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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第二章 水の精霊 編
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第十八話 ~互いの気持ち~

 「……う……ぐ……」


 身体の中を、内側から引っ掻き回されるような強烈な嫌悪感。筋肉と皮の間をくすぐられるような、骨と骨の隙間を殴打されるような、筆舌に尽くしがたい感覚。

 真夜中になって、ジルはその苦しみによって覚醒を強制されてしまった。右腕に巻かれている、封印装具は既に肘先まで伸びていた。

 旅を始めた頃は、まだ前腕部の半分程度だったというのに。何度も何度も、窮地により解放をせざるを得なくなった故の代償。けれど、ジルはそれに対して後悔はしていない。

 私欲ではなく、誰かを救うために使った力なのだ。若干の諦念はあったが、それでも後ろめたさは感じなかった。


 一切の魔術を封印する、第零式帯状封印装具。ジル自らの魔術を制限するほどの封鎖効果をも乗り越えて、少しずつ少しずつ。髪や爪がいつの間にか伸びているのと同じぐらいの、小さすぎるけれど、はっきりわかる変化で、腕の浸食は進んでいた。封印を解こうと解くまいと、進んでしまうことには変わりない。転生の闇魔術混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルはそれだけ、強大で凶悪な秘術なのだから。


 「はぁ……はぁ……」


 鼻先から滴る汗がやっと止まった。呼吸は荒く、未だに疼くような痛みや不快感は完全に収まっていない。しかし、それでも意識を集中せずとも動ける程度には落ち着いた。

 時折、彼の腕はこのような発作に襲われる。四六時中ではないが、朝に起きることもあるし夜中に出ることもある。大抵は時間経過で回復するのだが、最近少しずつだがその間隔が短くなっていることを、ジル自身も実感としてある。

 魔王として活動できる部分は、全身に回る必要はない。脳か心臓、どちらかを奪われれば一気に乗っ取られてしまうだろう。肘まで昇ってきたということは、制限時間はそこまで残されていないだろうか。

 

 だからといって、悲観もしない。共に、ジャンヌと国へ戻り再び、今度こそ慰安旅行にでも出かけるつもりなのだ。諦めずに小さな希望を信じて前へ進んでいくのみ。そう思うことで、苦痛が和らぐ気がした。


 少し目が冴えてしまった。夜風に当たろうと、ジルは船室の扉を開けて外へと向かった。


 階段を上った先の外界は真っ暗で、ほとんど何も見えない。雲が少ないおかげで、蒼く輝く満月が灯りの代替となっている。

 海洋魔族避けの魔術、静謐の流動(サイレントセイリング)が秘められた船は、安全に人を運んでいく。時折、魔獣のうなり声のようなものは聞こえるが、ただのさざ波と同じに気配を挿げ替える魔術のおかげで、何事もなく進んでいく。

 淡水では感じられない、纏わりつくような風を浴びながらジルはデッキの手すりに近づく。


 「ん?」


 時間的には真夜中のはずだ。この時間で活動する人間なんて、夜勤用の少数な船員ぐらいだろう。

 けれど、ジルが見た影は屈強な海の男たちとは正反対の、余りにも小さくはかなげなシルエットだった。

 潮風にたなびく髪や、文化の違いがハッキリとわかる衣装で、夜目にまだ慣れていないジルでもその人物を特定することが出来た。


 「伊織さん?」

 「あ、ジル様」


 黒い髪の毛は、月明かりに照らされて一層輝いて見えた。ジャンヌの金髪も、それはそれで綺麗だけれど、墨色の頭髪というのは年齢関係なく、不思議な妖艶さを醸し出すものだな。ジルはふとそう思う。


 「こんな夜中に、どうしたの?」

 「ええ……その……眠るのがもったいなく思いまして」


 航海が始まり、今日で二日目である。早ければ明日、遅くても明後日にはシーサイドに到着するだろう。

 伊織にとって、生まれて初めての外国への旅。船に乗ることも、旅行用の荷物を整えることも、何もかもがすべて新鮮。

 だからこそ、早寝早起きが習慣づけされている伊織ですら、真夜中に眠ることができないのだ。一秒でも、この空気に触れていたい。薄明りでも、波の動きを見ていたい。そう思っている。


 「船旅って意外と疲れるんだよ。特に、慣れない環境だと尚更」

 「ええ。確かに……特にベッドにはまだ慣れませんね。なんかふわふわしすぎてて……」

 「土足のままで色々な場所を歩くのも不便でしょう?」

 「不便といいますか、違和感があります」

 「あはは。僕らからすれば、逆なんだけどね。土足だと失礼、という発想はミズホの国独特のものだからさ」


 その後、二人はお互いの文化の違いをしばらく話し合う。

 衣服の違い、言葉の微妙な訛りや食事の仕方等々。逆に、共通しているところはどこにあるか、という話題にも触れたりした。

 どちらの文化圏でも、頭を下げるということは敬意を払っている意志の表れであるだとか、神に対する敬意のはらい方だとか。


 バタバタして、結局ゆっくり話せる時間があまり取れていなかった両名にとって、この船旅はまたとない交流の機会になってくれた。


 どれだけ親睦の深い者同士でも、いくらおしゃべりな人間同士であっても。ふとした時に、静寂の時は訪れる。

 それを不快と思うか否かは、信頼関係の構築具合によるだろう。


 ジルと伊織にも、等しくその静かなる間はやってきた。聞こえるのは船が波をかき分ける音と、木材の軋むような音、帆が風を受け止めたがゆえに鳴ってしまう縄の締まるような音。ただそれだけ。


 二人は気まずさを感じていない。むしろ、静寂な時すらも心地よさを覚えるほどだった。

 

 「……あの、ジル様」

 「ん?」


 兄のように慕える人間だと彼女はもう心を許している。ジルもきっと、同じくらい自分に対して気の置けない人になれているのでは、と確信したからこそ。

 伊織は一つ質問をしてみることにした。


 「ジャンヌ様とは、どのような御関係なのですか?」


 年ごろの女の子としては、やはり気になる男女の仲。

 前は、恋仲……いや、夫婦であると勘違いして、一つの布団で眠るように準備してしまったこともある。

 その時は、そういうのではない、と否定されてしまったが……だからこそ、なおのこと気になるのだ。


 「どんな関係って言われても……」


 頬を掻きながら、ストレートな質問にジルも少しだけたじろぐ。不愉快とかそういうわけではなく、何と答えるのが正解なのか、自分でもよくわかっていないから。


 「うーん……僕は大切な仲間だと思っているけど」

 「仲間……ですか」

 「うん」

 「そんな言葉だけじゃ、お二人のことを言い表せていないと思います!」

 「!?」


 意外とズイズイ踏み込んでくるタイプだったことに、ジルは驚きを隠せなかった。いや、本当はこういう年齢相応の、あどけなさが伊織という少女なのかもしれない。

 たった一人の渦流の巫女という重責が、他人行儀で人見知りな性格を形成してしまったのだろうか。


 「馴れ初めとかはどうだったんですか?」

 「初めて会ったのは城下町だよ。小さい頃は僕、身体も力も弱かったから。遊びの中で起こる、非難の的にされることが多くてさ。そんな時に、助けてくれたのがジャンヌなんだ」

 「ジャンヌ様って、お姫様……なんですよね?」

 「うん。そうだよ。オルラン王国の王女、ジャンヌ・ド・アーク様」

 「御付きの方とか……」

 「居ないよ。昔っから、勝手に城から出てきて下町で遊ぶような子だったから」

 「わたしと真逆ですね」

 「その行動力のおかげで、僕も救われたところは……数えきれないほど、たくさんあるよ。魔術の才能があることがわかったのも、ジャンヌと遊んでいた時だったし。僕は両親を早くに亡くしてるから、才能とかそういうことには、とんと無頓着だったからね……」

 「やっぱり、凄いお方なんですね」

 「うん。凄いよ。本当に。やんちゃしているようだけど、ちゃんと王族としての最低限な礼儀礼節は心得ているし。感情的に見えるかもしれないけど、しっかり先のことも見て動いているんだよ」


 前にも少し触れたが。ジルはジャンヌのことを、共に戦っている仲間として、幼馴染として以前に、自国の王女という人間性に対しても高く敬意を払っている。

 だからこそ、距離を置きたくなってしまう。近づけば近づくほど、遠さを実感してしまうから。

 そもそも最初から自分が彼女の人生に入っていい身分じゃないのは、周知の事実なのだ。

 オルラン王国の民に、ジャンヌの将来について聞けば、口を揃えて答える結果が既に形成されているから。


 「……あの」

 「ん?」

 「もしかして、なんですけど」

 「うん」

 「ジャンヌ様には、既に他に意中の方がいらっしゃったりするのですか?」

 

 固い信頼関係をおいてながら、どうして引け腰になるのか。それを解消する答えは、これなのだろうか、と伊織は尋ねる。


 「うーん。さすがに、そういう話はしたことないけど……ただ、意中であるかどうかは関係なく、あの子は既に結婚する相手が決まっているからね」

 「ええ!? ど、どういうことですか!?」


 突然浮上した事実に、身を乗り出して食いつく伊織を、ジルはなだめながら話を続ける。


 「これから向かう、アメリア大陸にあるルアン王国は知っているかな?」

 「はい。新産業国家として名高いあのルアン王国ですよね?」

 「うん。オルラン王国とルアン王国は昔からの同盟国でね。世界第一と謳われる軍事国家にオルランが成れたのは、ひとえにルアン王国の援助のおかげなんだ」


 優れた技術、専門家を多く輩出しているルアン王国。その文明力を、オルランは貿易などで得た資産を糧に購入している。ほぼ専属契約に近い形なので、オルランの軍事力が飛びぬけていくのは当然の帰結であった。


 「それで、お互い王政だし、政略結婚なんてのもたくさんあるわけなんだ。自分たちの、手塩にかけて育てた子どもを、嫁がせる。いうなれば、信頼関係を維持する証でもある契りだね」

 「……つまり、ジャンヌ様は……」

 「そう。ルアン王国の王子、エドワード・ランクス様と許婚(いいなずけ)なんだ」


 質実剛健、才気煥発という言葉を、彼を表す言葉としてよく耳にする。王族でありながら研究家の家系である、その頭脳を受け継ぎ今もなお、新たな技術を発明し社会貢献している立派な家柄。

 容姿も素晴らしく、まさに非の打ちどころがない王子様なのだ。

 完璧とも言える人をどうして彼女が毛嫌いするのか。さまざまな理由があるが、ジルは敢えてそれ以上言葉を告げなかった。沽券に係わることだから。


 「そうだったのですか……」


 国家間の問題となれば、軽々しく口を挟んで良いものではない。どちらも多くの国民を背負った関係なのだ。互いの信頼関係を崩すわけにはいかない。ましてや、一個人の意見などでは。


 「……では、ジル様」

 「なんだい」

 「もし、もしもです」

 「うん」

 「どちらも身分は同じで、そういった(しがらみ)が無かったとしたら……」

 「うん」

 「今ごろ、ジル様は……ジャンヌ様と、どんな御関係だったと思いますか?」


 背後のこと、国のことなど一切考えない。ただの一個人同士と仮定したとするなら。

 考えたこともない質問をぶつけられ、ジルは少し考え込む。

 先ほどの心地よい静寂の間よりも長く、緊迫した沈黙が場を包む。


 王女でもなく、貴族でもなく。けれど、いつものようにお互い信じ合う仲。時に助け合い、時に叱り、時に慰める。そんな、素敵な人生を送れていたとするならば……。


 「きっと……普通の、男性と女性の仲だったんじゃないかな」


 照れくさそうに言うジルよりも、もっと顔を真っ赤にしたのは伊織だった。両手で頬を抑え、小さな悲鳴を漏らしている。

 それ以上、伊織は質問をしなかった。どんな風に、ジルがジャンヌを思っているのか聞けただけで、彼女の乙女思考はすっかり満腹だったから。

 うっかり出てしまったあくびを見られ、ジルは伊織に眠るよう諭す。実はジルも結構な睡魔に襲われていたようで、了承した伊織はおやすみを言い合って船室に戻った。


 「伊織ちゃん、どこいってたの?」

 「あ、起こしてしまいましたか、すみません」


 ベッドでシーツにくるまりながら、顔だけ伊織に向けて寝ぼけ眼なジャンヌが気だるそうに口を開いた。

 時間的には日の出よりちょっと前ぐらいの、深夜と早朝の境目ぐらい。普段なら、熟睡していてもおかしくない時分。けれど、気配を感じると警戒の為に一旦覚醒をしてしまう、悲しいかな野宿慣れした体質のせいで、例えそれが身内の者であっても目覚めてしまうのだ。

 大あくびをしながら、ジャンヌは伊織を見る。


 「んーん。どうしたのー?」

 「少し眠れなくて……それで、ジル様とお話をしていたんです」

 「あらーそうなのー……あいつも起きてたんだー」

 「はい」

 「そっかー……」

 「……あの、ジャンヌ様」

 「んー?」

 「もしも、ジャンヌ様が王族ではない方だとしたら……ジル様と、今頃どういう風になっていたと思いますか?」


 ふと気になって、伊織はジャンヌにジルへした質問と同じことを尋ねる。相手は半分覚醒半分睡眠のようなあいまいな状態だ。別に今聞けなくてもいいのだが、今だからこそ本音が聞けるかもしれない。そう思って。


 「ん? んふふー。面白いこと聞くのねー」

 「すみません、突然……」

 「いいのよー。そうねー、お互い闘えもしない、普通の人だったとするならぁ」

 「はい」

 「たぶんー、今頃結婚してー、子どもも居たんじゃないかなー」

 「ええっ!? い、いきなり飛びすぎじゃないですか!?」

 「そんなことないわよー。だってねー、あたしは昔っからジルが好きだしー、ジルもあたしのこと好きなんだもん」


 語尾にハートマークでも付きそうなくらい甘ったるい、嬉しそうな声でジャンヌは言った。

 お互い、気持ちはとっくに共通しているのだ。それはわかってる。


 けれど、今ジャンヌがこれほどまでに乙女らしく語っていることは、現実ではない。ありえない、あってはならない。

 だって、それは何の制約も政略も関係ない場合のことだから。

 貴族の仲間入りをしたし、世間体もバッチリ。世界を救った勇者とその仲間との結婚なんて、誰もが祝福するに決まっている。


 でも、それでも。


 もっと前から続く、国としての、お互いの利害を考えれば。

 叶わない。叶えられない、儚い願いでしかないのだ。


 「……」

 「……スー……スー……」


 伊織が、二人の関係性の難しさや現実の非情さに唇をかみしめていると、ジャンヌは寝息を立ててしまった。

 

 二人とも、とても素敵な人だ。幸せになって欲しい。そういう願いが、伊織にはある。

 寝入ろうとしても、なかなか眠れないので彼女は悩むことにした。


 何か出来ることはないか、と。


 「ねえ伊織ちゃん、街についたら何がしたい?」

 「シーサイドでは、お買いものがしたいです」

 

 起床する頃合いになった時には、伊織の中では一つの結論が出ていた。

 髪をとかしてもらいながら、伊織は続ける。


 「あと、名産物なんかも食べてみたいです」

 「良いわね。一緒に周る?」

 「はい。それと、ジル様もお連れしましょう」

 「そうね、そうしましょうか」


 自由時間はたったの二日。二日だけど、伊織はそれを二人の為に使いたいという答えを出したのだ。

 田舎者の自分の、ましてや旅行者でもある幼子のお願いだ。面倒見の良いジャンヌ達が放っておくわけがない。

 少しだけズルいと頭で感じながらも、伊織はそれを最大限に利用する。

 楽しい思い出を作ってもらいたい、という一心で二人を連れまわして遊んだ。


 急がなければならないのは事実だけれど、ジルやジャンヌだってそういう時間が嫌いなわけではない。

 シーサイドに着いてから、目を輝かせる少女と共に楽しい時を過ごした。


 「それでは、そろそろ時間なので」

 「ええ。元気でね、伊織ちゃん」

 「伊綱さんにもよろしく」


 手にいっぱいのお土産と、たくさんの思い出を胸に、伊織はミズホ行きの帰りの船へと向かう。


 ジャンヌとは名残惜しそうに、涙を浮かべながら抱き合い、ジルには頭を撫でてもらいながら。一生懸命、感謝の意をお互いに伝える。


 「また、お会いしましょうね!」


 別れる時は、飛び切りの笑顔を渦流神社の巫女は、帰って行った。


 にこやかに手を振りながら、涙をこらえて海へ向かう船を見送る。

 水平線の彼方に、その船が溶けてなくなるまで、二人は本当に名残惜しそうに、言葉もなく見続けていた。


 鼻を啜るジャンヌにジルがそっとハンカチを差出すと、彼女は受け取って顔をぬぐう。

 それから動かしたくない踵をさっと返すと、目的のルアン王国へ向けて足を進めることにした。

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