわよ」
「あっ、そうなんですか?」
「ただ、セツナちゃんに協力した理由みたいなものは用意した方がいいわね。あまりセツナちゃんの評判を落としたくはないんだけど、実は脅されていたとか、そういう理由がないと超人にまた捕まっちゃうかも」
「ああー、そういう感じですか……」
アズマヤがどうしようかと迷いながらヒノエを見ると、ヒノエは気づいた視線に明るく微笑みを返してくる。
「私なら大丈夫ですよ。アズマヤさん自身を守るために利用してください」
「そうは言っても……」
後ろめたさを隠し切れずにいると、ミチカが少し笑い声を上げて、アズマヤの顔を優しい眼差しで見てきた。
「ヨースケくんは優しいのね。でも、大丈夫。セツナちゃんからしても、きっとヨースケくんが助かることの方が嬉しいから、ヨースケくんはヨースケくんのことを考えてあげて」
「そうです。アズマヤさんはアズマヤさんのために動いてください。その方が私は喜びます」
ミチカの発言に乗っかるようにヒノエもそう言ってきて、アズマヤは消し切れない後ろめたさを抱えながらも、その提案を飲み込むしかなかった。
「分かりました。何か理由を考えておきます」
そう約束し、その話題はそこで終わったが、アズマヤの中に残ったモヤモヤとした気持ちには折り合いがつかず、そこから飲んだスープの味はあまり分からなかった。
◇ ◆ ◇ ◆
夕食を終えて自室に戻ってから、アズマヤは時刻を確認した。
そろそろ頃合いかと考え、アズマヤは仕舞い込んでいたメモを取り出す。
それと同時に心の片隅に追いやっていた緊張感も戻ってきてしまったが、もうここに来て逃げ出すわけにはいかない。
約束を反故にしないためにも、向かうしかないと考え、アズマヤは自室を後にして、メモに描かれた部屋に向かうことにした。
メモは簡単なものだったが、複雑な道路を移動するわけではない。
屋敷の中を移動するだけなら、それでも十分に理解でき、アズマヤは簡単にマルイの部屋の前に辿りつけていた。
そこで大きく深呼吸をして、自身の中に生まれた緊張や動揺と和解してから、アズマヤは目の前の扉に拳を軽く叩きつけた。
二度ほどノックをすれば、扉がゆっくりと開いて、中からマルイが顔を覗かせる。
「こんばんは」
アズマヤがそう挨拶していると、マルイはきょろきょろと廊下を見回し、そこにアズマヤ以外誰もいないことを確認していた。
「誰にも見つかってませんか?」
「ああ、はい。大丈夫だと思いますけど」
「なら、急いで入ってきてください」
そう言ったマルイがアズマヤの腕を掴み、アズマヤの気持ちの整理がつく前に、アズマヤを自身の部屋の中に引き込んでしまう。
それから、アズマヤを部屋の奥に押し込んだマルイが扉を閉めて、後ろ手に鍵をかける音が聞こえ、アズマヤは動揺と困惑の籠った表情でマルイを見ることになった。
「えっと……マルイさん……?」
完全な密室に同年代の女子と二人っきり。
その状況にアズマヤの心臓は五月蝿いほどに動き始めていた。




