第十二話 ~神嫌いの当主~
「ジル様は、兄様が神社を嫌いとおっしゃいましたが、少し違います」
伊織は真っ黒な瞳を、ジルの鈍色の双眸から離さずに語りだす。緊張からなのか、いつも喋り出しが詰まっていた口調は、真剣さによって克服されていた。
「兄様が本当に嫌いとし、認めようとしないのは……海神様そのものなのです」
「……神様を信じない神主さん、か」
「はい。兄様は、渦流家の人間ですから、幼い頃から様々な神事に携わってきました。大滝の儀式で、経文の読み手も行ったことがあります」
大滝の儀式とは、一体どのようなものなのか。
伊織たちが管理している、渦流神社の裏には大きな山がある。古来より格調高い霊山であり、いくつか滝が流れ出していた。
決められた日の、決められた時間。神主より認定された巫女を、周囲でお経という呪文を唱えつつ、その滝壺に入れる。すると神からの御言葉を授かることが出来るのだ。
それは、その一年の豊漁所や豊穣作物であり、従えば間違いなく成功できる有難いもの。
更に、一連の儀式の後には一般の人もその滝壺へ入ることが許される。そこで滝に打たれ、心身共に浄化することで、恩恵を受け取る準備が可能になるらしい。
「ちなみに、その巫女というのが伊織さん?」
「はい。ただ、わたしが巫女役を担うようになったのは最近です」
「それまでは?」
「……母がやっていました」
伊織は射止めていた視線を、ふいに外した。正面を向き、顔を少しだけ俯かせている。
それだけ、ジルは状況を理解する。しかし、それでも推測が事実と知りたくて、あえて彼は酷な質問をした。
「今、お母さんは?」
「……病気で、亡くなりました」
元々、身体が強い人ではなかったという。それでも、シキ島で最も海神と縁の深い神社の人間なのだ。それを理由に、儀式を断絶させるわけにはいかない。母はいつも、巫女とはかくあるべき、とし弱い身体に鞭を打っていたそうだ。
しかし、無理は長く続かないもの。積み重なった疲労や心労は、確実に蝕んで行きついには床に伏せてしまう。そして、介護、治療も虚しく……数年前に静かに息を引き取ってしまった。
「父様は、仕事以外でも、母様へ負担をかけていたことを悔やんでいました。その後は、神主の仕事を減らし、自分で海に出て漁もしました」
仕事が減れば収入も減る。二人の育ちざかりの子どもを養うには、それだけでは足りなかったのだ。結果、不慣れな漁猟などに出ることになってしまった。
けれど、父は一度も嫌な顔をしなかった。子どもの為、未来の為だとわかっていたから。
好意で恵みをくれる周りの人に加え、自らの漁で、確かに渦流家は今までよりも裕福になった。母親のいない悲しみも薄れかけていた……その時。
「とある日……漁に出た父様は帰ってきませんでした」
突然巻き起こった嵐に船をさらわれ、父もそのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
嘆き悲しみ、そして何よりも、最も神に身近な渦流の人間が。病に見放され、海に嫌われて、命を落としたことが、伊綱は許せなかった。
母が病床の時も、父の帰りが遅かった日も、伊織と共に熱心に祈りを捧げていたというのに。何も返してくれず、奪っていくだけ。
神は、助けてくれなかった。
「だから、兄様は……渦流神社が、海神様というものがお嫌いなのです」
「…………」
夜遅くになっても、両親の居る気配がないこと。ジルやジャンヌと同じくらいの年齢にも関わらず、伊綱が当主をやっていること。
これで、全て納得がいった。
「言いにくいことを言わせちゃったね。ごめん」
「い、いえ。わたしが、ジル様にお話ししたいと思っただけですから……お気になさらないでください」
伊織は再び、ジルを見た。丸い目は、少しだけ涙が浮かんでいて過剰に潤いを持っている。辛い思い出を語らせてしまった。そう思い、ジルは無言で頭を垂れた。
「……わたしも、母様も……海神様のお声は聞こえるのに……それが理解できない兄様が、不信になってしまうのは当然ですよね」
「……? ちょっと待って。海神様の声が聞こえる……?」
顔をあげて、驚いた顔でジルが質問をした。その反応を見て、伊織も少したじろぎつつ答える。
「はい。大滝の儀式の時だけですが……御言葉を授かるのですから、当然ですよ」
「どんな風に?」
「言葉では表し辛いですけど……荘厳なお声、というのが一番近いですね。男性とも女性ともわかりませんが……」
「そっか……それは良かった」
「?」
彼女にとっては、当たり前のことなので、何がビックリするポイントだったのかわからないのだ。
しかし、ジルにとって非常に良い情報だったである。
あの龍のような生物が、人間の言葉を持っている。それが知れただけで、大きな収穫だ。無駄にこの島で、時間を流す事態にだけはならなそうである。会えれば、何か知恵を授けてくれるに違いはない。
「あの、ところでジル様」
「ん? 何かな?」
先ほどまでより、やや明るい声で返事をしたジル。伊織の視線は、彼の顔より若干下に向いていることに、気づいては居なかった。
「右腕はお怪我をされているのですか? 風呂場でも包帯を外していなかったのが、気になってしまって……」
「!」
体がピクリと跳ねる。封印装具の中にある手の中にも、汗がにじみ出てくる感触を覚えた。
少し悩み、けれど正直に身内のことを話してくれた人に、隠し事は良くない。それでは、公平ではないだろう。何よりも既に包帯を見られている。嘘をついたところで、それは蟠りを生むだけだ。
「少しビックリする内容だから、注意して聞いてね」
と前置きを入れてから、小さく首をかしげる少女へ、魔王の呪いのことを話した。
勇者伝説の、残酷な後物語の内容と、課せられた運命を耳にするたび、伊織の瞳はどんどんと水気を増していった。
「そ、そんな……」
「だから、ここで何か手が打てれば、と思ったんだ」
「ん……でしたらやはり、浄化という形ならば大滝の儀式しかありません」
あふれ出そうな涙をこらえながら、伊織は言う。ジルも、それがどのような儀式なのかを聞いてからは、同じことを思っていた。
しかし、今は海神の力も弱まり、儀式の時期もずれている。どうしたものか、どうすればいいかまでは、頭は回ってくれなかった。
「世界を巡った、博識なジル様でも、わからないことはあるのですね」
ボソッと伊織が呟く。そういえば、先ほどから彼女はジルが、他文化の作法や知識などを発揮するたびに羨望の眼差しを送っていた。気になったので、聞いてみる。単に、秀抜さが物珍しいだけなのだろうか。
「僕が知らないことなんて、まだまだ呆れるほど世の中にはあるんだよ。どうして、そこまで……?」
「それは……その、わたしは生まれてからこの国を出たことがないので。他の世界をたくさん知っているジル様は、本当に素晴らしい方だと思っているのです」
「そうなんだ……」
「近くてもいいから、外国へ行けたらいいなぁ」
独り言のように呟く少女の言葉に、ジルは質問で返す。
「……伊織さんは、海神様を信じてる?」
「はい。わたしは、海神様をお慕いしております。例え、最後の一人になっても……わたしだけは」
絶対に信じる。力強く、今度は間違いなく自分に言い聞かせていた。
この三角島の海域には、一切魔族は出現しない。信じない人々は、海流などの関係だと言っているが、伊織は間違いなくそれは、海神の加護だと確信している。
声も姿も見える彼女だからこそ、誰に笑われようと誰に虐げられようとも、神の存在を肯定すると心に決めていたのだった。
「…………」
大きな欠伸をした伊織をみて(慌てて手を抑えて謝る仕草が入ったが)、ジルもつられて欠伸をした。もう眠くなる時間帯だ。おやすみなさいを言い合い、二人は寝室へと戻る。
引き戸を音を立てないようにスライドさせた先に見えた景色は、ジルの顔をひきつらせた。
いつものことなのはわかっているが、ベッドと違って床に敷いているせいで、ジャンヌの寝相は更に恐ろしいものになっていた。
せっかく布団を二つにしてもらったのに、それを跨ぐように寝ころんでいる。掛布団も枕も、彼女の近くには存在していなかった。
はだけやすい衣服は、寝返りのせいで見事に機能を果たしていない。胸元は大きく開かれ、健康的な太腿は堂々と露出されていた。
「どうしたら、ここまでやれるんだろう……」
ため息をついて、ジルはまず自分の寝床を確保する。ジャンヌの下敷きになっている布団をゆっくり引っ張り、距離を置く。そして散乱している寝具を見つけ出し、セットした。
さて、寝る準備は出来た。しかし、ジルはそのまま眠ることはしない。
夜になり、少し冷えるくらいの気温なのだ。何も体にかけずに寝ては風邪をひくだろう。
ジャンヌの傍に行き、そっと肩と腰のあたりに手を滑り込ませようとする。
しかし、その前に衣服を正してやるべきか。持ち上げてずり落ちては大変だ。
そう思って、襟に手をかけた時だった。
「ん……」
「!」
ビクッと身体が動いた。基本的に熟睡するジャンヌだから、何をしたところで起きないと高をくくっていたのだ。
残念なことに、現実は違った。ジルが触れたと同時に、ジャンヌは気配察知スキルを偶々発動してしまったようで、重そうに瞼を開いてしまった。
「ジル……?」
「あ、えっと、お、起きたんだ」
冷や汗を垂らしながら、ジルは答える。ジャンヌは一度目をこすってから、違和感のある胸元を見た。
半開きの目は、間違いなくジルを、そして手の位置を視界に収めていた。
「…………」
「…………」
早く状況を説明しなければならないのだが、言葉が出てこない。ジャンヌは固まって動いてくれない。
どうしようか、どうすべきか悩んでいた時だった。
「うわっ!?」
突然、ジルの襟元が掴まれて引き寄せられた。やったのは勿論ジャンヌだ。抱き枕でも抱えるかのように、ジルの頭を胸部に持ってくる。押し付けられたせいで、ジルは呼吸が難しくなった。
「んぐぅ……ぶはっ! じゃ、ジャンヌ!?」
「なにしようとしてたのよー?」
覇気のない、気の抜けた声でジャンヌが質問をする。寝ぼけているのは間違いないが、一体どこまでが真意なのか理解できない。やけに強調してくるジャンヌの隆起の感触で、鼓動の早くなったジルは、とりあえず小声で返答する。
「か、風邪ひくと思って……服を正そうとしただけだよっ!」
「ほんとにー?」
「本当だよ! 大体、平民の僕が、一国のお姫様に手を出したら大問題じゃないか!」
必死に、けれど最小限の声量でジルは、言い訳をする。その言葉を聞くと、ジャンヌはピクリと反応した。それから、ゆっくりと両手でジルの頬を挟み、強制的に目線を合わせた。
「ジル。あなたはオルラン王国選定の、最高等聖魔術師なのよ。これは立派な貴族の称号なの。変に卑屈にならなくていいんだからね」
「それは……そうだけど……」
ジルの家、レイン家は普通の庶民一族である。騎士として武勲を立てた家でもなく、魔術師として功績を湛えられた系譜でもない。どこにでもいる、普通の市民。
ただ、ジルはジャンヌと出会った。勇敢で強壮なその背中に、追いつけるように、隣に立てるように、背で守れるように。常に努力を怠らず、彼は多くの戦いと修練の末に、強大な魔術を習得して使いこなした。
結果的に、それが魔王討伐に大きく貢献したし、当のジャンヌもそんな彼を誇りに思っている。
国も民も、誰もが認める優良な魔術師。素晴らしい称号を認定された彼は、平民などではなく人の上に立てる立場となったのだ、
けれど、それでも。
王族としてのジャンヌの振る舞いや、生まれの差を見て来たジルからすれば、自分が胸を張って貴族であると名乗る自信にまで、繋がることはなかった。
だから、ジルは、ジャンヌとどういう関係でいればいいか、未だに上手く理解できていない。近ければ近いほど、嬉しい一方で、やはり生来の距離感を覚えざるを得ない。普段のジャンヌは、性格上そのような空気を一切出さないが、一歩、祖国の城に入ってしまえばそれは歴然としたものになる。
取り巻いている周りの人、言葉遣い、身の振り方。
自我が芽生えてから、既に王国で暮らしていた人間の教育や遺伝子は、多識なジルでも簡単には埋められない大きな溝。
認められたところで、たどり着いたとは到底思えない。
「…………スー……スー……」
葛藤をしているうちに、ジャンヌは寝入ってしまったようだ。疲れたジルも、途端に瞼へ重さがかかってくる。
ジルは、ジャンヌとのことで悩む最大の原因になっている右手を視界に入れつつ、無意識で眠りに落ちることを選んだ。
寄り添うように寝る二つの身体。 果たして、それは心まで反映出来ているのだろうか。
――――。
「おはようございま……ふぇっ!?」
次の日の早朝である。朝食の用意が出来たので、二人を起こしに来た伊織が視界に収めたのは、彼女にとって刺激の強いものであった。
それはそうだ。衣服がはだけ、しっとりと汗をかいた男女が寄り添うように寝ていては、誰であってもとんでもない場面に出くわしたと驚くだろう。
「…………! あ、お、おはよう、伊織さん!」
「んへ……?」
声に反応し、ジルは目を開けた。そして、伊織を確認すると同時にジャンヌの手を振りほどいて、慌てて起き上がる。ずり下がった襟元を正しながら、寝汗ではないものを額に浮かべつつ、挨拶をした。
「お、おはようございます……あの……し、失礼しました!」
「あぁっ!? ち、違うから! そんなんじゃないから待って!」
一日の始まりから躓いてはこちらも困る。赤面しながら逃げ去ろうとする伊織を、ジルは慌てて呼び止める。
ジャンヌの寝相のせいでこうなっただけで、何もないから安心して欲しいと必死に弁明を試みることにした。
「こちらこそ、大変失礼しました」
一通り理由を述べ、とりあえずは伊織を納得させることに成功した。けれど、ジルとジャンヌを見比べてから、少し頬を染めつつ言われても説得力は感じられなかった。本当にわかっているのだろうか。
「ところで伊織ちゃん、別に宿ってわけでもないんだから、わざわざ食事を用意しなくてもいいのよ?」
言ってなかったこちらも悪いが。とジャンヌは欠伸を隠した涙交じりの瞳で言う。
放っておけば、いくらでも、なんでもしてきそうな雰囲気を出しているので、ここいらで止めておかねば、とジルも同じく思っていたところである。
貧しい現状で、他人を養う余裕などないはずだろうに。
「い、いえ。お客様には出来得る限りのおもてなしをするのが、シキ島の、ミズホの国のならわしなので……」
健気な笑顔に心を打たれるが、それでもやはり無駄に迷惑はかけられない。とはいえ、既に、せっかく、用意してもらったものを食べずに、放っておくわけにはいかないだろう。
動きやすい普段の格好に二人は着替えると、ひとまずは昨晩食事をした囲炉裏の間へ向かうことにした。今日の天気は曇り空なようで、やけに薄暗く感じる。
「伊織」
「は、はい。何でしょうか、兄様」
向かう途中の廊下だった。何やら、伊綱が手招きをして伊織を呼び寄せている。囲炉裏間とは少し離れた、伊綱の自室へと招いているようだ。
伊織は先に行っててください、と小さく頭を下げてからいそいそと伊綱の下へ向かった。
「どうしたのかしらね?」
「…………」
他人の内輪事情に、首を突っ込むつもりはない。昨日の話も、教えてくれたから聞いただけ。こちらから、足を踏み入れてはならないと思っていた。
「え……!? 神社を売る……!?」
伊織の、絞り出すような絶望の声を聴いてしまうまでは。




