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第59話 王都への報告書

――王都オルドリア。


「……はあ」


レティシアは、重厚な執務机に向かいながら、深いため息をついた。

窓の外には、王都の煌びやかな夜景が広がっている。だが、この庁舎の中は死んだように静かだった。


王都の官庁舎は広い。だが、まともに灯りがついている部屋は少ない。


隣の棟にある「台帳局」は、数十年分のカビの生えた羊皮紙に埋もれ、誰もその山を崩そうとはしない。向かいの「書記局」は、来週行われる王族の誕生祝賀会の席次表を磨き上げることに全精力を注いでいる。


そして、この国の財布を預かるはずの「財務局」の端っこで、十数人の変わり者たちが、終わりのない数字の計算に追われている。


「……休暇の代償とはいえ、高くついたわね」


レティシアは独りごちて、苦笑した。


彼女が異例の長期休暇を勝ち取れたのには、裏がある。

上層部と交わした取引――『近年、急激に成長を遂げている辺境都市ローレンツァの実態を視察し、報告書を提出すること』。それが条件だったのだ。


彼女は羽ペンをインク壺に浸し、羊皮紙に向かった。

官僚として嘘は書けない。だが、書き方ならいくらでも工夫できる。


(……変に隠せば、余計に怪しまれる。なら、堂々と書くのが一番ね。誰も読みたくならないような、退屈な事実の羅列として)


彼女はペンを走らせ、あえて堅苦しい言葉を選んで書き始めた。


『……同地においては、商取引に関する新たな記録手法が試行されている。設備投資を単年度支出とせず、長期的観点から配分するなど、実験的な試みが見られる』


『本手法は、同地のエルドレッサ商会顧問、アラタ・トマツにより提唱されたものであり、この手法を活用することで税収の安定化に寄与する可能性を秘めているものの、あくまで理論的な実験の域を出ない……』


名前も、商会も、隠さない。

だが、それは“取るに足らない地方の実験”という文脈の中に埋め込んだ。

これなら、数字よりも派閥争いにしか興味のない上層部は、大して興味を持たずに読み飛ばすはずだ。


「……これで、義理は果たしたわよ」


レティシアは署名し、封蝋を押した。


* * *


――数日後。財務局局長室。


豪奢な調度品に囲まれた部屋で、一人の男が書類の山と向き合っていた。

整えられた白髪に、鋭い眼光。財務局長、ヴィクトル・アークライト。


王宮内の派閥争いをその政治力で渡り歩いてきた古狸でありながら、同時に“数字”に対して異常なまでの嗅覚を持つ男だ。


彼は、書類の束から、一枚の報告書を拾い上げていた。


「……ほう」


ヴィクトルは、分厚い指先でその紙面をなぞった。

レティシア・ファルステッド提出の視察報告書。

一見すれば、よくある退屈な地方視察の報告だ。だが、ヴィクトルの目は誤魔化せなかった。


「新たな記録手法……? 投資を時間で割る、だと?」


彼は眼鏡の位置を直し、食い入るように文字を追った。

この理論は、単なる机上の空論ではない。実務の現場を知っている者が、実際に金を動かし、血を流して得た“生きた法則”の匂いがする。


「アラタ・トマツ……。聞いたことのない名だな」


ヴィクトルは報告書を机に置き、椅子に深く沈み込んだ。

レティシアがあえて堅苦しい文体で書いた意図も、彼には透けて見えていた。


(隠したかったのか。それとも――守りたかったのか)


「ふん……。レティシア君も、また厄介な話を拾ってきたものだ」


ヴィクトルの口元が、わずかに歪んだ。


それは一見すると、面倒事を嫌う官僚の不機嫌な顔に見える。

だがその瞳の奥には、停滞した国を動かす“劇薬”を見つけたときのような、昏い光が宿っていた。


ヴィクトルはベルを鳴らし、控えていた部下を呼んだ。


「この男について調べろ。……徹底的にな」


「はっ。……何か問題でも?」


部下が恐る恐る尋ねる。

ヴィクトルは、報告書の文字を見つめたまま、低く呟いた。


「いや。……ただ、少し“興味”が湧いてな」


彼の声は静かだったが、それゆえに底知れない圧力を孕んでいた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

第5章「今を削ってでも買うべきもの」はここまでです。

大きな投資は実を結びました。ですが同時に、商会の奥で長く眠っていた木箱も、静かに存在感を増し始めています。


次話から、第6章「積み上がる木箱と、静かに死んでいくお金」が始まります。

在庫は“富の象徴”か、それとも“罪庫”か。その答えをめぐって、アラタとセラフィナの間に波風が――?


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どうぞよろしくお願いします。

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