第十九話 ~避けられぬ再訪~
シーサイドの街から、まっすぐ南へ。
バレン街道と言うルアン王国へ通ずる旅路を、ジルとジャンヌはなぞる。
綺麗に整地された道ではなく、少し荒れており、大石小石がゴロゴロと無造作に横たわっている。剪定されていない街路樹が、荷馬車の行く手を阻むことだってある。
けれど、それでも踏み鳴らされた人口路は間違いなく目的の場所へと導いてくれる。迷う心配もないのだから、覚悟を刻んだうえで多くの人が利用していた。
馬を借りれば数日もかからずとも到着できる程度の、遠くはない路。けれど、少しでも急ぐはずの二人はあえて徒歩で進んでいた。
それは、ジャンヌの並外れた戦闘力についていける馬が、存在しないからである。
街道とはいえ、魔族は当たり前のように出現する。応戦する場合において、騎馬戦術を嗜んではいても、馬の筋力が、速度がジャンヌの想定に追いついてくれない。ならばいっそ、居ない方が楽に進める。そう判断して、地面を蹴り続けた。
「……」
「……」
途中、二人は足先を目的地ではない方向に同時に向けた。
言葉で表さなくても、あえて考えを伝えなくても。普段は絶妙なすれ違いの多い二人だが、この時ばかりは想定していることは同じだったのだ。
そこは、街道の途中にある別れ道。過去の冒険で、宿を取るために寄った農業の盛んな、田舎村。
グラスコ村。
勇者ジャンヌ、聖魔術師ジル。その二人の名と並ぶもう一人の英雄。名誉の死を遂げてしまった、ライル・デュロワの故郷である。
足が重たかった。疲労があるわけではない、怪我も病気も全くない健康体。けれど、気持ちがその重圧を身体全体に覆いかぶさってしまっている。
どんな顔をして、なんて言葉で、どういった思いを伝えればいいのだろう。
決戦の後、報告として文書を一度送ったことがある。ライルの遺品やその名誉に対する多大な報酬なども、同時に送付していた。
けれど、村からの反応は全くなかったのだ。それだけで、彼らは栄誉の殉死ではなく、悲惨な戦死として受け取っていることの表れであると、ジャンヌもジルも思った。
だからこそ、本当は向かいたくない避けていきたい場所。きっと悲しいだけだから。辛いだけだから。
けど、責任がある。書き物なんかで表現できていない、ライルの素晴らしさや尊さを話す義務がある。義理もある。
だから、鉛のような身体を懸命に動かして、夕日に照らされる荒れた道を歩んでいるのだ。
その最中、何度か魔族と遭遇した。以前と比べれば遭遇率は激減していたが、残党はまだまだ存在する。
馬ほどもある巨体猫シザーキャットや、肉の爛れた腐乱死体が魔族の魂を宿したリビングデッドなどと戦闘した。
ジャンヌのデュランダルは言わずともがなだが、ジルの新たなる武器である霧雨丸も中々の業物であった。
とにもかくにも、その切れ味が恐ろしい。鋭く伸びた、鋼鉄と同等のシザーキャットの牙を、熱したナイフを通されたバターのように切り裂く。更に、骨や脂の詰まった胴体を素人に毛が生えた程度の、ジルの剣術で何事もなく一刀両断してしまったのだ。小太刀という長さも、短剣に近いので扱いやすい。
それだけではない。常に濡れ続ける刀身は、付着した血液や脂肪を浮かして流すのだ。振りかぶる動作をするだけで、汚れは飛沫して、白銀の刀身を再び見せつけてくれる。
途中、まだ慣れてないせいかジャンヌの衣服にその汚物を振りかけてしまい、戦闘後に立腹させてしまったことをあえて記述しておく。
「……見えてきたわね」
「うん」
一晩野宿をした次の朝、
魔族を寄せ付けぬように、神木を削って造られた柵で覆われた農村。入口にそびえるゲートには、アメリア大陸の文字で村の名が刻まれていた。
近づくにつれて、少しずつ牧場独特の異臭が強くなってくる。慣れれば大したことはないらしいが、それでも市街育ちの人間にとっては、拒否反応を示さざるを得ない。
「やっぱり、この匂いは慣れないや」
「ライルは、これが故郷の匂いなんだって喜んでたけど」
「そういえば、牧場を通りがかるたびに思いっきり息を吸い込んでたね」
「あたしも、たまに絨毯の香りが鼻につくと、ふいにお城のこと思い出しちゃうわ」
「僕は、やっぱ樫の木かな。家の中の匂いが印象深いのかもね」
ジルはまだ話の途中であった。屋内で樫の加工された木香を嗅ぐと、オルランにある小さな実家を思い出す。そう言いたかった。
けれど、その先は続かなかった。気が付けばジルは地面に頭を押さえつけられてしまっていたからだ。
その、攻撃にも等しい乱暴な行為の主は、他の誰でもないジャンヌだった。
声をかけることもなく、合図もせずに。反射行動の如く、ジルを地に伏せてしまったのだ。
けれど、彼女も悪意を持っての行動をしたわけではないのは、ジルもすぐさま理解する。視線だけを上にあげると、そこには風魔軽鎧とデュランダルを手にした完全武装状態のジャンヌが居たから。
右手は大きく薙ぎ払いを後の様で、後ろに回っている。散布している木片を見るに、弓矢を切り裂いたのだろう。左手は、蛇腹の重なる部分で、鋭利な刃を持つ投剣を受け止めていた。
この状況を、一瞬驚愕した後にジルは考え込む。防衛行為として、彼女は自分を地面に押し込めたのだ。立ったままの先ほどの姿勢では、弓で胸を突かれ、刃で頭部を切断されていたに違いない。声を発する前に、ジルは感謝の意を心の中で唱えた。
「待ちなさい! どうみても人間だろう」
戦闘態勢に入り、普段よりも更に険しい顔つきを正面に向けていたジャンヌが、腕の剣を振り払い両手で聖剣を握りしめた時だった。しゃがれた声が、遠方から聞こえた。攻撃を静止する合図を耳にし、少しだけ警戒心を緩める。
「……おや、まさか?」
白くだらしなく伸びた髪、けれど立派に蓄えた髭で口元が隠れている。何か不思議な優しさを持つ、細めの瞳には見覚えがあった。
「オードル村長!」
「ジャンヌ様にジル様……でしたか」
初老をとっくに過ぎ去り、隠居していてもおかしくないグラスコ村の村長。オードル氏であった。曲がった腰を杖で支えながら進んでくる姿は、以前の旅の時と変わらない。
心の穏やかな人間だが、その裏にしっかりと意志の強さを持つ立派な人間。跡取りに変わる人間が未だに現れないので、彼が継続して長をやっているのだ。
「御久し振りでございます。突然の非礼をどうかお許しください」
「いえ、こちらも傷はないので。けれど、一体なぜこんな?」
武装を解除しながらジャンヌは尋ねる。何もしていない、ただ歩いていただけで攻撃するなどといくらなんでも非常識すぎる。
「おや。シーサイドの街へは立ち寄らなかったので?」
「立ち寄りましたけど……それが?」
「そうでしたか。御触れがあったのですが……。目に入らなかったのでしょうかね」
「御触れ……?
「いえいえ。積もる話もありますでしょう。……そうですね、ここから少し歩いたところに小屋がございます。そこでお話させてください。ご足労ですが、お願いいたします」
「ええ……わかりました」
何か腑に落ちない感じを覚えながら、二人は案内された場所へオードルと共に向かう。村の入口ではなく、道路から外れた場所にある小さな掘立小屋だ。
内装は必要最低限なものばかりで、リビングも寝室も一体化している粗末な造り。本来なら、客人をもてなすような場所ではないということが、一目でわかってしまう。
軋む木製の椅子に座り、少し埃っぽい机を挟んで鼎談を始める。
「現在、近辺の街にお触れを出しておりましてな」
「先ほども仰っていましたね。一体、どういった……?」
「今のグラスコ村には、疫病が蔓延しておりまして……。小さな子どもばかりが感染するものなんですがね。非常に致死性が高く、高熱の後に命を落としてしまう子もたくさん……」
震えながら村長は話を続ける。
「免疫力のある大人には発病率が非常に低く、またかからない者には何があってもかからない、不思議な病なのです。感染する力だけは非常に高いので、こうやって今は村そのものを隔離しているわけなのですよ」
「そんなことが……」
「……お二人が、そうとも知らず。いえ、知っていたとしてもここを訪れた理由は、なんとなくわかっております」
「……」
「ライルのことでしょう?」
「……はい」
謝りに来た。お詫びに来た。勇士を伝えに来た。色々と言葉はあるけれど、どれも音となってくれない。目の前で、肩を落とし深くため息をつく村長を見ると、何を言ったところで傷つけてしまいそうで。
「決戦後、知らせが来る前のことです。村に、一筋の星が落ちてきました」
「え?」
突拍子もない話をいきなり振られ、ジルもジャンヌも目を丸くしてしまう。
「魔族の気配が弱まったな、そう思ったと同時期でした。真夜中だというのに、村のみんながその星を見にいったのです。もちろん、私も。それは、村の中心部。グラスコ村にとって、非常に大きな意味を持つ場所でした」
「……」
話に聞いたことがある。ライルと出会い、旅立つ前に聞かされた村の逸話。
その先の言葉はもうわかる。全てを聞く前に、何が落ちてきたのか理解できてしまうのだ。
「聖戦斧フランシスカ。我らの村に代々伝わる、伝説の斧でした」
グラスコ村の街の中心にある、石煉瓦で覆われた円卓の真ん中にそれは突き刺さっていた。過去に、魔族との戦闘に備えて手練れの鍛冶屋が作り上げたという聖なる大斧。それが、再び降臨していたのだ。
それはグラスコ村の一族しか抜けず、その中でも選ばれた者しか扱えない唯一無二の聖戦具。ジャンヌのデュランダルと同等の武器であった。
それが、グラスコ村に戻ってきたということは……。使用者が居なくなったから。
つまり、ライルが倒れたという何よりの知らせだった。
それがわかった途端、魔王討伐を喜ぶべきはずの村人たちはまず先に。村の英雄であるライルの死をひたすらに悲しんだ。
人懐っこく、優しくて気高き戦士。みなの憧れであり、オードルに次ぐ村長と候補とされていたライル。それほどの人物が亡くなった無言の通達は、何よりも堪えた。
「本来ならば、世界の英雄のお二人です。手放しで湛え、村総出でのおもてなしをするのが習わしでしょう。ですが……ご覧のように、申し訳ないのですが今はそのような状況ではなく……」
「ええ。わかっております。例え、村が万全な状態であっても、僕たちはきっと持て成しも受けるつもりはありませんでした」
「……ですけど、だから。せめて、あたし達に花を手向けさせていただけませんか?」
シーサイドで購入した、葬儀用の真っ白な花束を取り出す。それぐらいしか出来ないけれど、それぐらいはやらせて欲しい。そう思って。
「……お預かりします。ご好意は感謝しますが、ライルの墓は村の中にあります。こうして、私と接触するのですら感染の危険も伴っておりますので、申し訳ないですが……それは……」
深く頭を下げる村長を見て、ジャンヌは歯を食いしばった。
何も出来ない。何もしてやれない。この世界で生きるすべての人間にとって、魔王を倒し平和を取り戻すことこそが、真なる意味での平穏をもたらすと思っていた。
けれど、違うのだ。それによって残った傷跡は、平穏などとは程遠い。きっと、ジャンヌやジルの知らない所で、家族を失い友を亡くし住む場所を追われた人間はまだまだたくさんいる。
そうとも知らず、ただ諸悪の根源を消しただけで勇者だなんだと崇められるなんて……。とてもじゃないが、胸を張れるものではない。
大多数が幸せだからと、小さな不幸を見逃して良いわけがないのだ。それが、間接的ではなく直接的にかかわっているならばなおさらのこと。
隣で座るジルも、同じように無力さを痛感していた。
それはきっと、ジャンヌを超えるほど。なぜなら、魔術に長けている彼ならば、もしかしたらその疫病を治療することができるかもしれないからだ。
毒も麻痺も呪いも、混沌の輪廻のような強烈なものではない限りジルの回復魔術で治せるはず。
この腕さえまともであったなら、今すぐにでも飛び出してやりたい。けれど、肘まで昇ってきているベルクの脅威を見ると、簡単にそれは決断が出来ないのだ。
己自身の保身ではない。ジルが呪いに負けることは、魔王の再復活を意味する。これまでも、ギリギリだからこそ封印を解いてきたが、使わないならば使わないに越したことはない。
本当に、何も方法がないのか。自分たちは、何もしてやれないのか。
立ち上がり、もう話すことはないと判断されたのか村に戻ろうとするオードル村長。
ここで終わりたくない。振り返って、声をかけようとした時だった。
「ここだったか」
勢いよくドアが開け放たれて、外光が差し込んできた。
そのシルエットは、まぎれもなくジルもジャンヌも見たことのある形をしていた。
はち切れそうなほど盛り上がった筋肉、扉の上枠に届きそうな大きな体躯。低いけれどよく通る声。何よりも、その背に掛けられている半月状の両刃斧を見ただけで、脳裏にはある人物が浮かびあがってくる。
「ら……ライル!?」
目を見開き、だらしなく開いた口を閉じて頭を振る。そして、やっとのことで絞り出した戦友の名前を、ジルもジャンヌも同時に発していた。




