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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第二章 水の精霊 編
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第十三話 ~海神の裁き~

 聞くつもりはなかった。でも、聞こえてしまった。


 そこでやめておけばいいのに、伊織に対して何か、保護愛精神のようなものを感じつつあったジルは、結局聞き耳を立てることにした。

 気づかれないように、そっと部屋に近づく。


 「どうして……ですか、兄様。渦流(うずる)神社には、参拝客もまだそれなりに居ます。何より、大滝(おおだる)の儀式はどうされるのですか?」


 訴えかけるように、消え入りそうな声で伊織は問い詰めていた。表情が見えなくても、その眼にはきっと大粒の涙がこぼれそうになっているに違いない。


 「あんな大きな施設を、管理するのにもお金は必要だ。ボロになっていくだけの社に、人はいずれ寄り付かなくなる。ならば、今のまだ美しいままに売りに出そうと決めたんだ」

 「だから、何故ですか……?」

 「伊織。お前は、たった二人のお客人にまともな食事も出せない家が、貧しくないと思えるか?」

 「!」

 「ここは隔離された島だ。もし、お前が病になったとしたら、満足な治療も受けられないだろう。薬だって、高くつく。管理費用なぞにお金を割り当てていては、いずれ飢え死にだぞ」

 「で、ですが……」

 「……お前には黙っていたが……。先日、あの神社を視察に来た富豪の方と話をしたんだ。大層気に入っていた。暫定だが、もし売りに出すとすれば……私とお前、二人ならば贅沢は出来なくとも一生分は暮らせるお金が手に入る。だから」

 「…………」

 「伊織!」


 静かに歩く癖を持つ伊織が、足音を立てながら走り去っていった。行き先は玄関口だろう。静寂のみが満たす空間に、砂利と土が踏まれた音が遠ざかっていった。


 「……ジャンヌ、ちょっと行ってくるね」

 「え? あ、うん」


 きょとんとしているジャンヌにそう言い残して、ジルは後を追いかける。

 ジルとしては、すぐに伊綱が追いかければ、そんなお節介をするつもりはなかった。しかし、部屋の出入り口からは、幾らか待てども、影すら見えなかったのだ。


 「…………」


 若干状況に置いてけぼりを食らっているジャンヌは、残されたままでは手持無沙汰だ、と行動に移る。

 まだ動きを見せない伊綱の個室の陰から、おっかなびっくり顔を出して様子を窺う。


 伊綱は両拳を握り締めて、俯いたまま立ち尽くしていた。その悲壮な面持ちに、ジャンヌは声をかけまいか悩んでいると、気配を察知したのか伊綱が顔をあげる。


 「あぁ……これは、御見苦しいところをお見せしました……申し訳ないです」


 魂でも抜けたかのような、消え入りそうな声で伊綱は謝罪をする。ショックを受けていることは確かなので、ジャンヌは気を遣いながら会話をする。


 「……伊織ちゃん、どうしたんですか?」

 「お話は、聞こえていましたよね?」


 伊綱の想定に、ジャンヌは少したじろぐ。しかし嘘をつく状況ではないと判断し、ゆっくり頷いた。


 「あなた方のような英雄に、ろくなお持て成しもできない。神事を司る人間なのに、我々は毎日山に出て食料を確保しなければならない。今はまだ若いので良いです。しかし、やはり将来として見た場合、これが最善の策だと思ったんですよ」

 「…………」

 「それに……渦流神社(あんなもの)に頼っても、無駄なんです。信仰心の薄れたこの国で、もうシキ島は必要ない存在なんですよ。だったら、なくていい。最後くらいは、役に立ってくれれば儲けものです」


 伊綱は吐き捨てるように言う。きっと、伊織にすら話したこともない内容なのだろう。自分のこの、不信の心がどれだけ強いかも気づかずに、言葉を続ける。


 「手を合わせて、天を仰いでも……神は私たちを助けてはくれないんだ。だから、要らない。居ない。神なんてどこにも……!」


 叫ぶような伊綱の声に反応するように。朝方からやけに曇り勝ちだった空は、更に荒れ模様を示していた。


 ――――。


 「……伊織さん」


 小雨になった山の中にて。息を切らしたジルは、木陰で膝に顔を埋めている伊織を見つける。裸足のまま荒れ道を歩いたせいで、土は赤く滲んでいた。


 「……えと……天気悪くなってきたみたいだし、一旦帰ろう?」


 都合の良い理由を述べて、ジルは手を差し伸べる。しかし、伊織はそのまま動かない。

 どうしたものか、と頬を掻いていると、更に雨脚は強くなった。


 「伊織さん、本当に風邪ひいちゃうよ。行こ……」


 ジルは咄嗟に耳を押さえた。さっきまで言葉にも行動にも反応しなかった伊織も、何かに気づき顔をあげた。


 「な……んだ?」


 耳を塞いだところで、それは止まらなかった。まるで、耳ではなく体中の穴という穴から、人知れず入ってくるように、直接脳に響いてくる。


 《恥を知らぬ愚か者どもめが……!》


 声。紛れもない、人語。

 けれど、心当たりがジルにはない。老人のようにも若者のようにも、男性のようにも女性のようにも、聞こえてしまう不可思議な声。ただこの世のものとは思えない重厚さだけを感じる。


 「……海神(わだつみ)様だ……!」

 「え?」


 《恩を忘れ、恩を知らぬと(のたま)うというのであれば、我の怒りを知るが良い!!》


 いつの間にか、朝だというのに真っ暗になっていた天が光を放った。それが稲妻であると確認する間もなく、一帯に衝撃が走る。

 目を瞑ったジルが再び見た景色は、凄まじいものだった。


 山に生えている一帯の木々が消し炭と化していたのだ。

 一度にしか見えない光は、数瞬だけ間を置くと大地ごと揺るがす轟音を響かせた。連続して落下した雷によって、山の一部は荒野となる。

 燃える欠片たちは、大雨によってすぐ鎮火されていたが、更に次の稲光が巻き起こった。前、後ろ、横。自然災害ではありえない速度、威力で山が焼き払われていく。

 大魔術を扱えるジルでも、これほどの規模のものを起こすのは難しい。連続で詠唱を繰り返して、やっと再現できる域に達するくらいだ。もちろん、彼でも現在保有する魔力では、この現象に至る前に枯渇してしまうのだが。


 災厄は更に悪い事態を招いてきた。轟音と暴雨によって、山の斜面が緩んできたのだ。

 ジルは既に、伊織の手を無理やり引いて、下山を始めていた。被害は受けずに済むだろう。

 だが、彼らの耳には雷鳴以外の、土と砂の崩れ落ちる凄まじい音が届いていた。


 「兄様!!」


 音のした方角は、間違いなく渦流家のある場所。森を抜け、沿岸部まで逃げたことで安全性を確保すると、伊織は叫んだ。無論、兄が居るべき場所へ向けて。


 「大丈夫だよ、伊織さん。ジャンヌも一緒だから、安心して」


 目に入りそうなくらい流れてくる雨も拭わず、ジルは優しく笑う。伊織は、涙なのか降雨なのかわからないくらいびしょ濡れの顔で、ジルを不安そうに見た。


 「……あ!」


 ジルが声をあげた先には、ジャンヌが居た。風魔軽鎧(ヴァルハラ)を纏い、大きな跳躍で二人の所へ着地する。抱え込むように、肩に担がれているのは伊綱だった。

 伊織が笑顔になったのも一瞬。ジャンヌに支えられている伊綱は、ぐったりとして動かないのだ。


 「揺れた拍子に、ちょっと頭をぶつけちゃったみたいなの。ごめんなさい」

 「兄様!」


 自分が居ながら、なんたる不覚。

 気を失っている伊綱を見ながら、悔しげな顔をするジャンヌ。結う暇もなかった金髪も、風に煽られて激しくはためいていた。


 「伊織さん、一つ聞いていい?」

 「……は、はい。なんでしょうか?」

 

 心配そうに、けど少しだけ安堵した表情で伊綱に寄り添っていた伊織に、ジルは質問をする。


 「この国は、こんな急に天候が荒れることがあるの?」


 どう考えても異常なのだ。やや曇っていた程度の天気だったのに、少し経っただけで大雨落雷暴風。しかも、規模があり得ない。目の前に広がる海原も、大きく揺れて今にも襲い掛かってきそうだ。数刻で土砂崩れを引き起こす降水量など聞いたこともない。雷に至っては、連続落下がそもそも地象的におかしい。


 「いえ、ないです。ないんです……でも……」


 思い当たる節があるのか、口ごもる。それに関しては、ジルも同じだった。理解できない状況の中で、疑問の回答とも考えられる現象に、出会っていたから。


 「ジャンヌ。キミも聞こえた?」

 「ええ。声でしょ?」


 間髪入れずにジャンヌは返事をしてくれた。幻聴じゃない。現実だったんだ。こくり、とジルは頷き、伊織を見る。


 「これは、海神様の仕業……ってことかな?」

 「…………はい。そうです。それしか考えられないです。あのお声は……大滝の儀式の時に聞こえる、海神様の声で間違いありません」


 あの時聞こえた声。そして重々しく、伝わってきた紛れもない……神の怒り。

 響くのではなく、まるで内側から破壊してくるのではないかと思えるほど、力強くて、憎しみに満ちていたのだ。


 「わたしが……わたし達がいけないんだ……」

 「どういうこと?」


 絞るような独り言に、ジルは問う。


 「……以前、申し上げましたよね。海神様は、わたしたちの祈りを糧に存在している、と」

 「うん」

 「それは大げさな言葉とかではなく、海神様を構成している要因子そのものと聞いています。敬い崇めるからこそ、海神様はわたしたちに恵みをもたらしてくださるのです」

 「……ということは、つまり不遜な人間が増えた今は……」

 「はい。海神様は負の感情を受け取り続け、そして暴走してしまわれたのです」


 ジルは、ふいに海を見た。そして目を見開く。口が開いて、大雨が中に入り込むのも忘れ程に。


 遠くの海で。かすかにではなく、確かに。そこに、海神が居た。

 伊織が、似ている絵と示してくれたような姿で。角も爪も、目も髭も。紛うことなく、龍の姿がジルの視界に収められていた。

 白く発光し、海にもぐり、空を舞い、雲に隠れては再び海へ落下する。そのような動きをするたびに、雷が轟き、暴風が舞い起こり、大粒の雨が叩きつけるように降り注いだ。


 「あれが……海神様か」


 《不敬なる者たちに裁きを!》


 稲光で、うっすらと見えたのはアキツ島だった。シキ島を襲った時のように、雷が落ちて竜巻のようなものが起こっているのが確認できる。


 最も人の多い島へ、凶悪な自然災害の如き攻撃。突然の災厄を受けた、不信者たちは、果たして神に祈るだろうか。


 現実は遺憾なことに、逆だった。

 誰の目にも見える存在になり、誰の耳にも声が届く存在へ昇華した、海神を見た人たちは罵声を浴びせた。

 ふざけるな、なんてことをする、消えてしまえ等々。

 結果、それは更なる負の感情と化し、海神へと届く。更に力を増す海神は、次々に場所を変えて災害を巻き起こしていく。


 完全なる負の連鎖だった。そして、もう止まることはないだろう。


 フソウ島まで襲い、再びシキ島に標的が向いた、その時だった。


 「待ってください!!」

 「伊織さん!」

 「伊織ちゃん!!」


 止めようとした二人の制止も振り切って、海辺に走り荒れ狂う波打ち際まで、伊織が走っていた。そして、存在を知らしめるように両手を広げて叫ぶ。


 彼女の数歩手前に、雷が落下する。けれど、伊織は動じなかった。いや、動じている。涙を流し、雨と共に流れてわからなくなっているが、恐ろしさや怖さで失禁してしまっていた。

 それでも、彼女は怯えた顔など一切見せずに叫ぶ。震えている脚も、抜けそうな腰も。今はただ、伊織の意志の強さだけで持ちこたえていた。


 「海神様っ!!! やめてください!!!!」


 おどおどして、普段はか細い声を出す伊織が、喉が裂けるほど大きく口を開けて、叫んでいる。

 涙も(はな)も、気にせずただただ、一心不乱に。

 

 自分が慕った神様が、こんな悪魔のような存在ではないと。災厄をもたらすものではないと。

 自分だけは、豊穣の神だと、善神であると信じているのを伝えるように。


 余りにも壮観なその背を、ジルもジャンヌもただ見とれることしかできなかった。


 「海神様ぁっ!!!!!」


 嵐にかき消されているだけかもしれない。無駄な行為かもしれない。

 それでも、伊織は叫んだ。


 隣に居ても大声で話さなければならない、雑音だらけの空間で。


 《……お主、伊織か……?》


 初めて、水の精霊は怒声ではない柔らかな口調で、話しかけてきた。  

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