第69話 守りと腐りを分ける灯り
和やかな空気が落ち着いたところで、僕は表情を引き締めた。
ここからが本題だ。
「……セラフィナ。改めて、見てもらいたいものがあります」
僕はレオニスに目配せをした。
レオニスが頷き、持っていた“隔離袋”をテーブルの上に置いた。
「これは?」
「昨日の夜……レオニスとルカに頼んで、倉庫の中を一部、確認させてもらいました」
勝手なことをしたと怒られるかもしれない。
だが、セラフィナは静かに僕の言葉を待ってくれた。
「先日の棚卸しで、“高級品”としてまとめて載せた箱から出したものです」
レオニスが袋の口を開く。
中から取り出されたのは、白く濁り、表面に細かいひび割れの入った魔石だった。
「……っ」
セラフィナが息を呑む。
魔力を扱う商会の主なら、一目で分かるはずだ。それがもう、売り物にならない状態であることを。
「魔力漏れ……」
「はい。A級品の箱に入っていたものです。
封印が弱って、中身が変質していました。これ一つだけじゃありません。同じ箱の中で、いくつもの石が連鎖的にダメになりかけていました」
僕は、痛ましい姿になった石を指差した。
「あの時の棚卸しは、“複式簿記を始めるための第一歩”でした。
とにかく倉庫にあるものの“量”と“原価”をそろえて、帳簿という形を作ることが最優先だった。
でも……“今いくらの価値があるか”という品質のチェックまでは、とても手が回りませんでした」
それは、過去の作業が間違っていたわけではない。
ただ、段階が違っただけだ。
「だからこそ、今、時間をかけて“二段階目”の棚卸しをやる必要があると思うんです」
僕はセラフィナの目を見て、誠実に言葉を重ねた。
「在庫には、二種類あります。
一つは、冬や病気に備えるために、あえて持っておく在庫。多少コストがかかっても、街と命を守るために必要なもの。
……これは、“守りの在庫”です」
セラフィナが、小さく頷く。
「でも、“昔は高級品だったから”“いつか役に立つかもしれないから”と、ただ置いてあるだけの箱の中には……もう誰の役にも立たないものが混ざっている。
それは、“腐る在庫”です」
僕はテーブルの上の、光を失った魔石へ視線を落とした。
「腐る在庫は、放っておけば周りの良品までダメにして、管理の手間を奪い、商会の体力を静かに食いつぶす“病気”になります。
……これを区別して取り除くことは、決して“備え”を捨てることじゃありません。
むしろ、本当に必要な時に商会が動けるようにするための、治療なんです」
セラフィナは、長い間、黙って魔石を見つめていた。
その横顔には、悔しさと、そして安堵がない交ぜになったような、複雑な色が浮かんでいた。
やがて、彼女はぽつりと呟いた。
「……怖かったのよ」
「え?」
「父が残した箱が減っていくのが。商会の倉庫がスカスカになってしまうのが、怖かった」
彼女の声は震えていた。
「父が守ってきたものを、私の代で減らしてしまったら、何か取り返しのつかないことが起きるんじゃないかって。
だから……“守り”と“腐り”を区別せず、全部まとめて“必要な在庫”だって言い張って、安心したかったのね」
それは、商会長としての告白であり、父の背中を追い続ける娘としての弱音でもあった。
彼女はずっと、孤独にその恐怖と戦ってきたのだ。
僕は、自然と一歩前に出ていた。
「……一人で判断する必要はありません」
僕の言葉に、セラフィナが顔を上げる。
「僕がいます。レオニスも、ルカもいる。
数字は、恐怖を煽るためのものじゃありません。
何を残して、何を捨てるべきか……それを冷静に決めるための灯りです」
僕は手を差し出した。
「一緒に行きましょう、セラフィナ。
倉庫へ行って……今度こそ、本当の“中身”を見に行きましょう」
セラフィナの瞳に、涙の膜が張る。
けれど彼女はそれを瞬きで散らし、いつもの凛とした、けれど以前よりずっと柔らかな表情で微笑んだ。
「……ええ。お願い、アラタ」
彼女の手が、僕の手をしっかりと握り返した。
その手は少し冷たかったけれど、力強い意志が脈打っていた。
「レオニス、ルカ。……準備をして。
今日は、エルドレッサの大掃除よ」
「はい、姉さん!」
「承知しました!」
僕たちは四人で、執務室を出た。
向かう先は、南の大倉庫。
あの箱の山の中から、何を残すべきなのか。
帳簿の数字を一つずつ現実と突き合わせたとき――答えが出る。
真実を知るのは怖い。
それでも、目を逸らしたまま冬を越すことは、もうできなかった。




