切っ先の向こう側 4
次の一撃は、それまでと違った。
受けた盾から肘へ衝撃が抜けた。黒瀬の顔がすぐそこにある。
久良羅は斜めに下がりながら、切っ先を突き出したが、彼は追わずに止まっていた。誘いには乗らないらしい。
久良羅の口元が緩んだ。
こちらが動くと、黒瀬も動いた。
剣を合わせたまま、圧力が変わる。押し返せば負ける。腕の力を緩め、彼が来たがっている方へ少しだけ道を開けた。
黒瀬の踏み込みに合わせて、剣を倒して相手の剣を逃がし、反対側に切り返した。届く前に、小盾で防がれた。
見れば黒瀬は、両腕を交差して剣と盾の左右を入れ替えるようにして防御していた。
離れると、黒瀬が短く息を吐いた。
笑っているのが分かった。悔しいのだろう。自分も同じだった。
久良羅は剣の裏刃(片刃の日本刀なら峰になる方)を用いたトリッキーな攻撃を次々と繰り出す。
黒瀬は初見こそ食らってくれるものの、二度目以降は丁寧に防御してくる。
連続攻撃で押し潰せることもあれば、コンボに割り込まれて反撃されることもあった。
前世にも剣を合わせるのが楽しみな相手はいた。
けれど、そういう関係になるにはいつも少し時間が必要だった。
姫君に当ててよいのか、どこまで踏み込んでよいのか。そう迷う相手に、何度も打ち込む必要があった。
勝っても、困った顔で褒められることがあった。
黒瀬は、そうではなかった。
こちらの剣を受け、払い、チャンスと見れば間を詰めてくる。
逃がしたくないという意志が、足にも手にも現れていた。
荒々しいものが向けられてくる。
久良羅はそれを許した。盾で受け、足を開き、押される力を体の外へ逃がす。
そこから剣を返すと、黒瀬の息が弾んだ。もっと来てほしかった。
言葉を交わす暇はなかった。
黒瀬の打ち込みを、久良羅は剣で流すと、手首をひねって突き返した。
その切っ先を彼の盾が弾く。剣が胸に来る。久良羅は体を引いた。間に合わなかった。
「一本」
黒瀬が離れた。久良羅は大きく息を吐いた。今のは悔しい。
彼も息を切らしていた。構え直そうとしてこちらを見る。
久良羅が剣を上げるとうなずいた。
あと一度。
言わなくても伝わったのがうれしかった。
体が熱い。ジャケットの中で汗が流れる。
眉から垂れたしずくが、目尻を通って頬を流れ落ちる。
彼が来る。受ける。返す。
剣と小盾がぶつかり、お互いの刃がほとんど同時に胴へ触れた。
どちらが先だっただろう。
黒瀬の顔を見ようとしたが、マスクに隠れて分からなかった。
ただ、彼の剣もこちらへ触れたまま止まっている。
離れれば終わる。そのことがほんの少し惜しかった。
久良羅は自分から一歩下がった。
黒瀬も剣を引いた。
構えかけて、腕が上がらなくなっていることに久良羅は気づいた。
「そこまで。二人とも一旦休憩にしよう」
横から誰かの声がかかった。気づけば、武術部員たちは、自分のスパーリングをやめて、黒瀬と久良羅のそれに見入っていた。
久良羅は剣先を下げた。
しばらくその場から動けなかった。黒瀬も肩で息をしている。
壁際へ戻り、剣と盾を置く。
マスクを脱いだ瞬間、頬に触れた空気が冷たかった。
黒瀬の髪も額に張り付いていた。鋭い目が今、細くなっている。
「少々どころじゃ、ないでしょう」
「個人差だと申し上げましたわ」
言い終わる前に笑ってしまった。
黒瀬も声を立てて笑った。
うれしかった。こんなに遠慮なく動いたのはいつ以来だろう。
久良羅は両腕を広げた。黒瀬が応じて近寄ってきた。
軽くハグをして、楽しかったと伝えるつもりだった。
しかし、興奮が冷めず、思ったより強く黒瀬を抱きしめてしまった。
ジャケットは分厚い。それでも、彼の胸板の広さが分かった。自分の肩の上に彼の顎があり、耳の近くで息が聞こえる。
彼の体が一瞬こわばった。驚かせてしまったらしい。
やがて、彼もゆっくりと抱き返してきた。
「……えっと、ナイスファイト?」
自分でも何を確認しているのか分からなかった。
「はい」
返事はやたら早くて、なんだか話がかみ合ってない気がした。
そのとき、プレハブの道場の入り口の引き戸が開かれた。
振り向くと、水城が立っていた。
足元に小さな花束があった。包み紙の端から淡い色の花がのぞいている。彼の手は、今もそれを抱えている形のままだった。
隣の榊原も、足元に弁当箱を落としていた。
水城は花束を見なかった。榊原も弁当を拾わなかった。
二人ともこちらを見ている。
久良羅は、自分の手がまだ黒瀬の背中にあるのに気づいた。
黒瀬の腕も、まだ彼女の背中に回されていた。
「×〇▲□……!」
久良羅は、前世の言葉で短く悪態をついた。
直訳すれば「聖者の尻」。日本語に訳してはいけない気がした。




