10-16.予後不良
寝ても覚めても吐き気がした。胃の中で何かが暴れているようだ。心臓が警報を鳴らすように脈打っている。
体調が悪い――わけではないことは分かっていた。気分の悪さは昨日から抱えていたが、その理由は明白だった。
モカは激しい後悔の中にいた。自分の取った行動が何を招いてしまったのか、思い出せば思い出すほど、身体は生を拒絶するようにのた打ち回る。
いや――と、モカは思う。
本当なら、苦しみも気分の悪さも受け入れて、自分から命を絶つことを考えるべきなのだ。モカの犯した罪はそう思えるほどに重かった。
ミトは何も言っていなかった。ジュンのことを説明する時も、意図的にモカの存在を排した様子だった。きっと配慮してくれたのだろう。
ミトに気を遣わせた。その事実も、モカの気分を最悪に落としている理由の一つだった。
そういう貸し借りのようなものをミトとの間に生みたくないとモカは心の底から思っていたというのに……。
とはいえ、今のモカに命を絶つという決断を下せるだけの覚悟はなかった。死に直面したら、何としてでも生き延びる方法を考えることだろう。そういう生命としての本能を消し去る領域にまで、モカは達していない。
それに加え、今の怪人組合の状況を考えたら、モカの身勝手な自己嫌悪で、更に戦力を欠く事態を生みたくはなかった。
それはただの罪の上塗りであり、何の贖罪にもなっていない。それくらいのことは分かる。
せめて、誰かの盾くらいにはならないと、今のモカに死ぬ権利はない。そう思えたら、少しだけ気持ちの悪さが減って、そのことにモカは苛立つ。
生きる理由が貰えたことに安堵する自分自身が心の底から嫌いだった。
腹の底で喚く虫と戦い、気持ちの悪さを少しばかりだが抑え込めてから、モカはようやく部屋を出る。気分的には誰とも逢いたくなかったが、そういう我が儘が通じる状況ではないことも確かだった。
何か役に立たないといけない。その思いの最中にモカはソラのことを思い出す。
それはソラを助けたいという純粋な思いであり、ソラと逢いたいという一種の欲望でもあった。
だが、明確な目標に身を寄せなければ、真面に立っていられないほどに心の折れかかった今のモカには、その存在があまりに救いだった。
モカはソラの部屋を目指して、廊下を歩き始める。一歩踏み出すごとに胃は荒れ、口の中に酸っぱさが広がったが、それはどれだけ気にしたところで消えてくれない十字架だ。モカは既に気にすることをやめて、ひたすらに目的地を見つめていた。
その視界にソラが入ったのは、ソラの部屋にもう少しで到着するというところでのことだ。廊下を一人で歩こうとしている姿を発見し、モカは慌てて駆け出していた。
ちょうどそこでソラが転びそうになり、モカは慌てて手を伸ばす。
「危ない!」
モカは思わず声を上げ、倒れかけたソラの身体に触れた。
その瞬間、ソラの身体から全身を貫くような鋭い電撃が走り、モカは強く歯を食い縛った。口から漏れかけた悲鳴を何とか噛み殺し、モカは必死に笑顔を浮かべる。
「だ、いじょうぶ……?」
固まる喉を無理矢理に震わせ、声を作る。かなり震えた声だったが、何も言えないよりは良かったとモカは安堵する。
「モカモカ……。ごめん……」
ソラがか細く漏れる隙間風のような声を発する。未だ怪我が治り切っていないことを分かりやすく示すもので、その状態でありながら、わざわざ部屋から一人で出てきたことにモカは疑問を覚えた。
「どうして、一人で?」
一人で身を起こそうとするソラを支え、モカは聞く。ソラの身体から漏れる電気は、モカが最初に触れた時に流れ、発散されたようで今は感じない。
「早く動きたいから」
ソラは声を発することすら苦しそうにしながらも、そのように言う。
「無理しなくても大丈夫だよ。私も、皆も、できる限りのことは協力するから」
そのことをソラが気に病む必要はないとモカは続けるが、ソラの表情は変わらなかった。
表情と同じくらい固い決意を携えて、ソラは言う。
「それだと間に合わない」
間に合わない。一体、何に――と言いかけて、すぐに疑問は引っ込んだ。ソラが何を見ているかなど、今の怪人組合の置かれた状況を考えれば明白だった。
今度の一件。超人とヴァイスベーゼが衝突する、その日までにソラは動けるようになりたいと考えているのだ。
どうして、そう思ったのかという部分に関しては、本人に聞かないとモカには正確なことは分からなかったが、それでも、何となくの想像はついた。
きっとソラは助けられるよりも助けたいと考えているのだろう。
少しでも役に立ちたいと感じ、そのために自身も、その現場に身を置くことを望んでいるのだろう。
だから、ソラはついていけるように――それが無茶だと分かっていても――動けるようになろうとしている。
身体に走った電気がソラの思いを乗せてくれていたかのように、モカにはそれらソラの気持ちが手に取るように分かってしまっていた。もちろん、全てが正しいとは言わないが、大きく違う部分は少ないだろう。
それでも、モカはソラを止めるしかなかった。今のソラの身体の状態で、当日までに動けるようになる可能性はかなり低い。
もしも動けるようになったとしても、それは動けるだけで、ソラが望むだけの活躍をするには、圧倒的に時間が足りない。
どちらにしても、その状態でソラを連れていくとは思えない。いや、連れていけないとモカは感じていた。
それなら、ここで無理をして、ソラの怪我が万が一にも悪化する危険性を防ぐべきである。モカの考えはそこに行きつき、ソラを止めるべきだと強く思った。
強く思っていた。強く思っている。
その気持ちは確かだが――止めなければいけないことは事実だが――モカはソラを止めるだけの言葉が口から出なかった。
浮かんでいなかったわけではない。ただ声にならなかったのだ。
モカの中ではジュンのことが浮かび上がり、発しかけた声を抑え込んでしまっていたのだ。
もしも、またここでモカが何かを言ったことで、最悪の事態を招いてしまったとすれば――その考えが頭の中に浮かび、モカの声は喉に引っ付いたように離れなくなる。
同時に、ここで何かを言わなかったことで、最悪の事態を招く危険性があることも分かっているが、それでも行動を起こした先の結果が頭に浮かんでしまい、モカの動きは止まる。
ソラが自立し、モカに小さく頭を下げてきた。
「ありがとう」
そのように声を発すると、ソラは再び廊下を一人で歩き出そうとする。
その風が吹けば転んでしまいそうな様子を目にしながら、モカは伸ばしかけた手をソラに向けることができないまま、宙を漂わせていた。浮かんだ言葉は喉に引っ付いたまま取れる気配がない。
やっぱり、自分は死ぬべきだ。
そう感じながらも、ソラの身体から流れ出た電気が生の実感を思い出させてしまい、モカは生きることに執着する気持ちも手放せないでいるのだった。




