第34話 魔王降臨
それぞれのベッドにもぐりこみ、リアの寝息が聞こえ始めた頃、ティアナは物音をたてないようにベッドを抜け出し、塔の外へと出ていった。
空にはいつかと同じ、黄金色の満月と星が輝いている。
ティアナは記憶をたどって王城のすぐ側の国守の森を進んでいく。一ヵ月前、マグダレーナと出会った場所――ルードウィヒに魔法で送られた場所へ。
背丈とあまり変わらない若い木の森を進み、草むらの奥に立つ、木の根元に腰をおろしてぼんやりと夜空に浮かぶ満月を見上げる。
ルードウィヒと交わした約束――
国守の魔女として、王子と結婚するように脅されていること――
リアの存在――
時空石の試練――
考えることが多すぎてティアナは思いつめたため息を漏らす。
『共に生きよう。離れていても心はずっと側に――私の心は君だけのものです。君の心も、私だけのものだと誓ってくれますか――?』
永遠の愛を誓って口づけ、ピアスをくれたルードウィヒ。そのせいで、国一番の魔力を持ったティルラは王族の嫁として請われ、拒否権はない。
『それが出来ないというのなら――お前も、一緒に来た娘も、どうなるかわかっておろうのぉ――?』
拒否すれば命はないと――あれはそういう意味。
ただ最後の別れを惜しみ、とった行動が――二人の愛を引き裂く結果を招くとは、無情だった。
リアはずっと側で見守っていてくれた、この国を気に入ったと、上手くやっていけそうだと言っていた――
そんなリアの命を見殺しにすることは――出来ない。
いくら考えても、どんなに考えても――選択肢は一つしかないのだ。
ティアナは悲痛に顔を歪め、ぎゅっと唇をかみしめた。
その時――
「元の時代に返してやろうか?」
甘く脳に響くバリトンがどこからか聞こえる。
ティアナは木に寄りかかっていた背中を起こし、警戒に身を縮め周囲を見渡す。
若い木の生える漆黒の闇から流れ出るように、全身黒づくめの衣装をまとい、漆黒の中でも輝く艶やかな長い黒髪を背中に流した二十代後半くらいの青年が現れる。
「あなたは――?」
そう問いかけながらも、なぜかティアナには彼の正体が分かっていた。
心の中で、警戒音が最高レベルになり響いている。
問いかけてはダメ、話してはダメ……彼の言葉に耳を傾けてはダメ――っ!
「私か――? 私の名はメフィストセレス」
にぃーっと歯を見せて笑った顔は優美で、その癖、畏怖の念を与える闇の様な笑顔。
ティアナはその名を聞いた瞬間。
ズキンッ――と胸が焼けるように痛みだす。
「私ならば、そなたを元の時代に帰すなど、造作もないこと」
いけない――!
鳴り響く警鐘に身を構える一方、その甘い誘惑の言葉に身を任せそうになる自分がいる。
帰りたい――元の時代に。
どうしようも出来ないティルラの運命に翻弄し、心が弱っていた。
彼の言う通りにして帰れるのならば――
ふらりと揺れる体を立ち上がらせ、ティアナはゆっくりとおぼつかない足取りでメフィストセレスに近づく。
「そうだ、いい子だ――元の時代に帰してやろう。その代わりに」
漆黒の瞳をギョロッと飛び出るほど見開き、にぃーっと口角を上げて笑ったメフィストセレスが長く骨ばった腕、尖った爪をティアナに伸ばす。
「そなたの体を――っ!」
メフィストセレスが代価を要求しティアナに触れようとした時、ティアナはここ最近ずっと心にいたルードウィヒではなくレオンハルトの顔を思い出し、触れられる直前で歩みを止める。
いけない――魔王の言葉に耳を傾けては。
強い心でもって闇に立ち向かわなければ――
何のために私は過去に飛ばされたのか――
誘惑に揺れ、心の隙間に入り込もうとした闇をティアナが拒絶した瞬間――
「うぅぅぅぅぅ……っ!!!!」
突然、夜空を照らす黄金色の満月が七色に輝き、メフィストセレスは身を捩りながら顔を両手で覆い、光はティアナの胸を目がけて稲妻のごとく貫いた。
ティアナはあまりの眩しさに目を瞑り、腕で顔を覆う。
キラキラと七色の輝きがだんだんと薄れていくのを感じ、ゆっくりと瞼を持ち上げると、目の前からはメフィストセレスの姿は消え、自分の真下に、ティルラが倒れていた――