第35話 ミッシングリング
ふっと見下ろしたティアナは、自分の体が透けていることに気づく。手も体も透け、明け始めた白い空と森の緑が体越しに見える。
一体、何が起きたのか分からなくて呆然としていると、足元の方で草の揺れる音がして、見ると草原に倒れ込んでいたティルラが自力で上半身を起こし、辺りを見回している。
「ティルラ……?」
ティアナがかけた声はティルラには届いていないようで、ティルラは立ち上がるとふらふらと森を歩き始めた。
ティアナはもう一度自分の体を見下ろし、地面から三十センチ程宙に浮いているのを確認してゴクリと息を飲み込む。地面を歩くように足を動かすと、ふわりと体が宙を前進し始め、ティルラの後を追いかける。
おぼつかない足取りながらも、ティルラは森から王城までの道をしっかりと知っているように迷うことなく進み、この一ヵ月を過ごした塔に辿り着く。
ティルラはベッドに腰を下ろすと定まらない視線で宙を見つめ、きゅっと唇をかみしめて、瞳を閉じた。
「ティルラ……?」
正面に立ったティアナはもう一度声をかけたが、ティルラは静かに目を瞑っていた。
夜が明け、ティルラが座っているベッドの足もとに座り込んでいたティアナはいつの間にか眠っていたことに気づき目をこすりながら立ち上がると、ティルラは部屋に戻ってきた時と同じ姿勢のまま座っていた。
「ん……」
ベッドからリアの声が聞こえ、伸びをしながら起きてくる。
「おはよう、ティアナ。その恰好で寝たの?」
寝ぼけ眼を瞬かせながら鏡の前まで行ったリアは、ぼさぼさの髪を撫でつけ、鏡越しにティルラに話しかける。
「ティアナ――? 私の名前はティルラよ。まだ寝ぼけているの、リア?」
ゆっくり顔を上げ、ティルラはきょとんとした顔でリアを見つめる。
「えっ、だってあなたは……っ」
リアは髪をいじる手を止め振り返りティルラを凝視する。
ティルラは首を傾げ、にこりと微笑む。その瞳の下は泣き腫らしたように赤くなっている。
「ティルラ――なの?」
「そうよ? 幼馴染なのに私のこと忘れちゃった?」
くすりと微笑むティルラを見て、リアは眉根を寄せる。
「戻ってきたの……?」
「えっ?」
「あなた、この一ヵ月のこと覚えているの……?」
「一ヵ月――? 一ヵ月に色々あったわね、リア。国が滅んで、南の国に亡命して――」
そう言ったティルラの瞳は切なく揺れる。どうやら、ティアナの魂が体の中に入っている間の出来事はしっかりと記憶にあるようだ――ティアナのことを除いては。
「ルードウィヒ――どうして、こんなことになってしまったのかしら……」
ティルラは顔を両手で覆って泣き崩れる。
鏡の前の椅子に座っていたリアは痛ましげに顔を顰め、がたりと音を立てて立ち上がると戸惑いがちにティルラに歩み寄る。
「ティルラ……なにかあったの?」
ティルラはふるふると儚げに首を横に振る。
「いいえ……ただルードウィヒのことを思うと……うぅ――」
抗えない現状――愛している人とは遠く離れ生涯を共にすることが出来ない。それでも誓った、唯一の絆すら守ることが出来ない――
自分の命は惜しくない。ただ、自分のせいで大事な幼馴染のリアの命まで散らしてしまう訳にはいかなかった。
選択肢はない――ティルラは王子と結婚しなくてはならない。それは裏切り――
愛おしい人を想って胸を痛めるティルラの気持ちが、ティアナには手に取るように分かり苦しくて切なくて胸が押しつぶされそうに痛んだ。
つぅーっとティアナの頬を透明の雫が伝い、胸に落ちた雫が七色の輝きを帯びる。
その瞬間――
くるくると視界が周り、景色が一転する。
※
雲一つなく晴れ渡った青空、森の木々には白い花が咲き誇り、時折吹く風に揺れて甘い香りを漂わせている。
色とりどりの華やかな衣装の人々が列をなし、その中央を真っ白で清楚な衣装を身にまとったティルラと優美な白い衣装を身にまとった男性が腕を組んで歩いて行く。
その男性が第五王子クラウスだとなんとなく知っていて――ティアナの頬を涙が伝う。
手を振りながら歩くクラウスは背はあまり高くないが、優しげな目元から温和な人柄がにじみ出ている。隣を歩くティルラは緊張して顔がこわばっているが、意思の強い瞳でしっかりと前を見据えている。
ティアナはその光景を人々の頭上から井戸の中の光景を覗きこむように見ている。
胸に熱い物を感じ見下ろすとそこには薄翠色の石が輝いてて、ティアナはそれをそっと両手で包み込む。
再び視界がくるくると回り、季節は移ろい――森の青葉が生い茂り、色を変え、散っていく。ティルラは国守の魔女として、王子妃として国を護ることにひたむきに取り組む。
ティルラがイーザに亡命してから五年が立ち、子を身籠り出産すると、魔力が徐々に衰え、それと同時に体力が低下し、病の床に伏せてしまう。
そのすべてを一瞬にして見てしまったティアナは、目の前の光景からゆっくりと手のひらの中にある瓢箪型の薄翠の石に視線を移し、問いかける。
「ねえ、これはあなたの仕業なの――? これが時空石の力なの――? どうして私をこの時代に飛ばした――? こんなに辛い宿命を私は見守らなければならないの――?」
話しかける間にも、目の前の光景は瞬く隙も与えずにどんどん移り変わっていく。
『我は時を刻むもの、カイロス。我を求めやってきた少女よ、そなたは己の血に流れる宿命と――いつか必ず闘う日が来るだろう。その宿命に立ち向かうには己の内に潜む闇を知る必要がある、その闇に打ち勝つことができる心の強さを持ち合わせているかどうか、我は試させてもらった――』
澄んだ声が脳内に響き、薄翠の石からゆらりとこの世のものとは思えない様な絶世の美青年が姿を現す。さらりと揺れる前髪は長く、切れ長の瞳は慈愛に満ちている。
『そなたはひたむきに人を愛する力で、見事、闇を討ち払った――その強い志に、我は答えよう。さあ、強く想い描くのだ。そなたの愛する者、愛する時代を――さすれば、我はそなたに力を貸し、そなたを導くだろう――』
現れた時と同じようにすぅーっと石の中に姿を消してしまった青年を――時空石を見つめ、ティアナはぎゅっと握りしめた。
お父様、エリクお兄様、イザベル、ジークベルト、民の皆――
レオンハルト様――!
強く強く愛おしい人の顔を思い浮かべ、会いたいと願う。
くるくると視界が急速に回り始め、目の前の光景が今までよりも早い速度で変化していく。
ティルラの子が成長し結婚し子を産み、そしてその子がまた子を産み、その子がまた子を産む――
「おぎゃー、おぎゃーっ」
元気な産声を上げて女の子が生まれ、その子を囲むように二十代の男女と小さな男の子、年配の女性が立っている。
――っ! お父様……あれは……お母様……?
二十代の男女は、ティアナが知っているよりもずっと若いが父と母だった。
では、あの赤ちゃんは――
「元気な女の子ですね、王妃様、おめでとうございます」
「ありがとう、マグダレーナ。この子の名前は……マグダレーナ、あなたが付けてくれるかしら? いいわよね、あなた?」
そう言って、隣に立つ父王に笑いかける王妃。側にいた年配の女性は、ティアナが知っているマグダレーナだった。
「ああ、私からもお願いするよ、マグダレーナ」
ティアナの母はティアナを出産後間もなく亡くなっている。生まれつき体が弱く、二十まで生きられないだろうと言われていたが二人の子を産み二十二歳まで生きた、清廉で心の強い人だと父から聞いたことがあるが、ティアナ自身、母の思い出や記憶はなく、語られる記憶と生前に描かれた絵姿を見たことがあるだけだった。
お母様――っ
思いがけず生前の母の姿を見ることが出来てティアナは胸が暖かい気持ちで満たされ、視界にじんだ。
「それでは――」
マグダレーナは腕を伸ばし、赤ん坊のティアナに手をかざし歌うように祈りの言葉を捧げる。
「何物にも汚されぬ強き魂を引き継ぐ赤子よ――そなたは偉大な国守の魔女の子孫、その名を受け継ぎし者。ティアナ・ローゼマリー・イーザ――この国を護り導き給え――」
「ティアナ――」
「ティアナ」
「ティアナっ!」
マグダレーナの名づけた名前を、王、王妃、エリクがそれぞれ愛おしげに呟く。
祝福されて授かった命――
ティアナは次々とあふれてくる涙を拭うことに夢中で、滲む視界と遠くなっていく景色、話声はだんだんと霞み、続いてマグダレーナの口から紡がれた言葉はティアナの耳には届いていなかった――
「王様、王妃様――一つ提案がございます。この子の宿命を切り開くために――を――」




