第1話「船」
後悔先に立たず。
それを強く打ち付けられるのはいつか?
いずれにせよ、もう2度と取り返しはつかない。
潮風が顔に当たり、海の匂いが鼻の中を少し刺激するここは船の上。
船が海に接触している部分から跡ができるように白い線ができている。
あの白い線を生み出す船はいくつもの命を運んでいた。
Fラン大学生の土谷琢磨は船の外で海の動きを観察していた。
楽しいわけではないが、自然と波の行く末を見守りたくなる。
頭の中が真っ白になり、変なことを考えないでいられる時間に思えるのだ。
最終的に白い線が消えてしまうと知っていても眺めている時間が心地よい。
風も彼のことを歓迎しているようで、塩の匂いも土谷の鼻にダイレクトに入ってくる。
パーマをかけた髪、170の身長、ゆるい服装。
彼の顔は周りから暗いといつも言われる、そんな顔をしている。
性格はある程度はフレンドリー。
しかし、気分屋な一面がある猫系の性格。
中学時代、高校時代は同じレベルの人間と中々出会うことができずに、孤独に過ごす日々を送っていた。
そのことを今でも夢で見るし、うなされる。
それを考えると、今の友達と出会えたことは喜ぶべきことなのは確かだが、彼の性格上、1人になりたい時も多かった。
「そんなに海ばっかり見てて楽しいのか?」
後ろから声をかけてきた男は同級生の樺島悠太。
短髪でツーブロックの髪型、スカジャンを纏い、イヤカフが耳から光っている。
第一印象はチャラ男といった印象。
脳筋だが、頼りがいがあり、意外に義理堅い存在だ。
体格に似合わず優しいため、出会った当初の土谷はかなり動揺した。
こんなやつ絶対関わらないだろうと思っていたが、人生というのは何が起きるか分からないということをその時に改めて知ったぐらいだ。
「いいのよ、そうやって思いふけってたい人もいるんだから。」
樺島のさらに後ろから現れた後ろで手を組んでいる女性は同級生の岡本心結。
ロングヘアでカチューシャが印象的。
顔は優しく、第一印象も悪くなる要素がないと思える。
真面目のいい子という印象を受けるが、実はそうでもないと土谷は思っていた。
男子友達が多いらしく、大学のヤツらがヤッたなんて噂がちらほらレベルでは無いぐらいの頻度で聞くのだ。
土谷は岡本に恋愛感情を抱いていた訳でもなく、岡本もこのグループの居心地がいいからいる、といった仲だった。
それでも、一緒にいる期間が長ければ長いほど、仲は深まっていくものだし、喧嘩もして仲直りをして相手を知るのだ。
土谷は4人グループでこの船に乗っていた。
もちろん、土谷以外の人間も何人か乗船している。
「あれ?そういや、アイツは?」
一緒に来たグループの1人が見当たらずに、場所を土谷が聞く。
「ん?あぁ、なんか船酔いしてるらしいぞ。
トイレに駆け込んでくの見たし。」
何分か遅れて、現れた男は広瀬俊也。
マッシュの髪、パーカー、首にはヘッドホンをつけている。
気弱だが、優しく、場が崩れた時には和ませてくれる存在。
冷静に物事を見てくれるが、知能の方は天然と言わざるをえないやつだ。
そこを補うのが、この中では知識がある方の土谷だった。
広瀬が仲介に入ってくれないと土谷も動かないため、かなり重要な役割を担っているといえるだろう。
心配をして土谷が声をかけた。
「もう船酔い収まったのか?」
「まぁ、なんとか。吐いたらちょっとは楽になったよ。
外にいた方が気分が良さそうだわ。」
そういう広瀬だったが、顔は明らかに青ざめていて、また吐くのではないかと思えた。
吐くなら船の外にしてくれよと、土谷は心の中で言う。
土谷は人の吐瀉物を見るのが苦手で、心配をしながらも、そばに居たくないという気持ちが綱引きしていたのだ。
それに対して、樺島と岡本はそこまで心配はしていない様子。
死ぬこと以外はかすり傷だって、いつかの日に言われた記憶もある。
だからといって、体調不良の友達を気遣わないのはどうかと土谷は思った。
「はぁ…おかしいな…船なんて何回も乗ってて、船酔いしたことなんか1度もないのに。」
その状態で言われても、と他3人は思う。
説得力は皆無。
みんなで船に乗ったことなんてなかったし、電車ぐらいはあったが、酔っている様子を見たことがなかった。
遊園地でコーヒーカップをみんなで乗った時、かなりの速さで回したが、目が回ったと笑って答えていた。
どちらかといえば、土谷と岡本の方が、目が回りすぎて吐き気を催していた。
樺島が腕を伸ばす。
「いっ…。」
「どうかしたの?」と岡本が聞く。
「いや、あの後からちょっと肩ら辺が痛くてさ。」
広瀬が気にして、樺島の腕を捲り確認してみるが、何もない。
赤い腫れがあるという訳でもないし、青タンになっている部分も見て取れなかった。
肩こりが原因だと考えた。
「見たけど、なんもないよ。
肩が凝ってるだけなんじゃないの?」
「そんな凝ってる感じでもないんだけどな。
お前らはなんか変なことないのかよ。」
樺島からの問に土谷と岡本はおかしい部分を探してみる。
土谷は思いつかずに「別にどこも」と答えた。
岡本はと言うと「ちょっと目が変かも」と答えた。
3人で岡本の目を覗き込んでみると、瞼がピクピクと痙攣しているのを確認できる。
土谷が「寝不足か?それともストレス?」と聞いたが、どちらにも当てはまらないらしい。
言及したところで謎は深まるだけのような気がするので、すぐに収まるだろうとスルーする。
船酔い、肩が痛い、目の痙攣、どれも気にはなるが、大事にするほどのことではなかった。
「にしても、ちょっと怪しくないか?
こんなに待遇がいいバイトなんて聞いたことないんだけど。」
船の手すりに背中をもたれこみ、広瀬が言う。
それに対し樺島が答える。
「別に大丈夫だろ。金も貰えるし、島でのバカンスまで楽しめんだから。」
そう、この4人が船の上にいて、島を目指している理由、それはアルバイトだった。
2時間前。
4人は海辺近くの研究所に来ていた。
事の発端は樺島が持ってきた新薬のアルバイトの情報。
給料が貰えるだけではなく、とある島でのバカンスがプレゼントされるというもの。
疑わしく思うのは普通。
しかし、チャンスを逃すまいと、4人で相談した結果、参加することに。
ほぼ、樺島がゴリ押してきたというのが7割を占めていたが。
特に広瀬はその怪しさを捨てきれずにいたが、半ば強制的に連れてこられたという感じだ。
友達のグループで1人残されるというのは嫌だったという気持ちもあった。
内容は新薬を投与した際にどんな症状が出るのかというもの。
参加者は4人以外にもおり、20人あまりが参加をしていた。
見た目から他の奴らもFランだと土谷は勝手な偏見を押し付ける。
人を見る時の眼光は普段よりも目付きが悪くなり、目があった人は不機嫌そうな顔になり、土谷のことを見る。
おそらくだが、相手も自分のことをFラン思っているに違いない。実際、当たっているのだが…
部屋には1人の男が入ってくる。
白衣を来た医療関係者のような風貌。
無造作な髪に、細身の体、特徴的な細い目、見た感じは普通という感想だ。
いい人そうかと言われれば、そう言えるかもしれないし、胡散臭いといえば胡散臭いかもしれない。
その中間ぐらいの印象を与えられる。
入ってくるなり、内容の説明をされた。
「今回皆様には、薬を飲んでいただき、体にどのような症状が出るのかを見させてもらいます。
体に害は無いものなので安心してください。
どんな症状が出るのかは、島で確認しますので、飲んだらすぐに船に乗船をお願いします。」
土谷は周りがザワザワし始めたことにイラつきを覚え、その男の話を聞き逃したらどうすると悪態をつきたくなる。
樺島はやっと始まったか、と言わんばかりに体を伸ばす。
岡本はスマホをいじりながら男の話に耳を済ませる程度だった。
人のことをよく観察するクセがある広瀬はその男の左手の指が気になった。
貧血?腐っている?そんな感じの色をしているのだ。
例えるなら、指の中を静脈血が支配しているような色、と言ったところだ。
小指と薬指がそんな感じだった。
よく見ると軽く痙攣をしているようにも見える。
その指が小刻みに震える度に、広瀬の疑問をさらに強めた。
話が終わると、その手を隠すように後ろに回した。
広瀬が疑っているため、そのように見えてしまっただけの可能性もあるが、なるべく人にその指を見せないようにしていたというのは事実だろう。
もう少し観察をしていたかったが、すぐに薬を渡され、それは叶わなくなる。
隣に座っていた土谷にそのことを話してみる。
「なぁ、さっきの人の指見た?」
「指?」
「なんか、色が変だったんだよ。」
「見てはないけど…なんかの持病だったりするんじゃないのかな?
あんまり言及しない方がいい気がする。」
「そうだよな。」と考えないことにした。
他の2人にも話してみようかと思ったが、樺島に話したところで気にしてはくれないし、その樺島と楽しそうに話している岡本の姿を見て話すのを辞める。
2人は「これ飲んでも死なねぇよな?」「さっき害はないって言われたばっかじゃん。」と悪い冗談交じりで会話をしていた。
岡本はスマホをいじりながらでも、ちゃんと人の話を聞いていると広瀬は関心をはらう。
だが、そんなヤツらが、人の指の色なんて気にするわけもないなと諦める。
渡された薬はカプセル型の錠剤。
それと水が入った紙コップ。
渡された人から順に飲んでいく。
広瀬は薬を手に取った時、さっきの男と男の指への疑問が頭の中へ流れてくる。
それによって飲む手が止まってしまった。
隣に座って、既に薬を飲んでいた土谷はその様子に気がついたようで「大丈夫か?」と心配してきた。
腹を括り、カプセルを口の中へと放り込み、次に水を流し込む。
ゴクッと1回で飲み込むことができずに、3回水を口に流すことでようやっと飲み込むことができた。
そしてその後は船に乗船し、今に至るのだ。
しかし、広瀬は乗って数分で凄まじい船酔いに襲われ、トイレと同盟を組まざるを得なくなった。
人生で1度も乗り物酔いなんてしたことがなかったため、初めての経験に戸惑いが隠せない。
樺島は肩が少し痛いと言っていたが、気にしてはいない様子だし、岡本も瞼が痙攣していて気にする要因にはならなかった。
土谷に関しては何もなく、なぜ自分だけこんなにも辛いのかと広瀬は悲観的になる。
唯一、心配してくれる土谷がいることが心の救いであった。
それがなければ、今すぐにでも海に飛び降りて、元の場所まで泳いで帰りたい気持ちに襲われていたことだろう。
2時間弱、船の上で揺られ、ようやっとのことで島が見え始める。
これからあの場所でバカンス気分が楽しめるのだと4人は楽しみにしていた。
広瀬はこの船酔いから逃れられる喜びの方が勝っていたが…
「お、今、イルカがジャンプしたけど見えた?」
不意に土谷が海の方を指さして言った。
「いや?」と岡本が答える。
他2人も同じ反応だった。イルカが見えるどころか、ジャンプした時の音も聞こえはしない。
「なにかと見間違えたんじゃないの?」
岡本が手すりから身を乗り出しながら言う。
土谷はもう一度イルカを見た方向を見るが、何も見えなくなっていた。
既にどこかへ行ってしまったのだろうか?
樺島が笑いながら間に入ってくる。
「多分、波と見間違えたんだよ。」
そんなはずはないと言いたかったが、自信がなく、見間違いということにしておいた。
広瀬もその方向を見るために手すりから身を乗り出して見る。
船酔いしていたという事実を忘れて、その勢いのまま吐いてしまう。
「おいおい何してんだよ。
吐くならトイレでやれって。せっかくの雰囲気をお前のゲロで台無しにされちまったよ。」
吐き終わり、樺島に向かって「ごめん。」と謝る広瀬。
涙目になっており、早く島に着いてくれと訴えかけているのがよく分かった。
土谷が広瀬の背中をさすろうとしたが、この場で出すのはまずいと感じたのかその手を拒否される。
そのまま室内のトイレへと広瀬は戻っていってしまった。
「大丈夫かな、広瀬のやつ。」
「まぁ何とかなるだろ、そろそろ島に着くし。」
樺島が答える。
あまり心配はしていないようだ。
岡本もそれに乗っかり、広瀬のことを心配しているのは土谷だけのようだった。
「水着とか持ってくれば良かったなぁ。
私、海で泳いでみたいのよねぇ。」
「裸になって泳いでみるか?」
「バカ言わないでよ。」
樺島と岡本の会話を聞いていると安心する。
バカみたいな会話をしてくれるおかげで、変なことを考えなくて済む。
島が段々と近ずいてきて、到着する。
これから楽しいバカンスが始まる、この船に乗っている人たち全員が思っていたことだろう。
恐ろしいことが始まろうとしていることに気がつくものはいなかった。




