第二十七話 ~白い肌~
今日これほどまでに自分が王女であることを足枷に思ったことはない。
いっそのこと、ただの賊であったなら楽だった。気に食わないから、暴れて、一矢報いて、やられて、おしまい。悔いは残るだろうが、発散できるだけマシだろう。
オルラン王国、王女ジャンヌ・ド・アーク。
彼女の他に、王族直結の血筋は居ない。
父のシャルル・ド・アークは、一人息子だった。王の血族は一子相伝、というのが、オルラン王国の指針だ。母のカトリーヌは貴族の家系なので多くの親戚が居るけれども、王族の遺伝子は僅かも混じっていない。
ここで反逆して、自分が死んでしまえば……長く続く王国の血は途絶えてしまう。アーク家と同じ意志をもつ強固な人間が現れたとしても、それは純正ではない。伝統という、簡潔な圧力を失ってしまう。受け継いだ高貴な血筋は、何物にも変え難いのだ。
だから、何も出来ない。
相手は、今の敵は、魔族ではなく……王。一つの国。権威と地位を持つ自分の身勝手な行動が、小さなものであっても大きな亀裂を生み出してしまうことだろう。
圧倒的な絶対不利。
風魔軽鎧によって戦闘本能が呼び起されたせいか、麻痺毒が解けて鮮明さを取り戻した頭が今では腹立たしい。
「もう一度、改めてお聞きしますね。ジャンヌ王女」
「イヤよ」
「……」
玉座で、大げさに肩を竦めながらエドワードは大きく吐息を漏らした。目に見えて油断と隙を構築しているその姿が、異様に癇に障る。
「初めて会ったのは、あなたが小さな頃でしたね。カトリーヌ女王様の後ろで、つまらなそうにしている姿が印象的でした」
まだ、ルアン王国が大きく発展する前の時だ。
貧相な外観の城や油と鉄の匂いが嫌いで、蒸し暑い中ドレスを着こまなければならないのが、どうしても理解出来なくて苛立っていたのを覚えている。
「年上の私なんて相手にもせず、すぐどこかに出かけてはお父上に怒られていましたな」
退屈だったのだ。
その頃、既に城という閉鎖空間をはみ出して城下町まで下りていた。色んな性格がいて、様々な態度を取る人間がいて、見たことない動物にも出会えて……楽しくてたまらなかった。
ジルにも出会った後だ。エドワードの、貼り付けたような余所行きの表情に違和感を覚えてしまうのは当然のこと。
昔から変わらない、人を包み込む笑顔を知っていたから。
「次に会ったのは……それから数年後に一度きりでしたね。何回か交流会はあったのに、あなたは出席しなかった」
世界のことが見えてきた頃だ。
城を出て、ジルと共に旅立とうという計画を朧気に考え始めていた時。剣術や槍術の訓練の方が、よっぽど大事だと思っていたので、そんなことに時間を割きたくなかった。
流石に、長期間も空くと面子にも関わるので、その一度だけ顔を見せたが……相変わらずだったので、失望したのをよく覚えている。
むしろ、お金の余裕が出来て心の余裕が出来たのか、異様なほどキザったらしくなっていて、苦手な人種へと退化していたから、もう二度と会いたくないと強く思ったのだ。
「その後の知らせは、世界を救う旅に出た勇者物語でしか耳にしませんでした。心配で心配でたまらなかったんですよ。まさか本当に、魔王を倒すとまでは思っていませんでしたが」
つらつらと言葉を並べていく。一見すれば、思い出話にふけっている旧知の仲の二人にしか見えないだろう。
けれど、語気や態度からジャンヌは全く別の意志を感じ取る。
まるで得物を前に舌なめずりをする肉食獣のような、直情的な感情を。
「世界の英雄であり、オルランの王女……。かたや、こちらは産業大国……やや大げさに申し上げるとするならば、いずれ世界を手中に収めえる可能性を十二分に備えている、このルアン王国の王である私。最高の、成婚だと思いますが」
ニコニコした笑顔に、唾を吐くかのようにジャンヌは正反対の厳しい表情を投げ返す。
「自分の懐で、相手を弱らせた挙句に好き勝手やろうとする人間を、どうして婿にしないといけないわけ? そんな下種と婚姻なんて、死んでもゴメンだわ」
言葉では強く言いつつも、内心彼女は非常に焦りを覚えている。
何を言おうが、エドワードの気持ちは動揺していない。むしろ、徐々に見えてくる悍ましい感情に飲まれてしまいそうなほどだ。
相変わらず、周囲の鋭兵たちに隙は生まれない。武器を構えるわけでもなく、単に直立のまま周りを囲っているだけなのだが、臨戦態勢に入っていることは手に取るようにわかる。
たとえ一足飛びで、突破口を開こうとしたとしても魔術師の餌食にされるだろう。かといって、魔術師を先に狙えば、重装兵たちに屈服させられるに違いない。
「……何やら、先ほどからそわそわしてますな。そんなお言葉を口にしてしまわれるほど、落ち着いていないとみえます」
様子を伺っている姿が気に食わないのか。それとも、本当に意味を曲解して捉えているのかはわからない。
どちらにせよ、次にエドワードから放たれた言葉によって、ジャンヌは思考を完全に混乱させられてしまうのだから。
「脱いでください、ソレ」
「……………………は?」
エドワードの口から出た言葉が、ジャンヌの耳に届く。脳内に届いた言葉は、彼女の懸命に働いている思考回路からあまりにも的外れだった。
昨日の夜は何を食べたか、と聞かれて、明日は一緒に遊ぼうね、と返されるような支離滅裂すぎるやりとり。
かろうじで動いた口から出たのは、常識的に会話を成立させたくて本能的に飛び出した反問の言葉である。
「そのけったいな鎧を外してください。発動法を見たところ、錬成魔術ではなく固定結界のようですね。解除した場合、再装されたら困るので脱いでください、と申し上げたんですよ」
武には秀でていなくとも、それなりの知識はあるようだった。たった一度、風魔軽鎧の発現を目撃しただけで、特性を見抜いてきたのだ。
「……」
問い返したことで、質問の理解は出来た。
けれど、だからって。そう易々と外すわけにはいかない。
エドワードの言うように、装具を外せば結界としてまだ残ったままになる。遠隔操作として、解除は出来てもそのまま再度装着することは無理なのだ。
「嫌だと言ったらどうするの?」
「私は何もしませんよ。ですが、武装した一国の姫様が、何の抵抗もしない王に向かって造反を目論んだ。そういう事実が残り、世界へ広がっていく。それだけです。真偽はどうであろうとも……ね」
ククク、と楽しそうな笑いを漏らすエドワード。
遠まわしに、従えと言っているのだ。拒否は許さない、と。
「……わかったわよ」
悩んだ挙句、ジャンヌはまず頭のサークレットを外した。そして、肩当と胸部装甲の留め具を乱暴に外して、絨毯に軟着させる。ベルト代わりのタセット(腰当)を、若干手間取りながらも床に置くと、同時にレガースも脱ぎ捨てた。普段は長いブーツを履いているのだが、今はパンプスだけ。細いけれど、筋肉の締まったジャンヌの脚部が露わになる。
最後に、丁寧にゆっくりと両手についた蛇腹の籠手を外した。これで、今の彼女はドレスを身にまとっただけの少女と何ら変わりないことになる。
(……って、エドワードは思ってるはずよね)
素直に従ったのには、理由はあった。風魔軽鎧の回収自体はすぐにできる。だから、ここに置き去りにすることに不安はない。
彼女なりの算段が、昼間にした会話から導かれていたからである。
エドワードは、風の精霊の加護しか知らない口ぶりだったことだ。
ジャンヌの右手には、菱形で刻まれた十字型の聖印がある。風魔軽鎧と同スピードで発動できる、聖剣デュランダルだ。存在自体は頭にあるのだろうが、デュランダル自体が同様の固定結界として発現できるなんて耳にしたことはないはず。
若干の身体強化能力と、聖剣自身の持つ威力。それがあれば、隙をついて逃げ出せるかもしれない。
少し派手になるし、その後の証拠や噂をどう沈めるかまでは頭にない。聡明なジルと相談して考えることにしよう。
まずはとにかく。ここから脱出しなければ。
小さいけれど、確実に見えてきた希望を悟られないように。ジャンヌは相変わらずぶっきらぼうなふりをして、突っ立っていた。
「……ふむ」
大きなものを見た後に、小さなものを見ると若干の錯覚に陥る。普段見慣れているものに、少しアレンジを加えるだけで見違えてしまうものだ。
先ほどの抜身の刀のような状態から、今ではすっかり一人の女の子として、ジャンヌはエドワードの前に立ち尽くしている。
シャンデリアの光を反射する瑞々しい金髪、整った造形、たわわに膨らむ胸元、綺麗な曲線を描く括れ、スカートから伸びる白い両足。
エドワードは、そういう人間だった。実に欲に忠実な人間なのだ。物腰の柔らかさも、優しげな態度も、全て欲を満たすため。
先王が退位し、自分に権威がすべて譲渡された時は飛び上がる思いだった。もっと時間はかかると思っていたから。火の精霊からの加護もあるし、施しもある。表立つことはなくても、実質世界を支配できる力を操る権利を手に入れたのだ。
「……王女」
「何よ」
「それも、外しちゃいましょう」
「もう風魔軽鎧は全部外したわよ」
「ええ、ですから」
恐れるものなど何もない。
幼い頃、見初めた時からずっと思っていた。自分にとって、世界で最も欲する至極の女性。
その大好きなジャンヌ暇だって、意のままに出来る。
そうしたい。
いや、できるはず。
だって、自分はルアンの王なのだから。
そんな思いは、興奮は。
彼の理性という箍を完全に抑え込んでしまった。
「衣服も、です」
二度目。
今度は、ズドンと脳内が揺さぶられるような思いだった。
混乱しつつもジャンヌは、目を見開いて驚きを隠せない表情のままエドワードを見る。
次の句で、すぐに冗談ですよ、と言ってくると思った。
けど、柔和ではなく妖艶な笑みで、玉座に肘を付き足を組んだ姿勢のまま、ただひたすらに視線を返してくる。
本心……のつもりなのか。
「あんた……バカじゃないの?」
「かもしれませんね。……ですが、ここでは私が黒と言えば黒になるし、世界の白いものを黒く染める力も持っている。それだけはご理解くださいね」
ありえないありえない。ジャンヌは何度も反芻する。
やっと身体が気持ちに追いつくと、今度は冷や汗がどっと噴き出した。鼓動が早くなり、視界が歪む。
脱げ? 服を?
ここは王の間だ。周りには衛兵だっている。しかも、大勢。おかしい。異常すぎる。どんな頭をすれば、そんなことを言えるのだ。
チラリと横目でうかがう。
直立したままの兵士どもは、微動だにしていない。頭の固い連中だ、命令がなければ動かないのだ。
だから、止める者もいない。咎める者もいない。頭から下を動かさず、出来るだけ最大限に王の命を聞く。そうすれば、安泰だから。無用な争いは避ける癖に、立ちそうな煙は率先してもみ消す。忠実すぎるほど従順な駒として、既に彼らは完成されてしまっていた。
「……嫌よ。そんなの。ふざけないで」
「私の話を聞いていましたか? 拒否すれば、どうなるか先ほど申し上げましたよね」
「今は武装してないでしょ!?」
「してるしてないは問題じゃないんですよ。わからない人ですね」
「……」
「良いんですよ。私が今ここで、指を一度鳴らします。すると、あなたの手を使わずとも自動的に、私の願いは部下たちによって遂行されることでしょう。ですが、それはそれで忍びない。ご自分の手の方が、よっぽど気分は楽だと思いますがね」
震える手で、ギュッと胸元を掴む。力を込めて、エドワードを睨むけれど……もうジャンヌには、抵抗する元気もあまり残っていなかった。
今すぐにでも、デュランダルで斬りかかってやりたい。
けれど、それはきっと、叶わないのだ。
だって、何をしようと、どうしようと。すべては悪い方に転がる未来しか、残っていないのだから。こんな敵地に、たった一人で乗り込んできてしまった時点で、可能性は潰されてしまっていたのだ。
(何やってんのよ……バカ!)
涙の溜まった目をつぶり、ジャンヌは心の中で悪態をつく。相手はもちろん、いつだって隣に居てくれたジルに対して。
いつも一緒だって言ったくせに……うそつき。
当のジルは、まだアグニのお茶説法に捕まってしまっている。
それもそうだ。彼には今、魔術力はない。しかも遠方に居る。例え叫んでみたところで、届くわけがない。
「……くっ!」
再度浅くなった呼吸を、荒んだ心を一気に押し込めた。
戦闘態勢に入るように、自分の中にある負の感情を隅に追いやる。そうすれば、少しは羞恥心だって和らぐ。
肩にかかったボレロを掴み、投げるようにして脱ぎ棄てる。両足のパンプスも、手を使わないで蹴り飛ばした。
「待ってください」
「なによ、文句あんの!?」
「ありますとも。そんな乱暴に脱衣する人がいますか。淑やかな女性らしく、ゆっくりとなさい。私に奉仕する、下女のようにね」
「ふざけ……ないでよ!」
砕けてしまうのではないか。そう思うほど歯を食いしばった。
確かに、今は従わざるを得ない状況だ。けれど、だからって、自分を単なる下僕のように扱う目の前の男が、どうしても許せなかった。
王女であることに、誇りは持っている。望んで生まれたわけではないけど、でも嫌いなわけじゃない。そうだから見えた世界があって、作った過去と現実と未来がたくさんある。
そんなプライドをすべてズタズタに切り裂くような、最低の盟主が存在していいのか。
押し込めた弱い気持ちが、せきを切って溢れ出てきた。土石流のように、武装していた芯の部分を押し流し、表面だけではなく心の底までも浸食していく。
湧き立った怒りですら、ぶつけられずに身体の中で反発しあい、霧のように消えてしまっていた。
「……そう、そうやって。ゆっくり、です」
エドワードは、こうやって上から偉そうに眺めるのが好きだった。
手に入れたのだ。自分は全てを。目の前の王女だって、意のままに操れる!
笑みが止まらない。なんて最高な気分なのだ。
スルスルと衣擦れの音を立てて、慎ましやかに体全体を紅潮させて衣服を脱いでいるのは、他でもないジャンヌ・ド・アーク王女。
ありえないだろう、普通。
国の上に立つ、王族の一人娘が。こんな大衆の面前で、恥を忍んで目に涙を浮かべながら、反抗的な目をしながらも、自分の指示に従っている。
この位置こそが、自分の存在意義。上から眺める、これこそが頂点に立つものが出来うる所業!
「……手をどけましょうか」
追い打ちをかけられ、ジャンヌはピクッと小さく跳ねた。
彼女の傍には、綺麗なドレスが一枚置かれている。ワンピースタイプのドレスを剥げば、その下にあるのはもう下着だけ。
そして、胸を保護する下着ですら、今では絨毯の上で純白さを主張していた。残っているのは、恥部を守る下半身の薄布だけ。
けれど、それは最後に。
一つずつ、ゆっくりと、順序良く剥いでいくのが至高なのだ。
「……」
何か言いたかったのだけれど、それは音にならなかった。
もう抵抗する気力すら失ったジャンヌは、言われるがままに胸を隠していた手をどける。張りのある大きな乳房が露わになると、少しだけ周囲の兵士たちも動揺をした。エドワードは堪えきれずに、笑いを漏らしている。
「では、最後に……お願いしますね」
にこやかな笑顔は、どす黒い執念染みた瘴気を発して見えた。
あと少し、あとこれだけ。それで、丸裸。
王位を羽織り、玉座に腰をかける自分。武装も衣服も全てを捨てていく王女。ああ、なんと素晴らしい力関係なのだ。
ゾクゾクする背筋と、高鳴る鼓動がエドワードの身体を支配する。
氷のような気持ちまで落とし込まれたジャンヌは、最後に残った衣類に手をかけると、戸惑うこともなくスルリと足元へ押し下げた。




