前編
「ところで、さっきの話だが」
「この流れで、聖杯を盗んできてることについて、何のコメントもなしか」
あのフラスコの底に沈んでいるのは、十中八九、ドッペルの奇跡が付与された聖杯となったグラスだ。
だから、先程、クリミナは『奇跡の実験』だと口にしたのだ。
確かに、フラスコの中に入っているのが、グラスであるなら、奇跡の実験に違いない。
「救済の聖女を偽ってる時点で、聖杯の窃盗なんて些事だろ。そもそも、最初に拾ったのが私なら、本来の所有者は私だ」
実際、救済の聖女の偽って、偽聖女なんてしてる時点で、聖杯の窃盗どころの話ではない。
それに、残り一回になってしまった奇跡を誤魔化す為にも、奇跡の研究が必要なことではあることに違いはない。
ただ、この魔女のヘリクツばかりの言葉のせいで、どうに擁護しにくい。
というか、したくなくなる。
「拾ったのはシエルだろ。お前じゃない」
自分でも、些細な抵抗だとは思うが、ヘリクツを返してやれば、シエルの耳がツンと立ち上がる。
「む? 問題ない! 私の持ちえる全てのものは、魂も含め、全て灰被りの君に捧げている! 故に、聖杯は灰被りの君の物に違いない!!」
やたらとテンション高く、クリミナをたたえるシエルに、ドッペルも慣れてきたとはいえ、呆れる他ない。
こいつのクリミナに対する溺愛っぷりは、本当に何なんだ。
確かに、頭は良いし、機転も効くが、それでも余りあるほどの性格の悪さじゃないか。
「……それ、聖騎士的にはいいのか」
「…………それを言われると、正直、少し困る」
ケットシーにしては珍しく、このセント・バルシャナ聖国で、信仰に厚い聖騎士であるシエルは、ドッペルの言葉に、少しだけ眉を下げた。
だが、すぐに真剣な表情になると、言葉を続ける。
「聖杯の存在は、教会にとって重要なものだ。それに、水を浄化する聖杯は、未だ、瘴気に喘ぐ多く者たちを救う。本来であれば、個が管理するべきものではない」
その聖騎士としての真面目な意見に、少し鬱憤を晴らしていたドッペルも言葉に詰まる。
世界が救済されたとはいえ、瘴気は、未だに各地に残っており、生きている生物たちを苦しめている。
現在、教会や聖国騎士団などを中心に、救援を進めているが、全員を救えるわけではない。
かつて、イザベラが飲み水すらなかった村を救ったように、このグラスによって救われる命は、決して少なくないはずだ。
シエルの言う通り、個人が管理するのではなく、組織として運用するべき代物だ。
「しかし、私は、神や精霊、聖女より、灰被りの君に全てを捧げている!」
この一言だけが、本当に、全く理解できない。
「安心したまえ。今回ばかりは、灰被りの君に預けるのが得策だと思ったのも、また事実だ」
ドッペルが呆れていれば、またすぐに、真面目な表情で言葉を続けるシエルに、ドッペルも頭痛が痛くなるような気がした。
残念なことに、ドッペルも、それはなんとなく理解できるのだ。
教会に、このグラスを預けたところで、おそらく教会の奥に大切に保管されるだけだ。
この魔女の、敬意も何もない貸し出しの頼みでなくても、何かしらの理由をつけて、外に持ち出されることない。
教会は、あの救いを、幸福を分け与えることはしない。
「だいたい、教会が許可を出せば、返却する意思があった」
いけしゃあしゃあ何か言っているクリミナに、ドッペルもさすがに確信できる。
「絶対、やっぱやーめたっていうやつだろ」
「…………」
小さく嗤うクリミナに、やっぱりと呆れるドッペルと、引きつった表情で、そっと目を逸らしたシエルだった。




