第71話 光の差す倉庫
作業が進むにつれ、倉庫の景色は様変わりしていった。
入り口付近は『白』の札ばかりだが、奥へ進むにつれて『黄』が増え、そして壁際の棚は――毒々しいほどの『赤』で埋め尽くされていく。
「……これほどとはね」
セラフィナが、赤い札のぶら下がった木箱の前で立ち尽くす。
中身は、旧式のランタンの部品。
かつては飛ぶように売れたが、魔石式が普及して需要が消えたものだ。仕入れの帳面の文字だけが立派に残り、現実の価値は抜け落ちている。
「どうしますか、セラフィナ。
これをこのまま“資産としての顔”で置き続けるか……それとも」
僕の問いかけに、彼女は一度だけ唇を噛み、そして顔を上げた。
「……旧式が売れる見込みはないわ。処分しましょう。
鉄屑として鍛冶屋に売るか、あるいは廃棄する。ルカ、あとで見積もりを出して」
「はい。……でも、商会長。帳簿の上ではどう処理しますか?
仕入れ値と売値の差は、帳簿では“損”になります」
ルカが心配そうに尋ねる。
仕入れ値で残っていた“価値ある顔”が、いまの現実の値段に落ちる。
その差は、見ないふりをしてきた痛みだ。
「構わないわ」
セラフィナはベルトのポーチからチョークを取り出し、自らの手で木箱の側面に『×』印を付けた。
ガリッ、と乾いた音が、静かな倉庫に響く。
「ここに“損”って書くのは……正直、すごく悔しいわ。
父が残してくれたお金を、私の代で泥に落とすみたいだもの」
彼女の手が微かに震えている。
けれど、その瞳は逃げていなかった。
「でも、誰かがそれを書かないと……価値のないものが、ずっと“価値ある顔”をして帳面に残ってしまう。
そうしたら、本当に助けたいときに、この商会は重すぎて動けなくなるのね」
彼女は振り返り、僕を見た。
「はい。その通りです」
僕は力強く頷いた。
「今日、この痛みを引き受ければ……次の冬、エルドレッサはもっと強くなれます。
見せかけの脂肪を落として、本当に必要な筋肉だけを残すんです」
「……ええ。やりましょう」
セラフィナが次々と赤札の箱に印を付けていく。
レオニスがそれを運び出し、ルカが帳面に次々と“評価の書き換え”を記録していく。
一つの箱が運び出されるたび、床に積もっていた埃が舞い上がり、そして光が差し込む。
減っていく在庫。増えていく“痛み”の記録。
けれど不思議と、倉庫の空気は重くならなかった。
むしろ、澱んでいた空気が流れ出し、新しい風が吹き込んでくるようだった。
* * *
それから一週間。
エルドレッサ商会の大倉庫は、以前と同じ場所とは思えないほど様変わりしていた。
積み方を変え、動きのいい『白い札』の箱を手前に出し、『赤い札』の箱のうち、確認して“不要”と判断したものを処分しただけで、通路は馬車がすれ違えるほど広くなっていた。
今までうず高く積まれた箱に塞がれていた高窓からは、たっぷりと朝の光が差し込み、磨かれた床の木目をくっきりと照らし出している。
いくつかの箱は、安値ではあったが現金に変わった。
そして一部の古着や素材は、ルカの提案で、街の光輪教会が運営する救貧所へ寄付されたり、若手職人の練習用素材として格安で卸すルートが開拓されつつある。
「いやあ、驚きましたよ!」
すれ違った倉庫番の男が、重そうな荷物を軽々と運びながら笑いかけてきた。
「探し物がすぐ見つかるようになったんです。
前は『あれ、どこだっけ?』って奥の暗闇を探し回るだけで半日潰れたりしましたけど、今は一発ですよ。
おかげで腰の痛みも減りました!」
男は、肩に乗っていた見えない重りをひとつ外したような、晴れやかな顔で仕事に戻っていった。
「……ふふ」
隣を歩いていたセラフィナが、小さく笑った。
「どうしました?」
「いえ、前よりずっと“身軽になった”感じがするなと思って」
彼女は、光の満ちた倉庫を眩しそうに見渡した。
「帳簿の数字は、たしかに一時的に痛くなったわ。
“評価の書き換え”のせいで、利益はギリギリ。……でも、不思議ね。全然、不安じゃないの」
「それは、中身がきれいになったからです」
僕は答えた。
「数字が“良くなった”わけじゃありません。――“正しくなった”。
今のエルドレッサには、嘘がありませんから」
正しい処理ができた達成感もある。
でもそれ以上に――ここで働く倉庫番や、ルカやレオニスたちの顔つきが、少しだけ明るくなっていることが嬉しかった。
(やっぱり、数字は“誰かの仕事”と繋がっているんだ)
* * *
「ねえ、アラタ」
出口へ向かおうとした僕の袖を、セラフィナがくい、と引いた。
「はい?」
「このあと、少し時間あるかしら」
彼女は少し悪戯っぽく、けれどどこか照れくさそうに首を傾げた。
「……よかったら、この街で一番景色のいい場所、付き合ってくれない?
頑張ってくれた、お礼がしたいの」
その笑顔は、秋の陽射しのように眩しかった。
倉庫には高窓から光が落ち、通路の奥まで見通せる。――もう、隠す場所はない。
けれど僕の中にはまだ、彼女に言えない“秘密”が残っている。
その事実が、差し伸べられた手を取る指先を、ほんの少しだけ躊躇わせた。




