第1話 時計の止まる街
ローファンタジーで時間軸絡んでるようなものを書いてみたく。
プロットが最後まで概ね固まったので、書き溜めていた分を気まぐれで投稿していきます。
よろしくお願いします。
午前二時十二分、五十六秒。
赤信号だけが、誰もいない交差点を照らしていた。
東京都杉並区、深町二丁目。
片側二車線の都道は警察車両によって封鎖され、歩道沿いの住宅と雑居ビルからは、すでに住民の避難が完了している。
エンジンを切った黒い装甲車の中で、瀬名冬真は右手の手袋を締め直した。
『発生予測時刻まで、残り四十秒』
耳元で、水城澪の平坦な声が響く。
車内の壁面に取りつけられたモニターには、深町二丁目を上空から捉えた映像が表示されていた。
現在のところ、異常はない。
午前二時まで営業していたコインランドリー。
シャッターの下りた花屋。
古びた六階建ての雑居ビル。
どこにでもある、眠った東京の街並みだった。
「対象区域内に残っている民間人は三名」
向かいの座席に腰掛けた久世玲司が言った。
三十代後半。短く刈った黒髪に、刃物で裂かれたような傷が右の眉を横切っている。
第六封鎖班の班長。
防護装備の胸元に固定された端末を操作し、三人分の顔写真を表示させた。
「コインランドリーの経営者、宮島修一。妻の綾子。娘の奈々、八歳。避難警報後も建物内に取り残されている」
「通信は?」
大型の防護盾を確認していた荒牧岳が尋ねた。
『一分前に途絶。最後に確認された位置は、一階店舗内です』
「三人そろって真夜中に洗濯かよ」
荒牧が低く唸る。
その隣で、柊真白が狙撃銃の遊底を引いた。
「お店の人なんだから、いてもおかしくないでしょ」
「八歳の娘までか?」
「事情があるんじゃない。家庭の事情を詮索するのは、趣味が悪いよ」
「お前が言うか」
「私だから言うの」
真白は薄く笑い、冬真へ視線を向けた。
「今日も静かだね、冬真」
「いつも通りだ」
「初めて入る発生区域なのに?」
「緊張して騒いでも、時間は増えない」
「かわいくない十九歳」
真白が肩をすくめる。
冬真は答えず、腰の鞘から黒い片刃をわずかに抜いた。
光をほとんど反射しない、対時象刀。
欠落体の組織を構成する異常物質を断つための特殊兵装だ。
『残り十五秒』
装甲車の後部扉が開く。
冷たい夜気が車内へ流れ込んだ。
久世が立ち上がる。
「作戦目的は民間人三名の救出。欠落体の討伐は二の次だ。区域の維持時間は最大十三分。午前二時二十六分までに全員帰還する」
久世の目が、最後に冬真へ向けられた。
「深追いはするな」
「了解」
「……本当に分かっているな?」
「命令は守る」
一瞬だけ、久世の表情に何かが浮かんだ。
安堵ではない。
もっと古い、拭いきれないもの。
だが、それが何なのか確かめる前に、澪の声が響いた。
『五秒前』
四人は車外へ降りる。
『四』
交差点の信号が、一斉に赤へ変わった。
『三』
沿道の街灯が明滅する。
『二』
すべての時計から、秒針の音が消えた。
『一』
冬真は鞘に添えた指へ力を込めた。
『時象変異を確認』
午前二時十三分。
街が、消えた。
◇
音もなく、世界が塗り替わった。
アスファルトはひび割れ、その隙間から灰色の草が伸びている。
六階建てだった雑居ビルは中央から折れ、隣の建物へ寄りかかっていた。道路には錆びた車両が何台も放置され、窓ガラスのない高層建築が黒い空へ突き立っている。
ほんの一秒前まで存在しなかった廃墟。
街灯は消えている。
それでも空には、濁った青白い光が満ちていた。
「固定杭、展開」
久世の指示に従い、荒牧が足元へ金属杭を打ち込む。
杭の上部に緑色の光が灯った。
帰還地点を示す時象固定標。
これを失えば、同じ場所へ戻っても現実側へ出られる保証はない。
『区域深度、二・七。想定より高い数値です』
「維持時間は?」
『現時点では十二分四十八秒。変動の可能性あり』
「始まったばかりでもう減ってんのか。景気が悪いな」
荒牧が盾を構える。
冬真は崩れた街を見渡した。
正面にあるのは、先ほどと同じコインランドリーのはずだった。
だが、建物は半分以上が地面へ沈み込み、道路との間には崩落した地下通路が口を開けている。
「真白、上を取れ。荒牧は前。冬真は俺と来い」
「了解」
四人が動き出す。
真白は隣接する建物の非常階段へ向かい、荒牧は盾で前方を覆う。久世と冬真が、その後ろへ続いた。
三十メートルほど進んだところで、冬真の足が止まった。
「止まれ」
荒牧が即座に盾を地面へ突き立てる。
久世も理由を尋ねなかった。
三秒後。
道路右側のビルが、内側から膨らんだ。
壁を突き破り、白い腕が伸びる。
指は七本。
爪の代わりに、黒く変色した人間の歯が並んでいた。
「右、二階!」
冬真が声を発するより先に、乾いた銃声が響いた。
高所へ移動していた真白の弾丸が、壁から現れた頭部を撃ち抜く。
灰色の肉片が飛び散る。
だが、欠落体は止まらない。
頭部の半分を失ったまま壁を這い下り、異様に長い腕を荒牧へ振り下ろした。
「軽い!」
荒牧が盾で受ける。
金属同士を叩きつけたような轟音が交差点に響き、巨体の足元が沈んだ。
久世が左へ回り込む。
短銃身の散弾銃が二度火を噴き、欠落体の膝を粉砕した。
「冬真!」
すでに動いていた。
崩れ落ちた腕を踏み台にし、冬真は欠落体の胸元まで駆け上がる。
仮面のように固まった顔。
その中央に、細い亀裂が見えた。
亀裂の奥で、赤い光が脈打っている。
冬真は逆手に握った刀を突き込んだ。
刃を捻る。
硬い外殻の内側で、核が砕ける感触が伝わった。
欠落体の全身から力が抜ける。
冬真は倒れる肉体を蹴って離れ、路上へ着地した。
遅れて、巨体が灰となって崩れた。
『一体、沈黙を確認』
「見えてたの?」
真白の声が通信に入る。
「壁が動いていた」
『こっちの観測には何も映っていませんでした』
澪が言った。
「勘だ」
「便利な勘だね」
久世だけが何も言わなかった。
冬真は刀についた灰を振り落とし、先へ進む。
初めて来た場所のはずなのに、妙な感覚があった。
左に曲がれば階段がある。
その階段は途中で崩れている。
コインランドリーの裏には、地下へ続く業務用通路がある。
見えているわけではない。
それでも、知っている。
「こっちだ」
冬真は大通りを外れ、細い路地へ入った。
「待て。店舗は正面だぞ」
「正面入口は塞がっている。裏から地下へ入れる」
荒牧が眉を寄せた。
「地図にはそんな通路ねえぞ」
「ある」
「どうして分かる」
冬真は答えられなかった。
頭の奥に、一瞬だけ景色が浮かんでいた。
燃えている街。
この路地を、十数人の部下と走った記憶。
先頭にいるのは、自分だった。
だが、そんな経験はない。
「……見えた」
久世の目が鋭くなる。
「いつからだ」
「今だ」
「ほかには?」
「ない」
嘘だった。
路地の奥から、何かが来る。
冬真には、それも分かっていた。
「荒牧、盾を上げろ」
「あ?」
「上だ」
荒牧が反射的に盾を掲げる。
直後、頭上の連絡通路が爆ぜた。
三体の欠落体が瓦礫とともに降り注ぐ。
荒牧の盾に二体が激突する。残る一体は壁を蹴り、久世の死角へ回った。
銃声。
真白の狙撃が脇腹を穿つ。
それでも止まらない。
「班長、伏せろ!」
冬真は久世の肩を押し下げた。
欠落体の腕が頭上を薙ぐ。
刀を横に構える。
刃と爪がぶつかる直前、冬真の意識が一瞬だけ遠のいた。
次にどこへ足を置けばいい。
どの角度で刃を滑らせればいい。
どれだけ踏み込めば、敵の核へ届く。
知らないはずの身体が、すべてを知っていた。
冬真の刀が爪の間を抜ける。
一歩。
欠落体の懐へ潜り込み、胸部を斜めに断つ。
核を失った肉体が背後へ倒れた。
残る二体が盾の左右へ分かれる。
「真白、左を撃て」
「射線にいるよ!」
「構わない」
冬真は右側の欠落体へ踏み込んだ。
「撃て」
一拍の沈黙。
「外したら恨まないでよ!」
銃声が響く。
弾丸は冬真の耳元を掠め、左側の欠落体の眼窩へ吸い込まれた。
敵の頭が後方へ弾ける。
同時に、冬真は右側の懐へ入った。
欠落体が腕を振るう。
その動きは、すでに見ていた。
半歩ずれる。
爪が防護服の表面を掠めるより早く、黒い刃が腕を断つ。
切断面から灰色の液体が噴き出した。
敵が口を開く。
歯のない喉の奥で、赤い核が脈打っていた。
冬真は切っ先を突き上げる。
刃が下顎を貫き、頭頂まで抜けた。
真白に撃たれた個体が体勢を戻す。
荒牧が盾を振り抜き、その頭部を壁へ叩きつけた。
「寝てろ!」
久世の散弾が胸部へ撃ち込まれる。
核が弾け、三体の欠落体が同時に灰へ変わった。
静寂が戻る。
「無茶させるね」
真白が建物の縁から顔を覗かせた。
「射線は見えていた」
「私が外さないことまで?」
「外さないだろ」
真白が数秒黙る。
「……そういうの、急に言うのずるくない?」
「何の話だ」
「何でもない」
「私語は帰ってからにしろ」
久世が切り捨てるように言った。
だが、その目は冬真の刀へ向けられている。
「今の動きは、どこで覚えた」
「身体が動いた」
「答えになっていない」
「俺にも分からない」
久世は何かを言いかけ、やめた。
『残り九分三十二秒。民間人の生体反応を再捕捉しました』
澪の声が割り込む。
『地下十二メートル。三名のうち、二名です』
「残る一人は?」
『反応なし』
久世の表情が切り替わる。
「急ぐぞ」
◇
路地の奥には、錆びた鉄扉があった。
扉の表面に、見覚えのない文字が刻まれている。
深町中央避難施設。
建設された記録などない施設だった。
荒牧が扉をこじ開ける。
地下へ続く階段の途中には、複数の血痕が残されていた。
新しい。
壁を擦った手の跡が、暗闇の奥へ続いている。
「宮島さん! 聞こえたら返事をしてください!」
久世が呼びかける。
返答はない。
代わりに、どこか遠くから子供の泣き声が聞こえた。
「奈々ちゃんか」
荒牧が前へ出る。
「待て」
冬真が腕を掴んだ。
「またか?」
「この先は広い空間になっている」
「見えるのか」
「……ああ」
冬真の脳裏には、崩れた地下施設の光景が浮かんでいた。
等間隔に並ぶ寝台。
壁一面に書き連ねられた人名。
そして中央で待ち構える、巨大な何か。
『地下空間内に高密度反応が発生』
澪の声が、わずかに硬くなった。
『分類不能。推定全高、四・八メートル』
「先に言えよ」
荒牧が盾を構え直す。
『今、出現しました』
階段の下で、何かが息を吸った。
空気が震える。
次の瞬間、暗闇から巨大な腕が突き出した。
「下がれ!」
荒牧が盾を傾ける。
腕が激突し、階段全体が揺れた。
荒牧の巨体が数段分押し戻される。
「重っ……!」
暗闇の奥から、欠落体が姿を現す。
複数の人間を無理やり縫い合わせたような肉体。
胴体には十を超える腕が埋まり、それぞれが別々の方向へ蠢いている。胸部から上には頭部がなく、代わりに巨大な黒い空洞が開いていた。
空洞の奥で、無数の眼球が冬真たちを見ている。
『大型欠落体。仮称、縫合型』
「撤退する」
久世が即断した。
「対象二名の反応は、あいつの後方です」
冬真が言う。
「分かっている。だが、この通路では戦えない。地上へ誘導してから――」
冬真の視界が揺れた。
数秒先。
縫合型が階段の壁を叩く。
天井が崩落する。
退路が塞がれる。
地下に残された二つの生体反応が消える。
「間に合わない」
「何?」
「七秒後に階段が落ちる」
久世が冬真を見る。
迷ったのは一瞬だった。
「荒牧、受け止めろ。真白、下りてこい。澪、核の位置を探せ」
『解析開始』
「班長」
冬真は刀を正眼に構えた。
「七秒だけ、前へ出る」
「何をする気だ」
「こいつの未来を、先に終わらせる」
縫合型の腕が一斉に持ち上がる。
冬真の意識へ、まだ起きていない光景が流れ込んだ。
一撃目は右。
二撃目は足元。
三撃目は天井を崩す。
四撃目は存在しない。
そこまでに核を断てばいい。
「来るぞ!」
荒牧の怒号と同時に、冬真は走った。
一撃目。
横薙ぎの腕を屈んでかわす。
髪の先が風圧に散った。
二撃目。
床を砕く拳が落ちる直前、冬真はその腕へ飛び乗った。
肉の表面を駆ける。
縫合型の全身から、無数の手が伸びた。
「上、二本!」
真白の銃が火を噴く。
冬真へ迫った腕が二本、肘から弾け飛ぶ。
「左は俺がやる!」
久世の散弾が別の腕を押し返した。
冬真は止まらない。
胸部の空洞が眼前へ迫る。
奥に核はない。
『核反応、背面です!』
澪の声。
同時に、縫合型の三撃目が天井へ向かう。
間に合わない。
そう考えるより先に、冬真の中で知らない記憶が開いた。
大人になった自分。
今より長い刀。
燃え尽きた街。
背後に並ぶ、顔を思い出せない部下たち。
――未来を待つな。
誰かの声がした。
自分の声だった。
――必要な瞬間だけ、こちらへ引きずり出せ。
冬真の足が、縫合型の胸を蹴った。
身体が空中で反転する。
本来なら届かない背面。
だが、冬真の手にある刃が、一瞬だけ別の形へ重なった。
長く、鋭く、幾度も戦場を潜り抜けた傷だらけの刀。
「そこか」
黒い軌跡が、縫合型の背を斜めに走った。
肉が裂ける。
脊柱の奥に隠されていた赤い核が露出した。
「荒牧!」
「任せろ!」
荒牧が階段を蹴り、盾ごと縫合型へ突進する。
巨体が壁へ押しつけられた。
「真白!」
「見えてる!」
銃声が一度。
弾丸が露出した核の中央へ突き刺さる。
罅が広がった。
冬真は落下しながら刀を両手で握る。
ひび割れた核へ、全体重を乗せて刃を突き立てた。
赤い光が消える。
縫合型の腕が、天井へ届く寸前で止まった。
巨大な肉体が膝から崩れ落ちる。
冬真は刀を引き抜き、灰へ変わる背中を蹴って床へ降りた。
地下空間に、雨のような灰が降った。
荒牧が荒い息を吐く。
「お前、本当に十九か?」
「戸籍では」
「その答え方、怖えよ」
「民間人を探すぞ」
久世が冬真の横を通り過ぎる。
その声はいつも通りだった。
けれど、すれ違う瞬間。
久世はごく小さく呟いた。
「同じだ」
「何が?」
久世は立ち止まらなかった。
「何でもない」
◇
施設の奥で、宮島綾子と娘の奈々は見つかった。
綾子は脚を負傷していたが、命に別状はない。
奈々は泣きながら母親へしがみついていた。
父親の修一は、いなかった。
「お父さんが、外に」
奈々が震える声で言った。
「私たちを逃がして……黒い人と一緒に、あっちへ」
「黒い人?」
冬真が尋ねる。
「お面をつけた人。怖い怪物から、お父さんを守ってくれたの」
久世の表情が険しくなる。
「欠落体が、人間を守った?」
「怪物じゃないよ」
奈々は涙を拭った。
「あの人、ちゃんと喋ったもん」
「何て言ったの」
真白がしゃがみ込み、少女と目線を合わせる。
奈々は冬真を見た。
なぜか、真っ直ぐに。
「この人を見つけたら、渡してくれって」
小さな手が、冬真へ差し出された。
握られていたのは、焼け焦げた金属片だった。
認識票。
表面は黒く変色し、半分ほどが溶けている。
冬真はそれを受け取った。
指が触れた瞬間、視界が反転した。
燃える東京。
空を覆う黒い亀裂。
数え切れない人間の悲鳴。
血に濡れた手で、巨大な装置へ触れる自分。
『全区画、切除準備完了』
知らない誰かの声。
『指示を、隊長』
冬真自身の口が動く。
――開始しろ。
次の瞬間、記憶は途切れた。
「冬真?」
真白の声で意識が戻る。
手の中にある認識票。
溶け残った表面には、所属と名前が刻まれていた。
第六封鎖班。
班長。
瀬名冬真。
冬真は言葉を失った。
その肩越しに文字を読んだ久世の表情から、血の気が引いていく。
遠くで警報が鳴った。
『区域崩壊まで、残り一分』
澪の声が響く。
『全員、直ちに帰還してください』
冬真は認識票を握り締めた。
金属の縁が手袋へ食い込む。
午前二時二十四分。
初めて訪れたはずの街で。
冬真は、自分がここで死んだ証拠を手にしていた。




