第62話 街を守る宝
セラフィナは箱の札を確かめ、倉庫番に短く指示を飛ばしていた。
――けれど。
僕の会計士としての目は、その“豊かさ”の陰に隠れた、別のものを見つけ始めていた。
(……ん?)
違和感の正体は、最初は小さな“埃”だった。
通路の手前にある箱は、頻繁に出し入れされているのだろう。木箱の角は擦れて丸くなり、木の地肌が見えているものもある。人の手が触れている証拠だ。
だが、通路の奥へ進むにつれて、あるいは棚の上段を見上げるにつれて、その気配が変わる。
高く積み上げられた木箱の上のほう。そこには、うっすらとだが、確実に白い埃が積もっていた。
(あの箱、いつからあそこにあるんだろう?)
僕は目を凝らした。
薄暗くてよく見えないが、木箱に貼られた羊皮紙のラベルが、黄色く変色し、端がめくれ上がっているのが見える。書かれた文字もインクが薄れて読みづらい。
さらに歩くと、鼻につく匂いも変わってきた。
入り口付近では新鮮な木や穀物の匂いがしていたが、この辺り――薬草やポーションの瓶が保管されているエリア――では、古びた薬草特有の重たい匂いが漂っている。
湿気と、停滞の匂いだ。
空気が動いていない。物が動いていない。
「……セラフィナ」
僕は、彼女の誇らしげな解説を遮らないように、控えめに声をかけた。
「ん? どうしたの、アラタ」
「少し、質問してもいいですか」
僕は、自分の右側、天井近くまで積まれた木箱の壁の一角を指差した。
「この列の荷物……冬が終わるまでに、だいたいどれくらい減るものなんでしょうか?」
セラフィナは視線を上げ、即座に答えた。
「ああ、それは高級ポーションの予備原料ね。冬の間は街道が止まるから、冒険者ギルドからの急な依頼に備えて多めに確保してあるの。
……そうね、冬が終わる頃には、手前の三列くらいは捌けるかしら」
「手前の三列……ですか」
僕は、その奥に広がる闇を見た。
ここに見えているだけで、奥行きは十列以上ある。
もし一冬で三列しか減らないなら、残りの七列は?
「その奥の……ラベルが少し古くなっている箱たちは、最近動きましたか?」
僕の問いに、セラフィナは少し不思議そうな顔をした。
「奥? ええ、しばらく動かしていないはずよ。あれは、昔からの備蓄品だもの」
「昔から、というと?」
「父の代から続く備蓄区画よ。“いざというとき”のために、絶対に切らさないように残してあるの」
彼女は迷いのない瞳で言った。
「ポーションも、魔石も、素材も。足りなくなることだけは許されない。
だから備蓄の列は、常に一定量を切らさないようにしているの。手前から使って、減ったらすぐ補充して回す」
そう言ってから、彼女は少しだけ視線を逸らした。
「……ただ、その回す列のさらに奥には、父の代からほとんど崩していない箱が残っているわ。あれが本当の“最後の砦”。いざというときのために、絶対に手をつけない列よ」
――先入先出し自体は、やっている。
けれど“回している列”のさらに奥に、回転から外れた箱が残っている。
新しい在庫は手前で入れ替わっていく。
だが、奥の箱は、崩す理由がない限り、そこに居座り続ける。
何年も。誰の手にも触れられず。誰の役にも立たないまま。
「……そうですか。いざというときのために」
僕はそれ以上、言葉を継げなかった。
セラフィナの表情があまりにも真剣で、そしてこの街を守るという使命感に満ちていたからだ。
彼女にとって、このうず高い箱の山は“安心の壁”だ。
けれど、僕の目には違うものに見えていた。
(この山のどこかで……お金が、静かに死んでいってはいないだろうか)
備えが必要なことは、頭では分かっている。
それでも、天井まで積み上がったこの在庫の山は、“多すぎる”としか思えなかった。
「どう? これだけあれば、アラタも安心でしょう?」
セラフィナが、無邪気な信頼を込めて僕に微笑みかける。
その輝くような笑顔に対して、僕はうまく笑えなかった。
彼女に何と言えばいいのか――?
(帳簿の数字の裏に“嘘”が積み上がっているかもしれない)
その直感を、僕はまだ言葉にできなかった。




