第53話 三つの未来図
「では、数字で未来を比べてみましょう」
会議室の全員が、固唾を呑んで木の板を見つめた。
先ほど書いた三つの見出しを、全員の目が順になぞっている。
「まず、1番目の『現状維持』です。ガルド親方、今の粉砕機は月に何回くらい止まりますか?」
「……調子がいい時でも、三日に一度は詰まるな。
そのたびに約一時間は作業が止まる。ひどい時は半日動かねえこともある」
「ありがとうございます。では、平均して月に“丸二日分”は止まっているとしましょう」
僕は板に『稼働停止2日分』と書いた。
「機械が止まっていても、職人さんへの給料や家賃は発生します。
何も生産していないのに、お金だけが出ていく。さらに言えば――」
僕はもう一つ、見落とされがちな数字を付け加えた。
『(もし動いていれば作れたはずの)魔石の売上』
「機械が動いていれば作れたはずの商品。これを作れなかったことも、工房にとっては“見えない損”です」
――いわゆる【機会損失】。目に見えないが、確かに存在する損だ。
「見えない損……?」
モルガンが怪訝そうに眉を寄せる。
「はい。金庫からお金が減るわけではありません。
ですが、“入ってくるはずのお金が入ってこない”のは、お金を失うのと同じことです」
僕は、部屋の隅で記録をとっていたルカに視線を向けた。
「ルカ。直近の帳簿だと、この機械の修繕費は月平均でどれくらいになってる?」
急に話を振られ、ルカが慌てて手元の帳面をめくる。
「あ、はい! えっと……直近三ヶ月だと、部品代と、鍛冶屋への依頼料で……ならすと、月あたり金貨1枚弱です!」
「ありがとう。では、修理代は金貨1枚としましょう」
僕は金額を確かめながら、板に数字を書き込んでいく。
修理代、空費された人件費、そして見えない損。それらを合計すると――。
「ざっくり修理代が1枚、止まっている間の人件費が2枚。
そして、丸二日止まっていれば、その間に作れたはずの加工品の儲け――これが金貨2枚ほどです。
――合わせて、毎月の損は金貨5枚です」
「なっ……!?」
親方が絶句した。
「そんなにか!? 修理の部品代はせいぜい金貨1枚なのに?」
「ええ。目に見える部品代はそうです。
ですが、止まっている時間に発生する給料や“見えない損”を含めると、この古い機械は毎月金貨5枚ずつ、工房の取り分を食いつぶしているのと同じなんです」
ガガガガ、と階下から異音が響く。
その音が、まるで商会の金貨を噛み砕く音のように聞こえ始めたのか、親方の顔色が青ざめた。
「次に、2番目の『今までのやり方』です。モルガンさんがおっしゃっていたやり方ですね」
僕はグラフのような線を描いた。
最初の月だけ、棒が極端に下に突き抜けている。
「買った月は、金貨360枚の大損失です。
この工房の月の稼ぎで言えば、それだけで工房が持たない。現実には、そもそもこのやり方では買えないんです。
でも、仮に買えたとすると――翌月からは機械代がかかりませんから、いきなり儲けが増えて見えます」
セラフィナが、その極端な線の動きを見て溜息をついた。
「……これじゃあ、工房の実力が全然分からないわね。
粉砕機を買った月だけ“大失敗”の月になって、その後はまるで“ただで道具を使ってボロ儲けしている”みたいに見える……」
「その通りです。これでは、本当に儲かっているのか、単に機械代を払っていないから儲かっているように見えるだけなのか、判断できません。
そこで――3番目の『新しいやり方』です」
僕は最後の枠に数字を書き込んだ。
『機械代360枚 ÷ 120ヶ月(10年) = 月あたり金貨3枚』
「最新の機械代を、月々の費用として配分します。一ヶ月の負担は金貨3枚。
これに、新しい機械の維持費を足しても、せいぜい金貨4枚程度。しかも魔力代は今より下がります」
僕は、1番の『現状維持』の数字と並べた。
現状維持による“余計な損”:金貨5枚/月
新しい機械の“追加の負担”:金貨4枚/月
「見てください。新しい機械を入れて、毎月少しずつ代金を負担すると考えれば、現状維持による“余計な損”より安く済むんです。
しかも、新しい機械なら生産量は倍になるので、売上は増える。
……どう考えても、この投資は“買い”です」
会議室がどよめいた。
360枚という巨額の壁に目がくらんで見えていなかった真実。
“高すぎて買えない”と思っていたものが、実は“買わない方が損”だったという逆転の論理。
カツン、とチョークを置く。
会議室が、しんと静まり返った。
「……信じられない」
モルガンが、低く呟いた。
「だが、どこにも嘘がない」
その横で、セラフィナが木の板の数字を指先でゆっくりとなぞった。
彼女の唇が、小さく開く。
「……私、間違っていたわ」




