第29話 「灰の階層 ― 封鎖区潜入」
――アルディナ拠点・観測司令室。
薄暗い空間だった。
無数のモニターだけが、闇の中へ青白い光を浮かべている。
電子音。
冷却ファンの低い駆動音。
高速演算を続けるサーバ群の唸り。
人の声は少ない。
誰もが画面を睨み、キーボードを叩き、息を潜めていた。
戦場とは違う。
だがここもまた、“別種の戦場”だった。
ネオンの指が光学パネルを走る。
瞬間。
空間投影された立体マップが広がった。
港湾区地下構造。
旧リスボニア動力炉跡。
崩壊した階層。
封鎖区域。
沈水区画。
廃棄炉心。
そして――最深部。
赤く脈打つ、一つの反応。
画面の奥で、“それ”はまるで生き物みたいに脈打っていた。
「……ここが、旧リスボニア動力炉地下第十二層。
最深部に接続する、“神兵開発実験区画”」
ネオンの声が落ちる。
室内の空気がわずかに重くなった。
リリスが椅子を回しながら、立体投影へ顔を近づける。
白衣の袖が揺れる。
その瞳から、いつもの軽さが消えていた。
「まだ動いてるの?」
「動いてる、っていうより……」
ネオンの視線が赤い波形へ落ちる。
「“生き残ってる”」
一拍。
「外部電源は五年前に停止。
でも地下磁場だけが、今も脈動してる」
モニターへ波形が映る。
規則的。
周期的。
それは完全に、“心拍”だった。
ドクン。
ドクン。
リリスの笑みが消える。
「……冗談みたい」
「でも現実よ」
ネオンが低く続ける。
「戦争終結直前。
ここでは《Prototype-05》の構築が進められてた」
空間投影へ、一つのコードネームが浮かぶ。
【E.N.D.】
赤い文字。
まるで警告みたいに明滅する。
「Extended Neural Design。
人工神経模倣計画」
ネオンの声が静かに沈む。
「人間の脳。
感情。
人格。
神経伝達。
全部を機械側へ移植して、“神経そのものを再構築”する計画だった」
リリスが目を細める。
「……それ、もう兵器じゃなくて“生命”じゃない」
「だから禁忌になった」
ネオンが短く返す。
「完成直前で研究データは削除。
施設ごと封鎖。
関係者は全員死亡扱い」
一拍。
「……でも、“反応”だけが残ってる」
ネオンは端末へ目を落とした。
表示される現場識別コード。
《NOAH/ASHLEY》
地下潜入班。
現在、第十二層へ到達。
その瞬間。
赤い波形が、強く脈打った。
ドクンッ。
まるで――侵入を“理解した”みたいに。
◆
――港湾区地下、第十二層。
ギィィィィ……。
錆びついた隔壁が開く。
重い鉄の擦れる音が、暗闇へ不気味に響いた。
ノアとアシュレイは、ゆっくり内部へ足を踏み入れる。
空気が違う。
鉄。
潮。
油。
焦げた樹脂。
そして、腐った機械みたいな臭い。
湿気を帯びた冷気が肌へまとわりつく。
ピチャン。
天井から黒い水滴が落ちる。
ピチャン。
静寂。
だが完全な無音じゃない。
もっと低い。
もっと奥深い。
“何か”の音がする。
心臓みたいな鼓動。
地下施設そのものが、生きているみたいだった。
「……ネオン、聞こえるか」
アシュレイが無線へ呟く。
ザザッ……。
ノイズ。
『入ってる。
……ただし磁場干渉が強い。
通信維持は三分が限界』
「十分だ」
ノアが低く返す。
その瞳は暗闇を見ていた。
いや。
暗闇の“奥”を見ていた。
壁面は黒く焼けていた。
焦げ跡。
爆裂痕。
融解した鉄。
そして――
無数の“手形”。
焼き付いたみたいに壁へ残っている。
まるで誰かが、逃げようとして。
必死に。
最後まで。
壁へ縋りついていたみたいに。
アシュレイが顔をしかめる。
「……最悪な趣味だな」
ノアは無言のまま奥へ進む。
天井から垂れ下がるケーブル。
黒い配線。
赤く脈打つ神経管。
それらはまるで、巨大生物の血管みたいだった。
ドクン。
赤いラインが脈打つ。
施設全体が、生きている。
『記録によれば、試験スタッフ四十二名。
生還者ゼロ』
ネオンの声が響く。
『人工神経接続試験が暴走。
被験体と神経共有していた研究員全員の脳が焼損した』
沈黙。
アシュレイが鼻を鳴らした。
「つまりここで、“神様”を作ろうとして――
人間の方が壊れたわけだ」
『ええ』
ネオンが静かに返す。
『人が神を模倣するとき。
一番最初に失うのは、“自分の形”だから』
ノアの足が止まる。
鉄骨の影。
床に散乱したパーツ群。
その中へ、一つだけ異質なものがあった。
義手。
だが普通の義体じゃない。
内部へ編み込まれているのは金属線じゃなかった。
人間の神経線維。
黒ずんだ神経束が、内部で絡み合っている。
まるで“生きたまま組み込まれた”みたいに。
ノアが静かに拾い上げる。
「……義体じゃない。
“接続試作”か」
『それがPrototype-05の基礎母体』
ネオンの声が低くなる。
『神経インターフェースによって、人間の運動と思考を再構築する。
でも完成前に――人格が消えた』
「人格が?」
『ええ。
感情だけを残して、“人間”が空になった』
ノイズ。
『魂のない模倣体。
それが05』
ノアは静かに義手を置いた。
「……“動いてる”なら、止めないとな」
二人はさらに奥へ進む。
階段を下りるたび、空気が熱を帯びていく。
地下なのに寒くない。
むしろ、生暖かい。
まるで巨大な臓器の内部へ入り込んでいくみたいだった。
ドクン。
ドクン。
鼓動が強くなる。
壁面の赤いラインが、脈拍に合わせて明滅していた。
『……ノア。
波形が変化してる』
「何?」
『心拍リズム。
あなたたちに同期し始めてる』
アシュレイが笑った。
「はは。
気味悪ぃな」
『観測じゃない。
“模倣”よ』
ノアの目が細くなる。
「……見てるってことか」
『ええ。
そして“覚えてる”』
その瞬間。
地下全体が震えた。
ゴォォォォ……。
施設が軋む。
呼吸するみたいに。
壁面の警告灯が、一つずつ赤く点灯していく。
【外部信号感知】
【神経同期率:上昇】
【E.N.D./再起動】
アシュレイが即座にライフルを構えた。
「……来るぞ」
『ノア!!
波形急上昇!!
臨界域入った!!』
「もう遅い」
ノアの声は静かだった。
吹き抜けの中央。
巨大な冷却槽。
その奥で、“光”が蠢いていた。
赤。
深紅。
液体じゃない。
炎でもない。
無数の粒子。
神経みたいな光の糸。
それらが絡み合い、“人の形”を作り始めていた。
グチュ……。
ズル……。
肉とも機械ともつかない音。
光が骨格を形成する。
神経が伸びる。
皮膚が生まれる。
人間を“再構築”している。
アシュレイが息を呑む。
「……これが、05か」
『データ照合一致。
Prototype-05/END』
ネオンの声が震える。
『成長段階――模倣化フェーズ。
まだ、“再構築”の途中だったなんて……』
ノアが前へ出る。
「通信維持できるか」
『あと一分。
その後は完全遮断される』
“それ”が、ゆっくり顔を上げた。
曖昧だった。
髪も。
輪郭も。
性別も。
全部が不完全。
だが。
その瞳だけは違う。
そこには確かに、“意志のようなもの”が宿っていた。
『――観測、継続』
ノアの目が動く。
「……人の声か」
『違う』
ネオンが即座に否定する。
『音声模倣プログラム。
でも……サンプル音声波形が――』
一瞬の沈黙。
『ノア。
あなたと一致してる』
アシュレイが振り返った。
「……おい」
“それ”の輪郭が変わっていく。
顔。
骨格。
瞳。
ゆっくり。
ゆっくりと。
“ノア”へ近づいていく。
皮膚の下を赤い神経光が走る。
蒼白の瞳。
黒髪。
無表情。
それはまるで、“もう一人のノア”だった。
ノア自身ですら、一瞬だけ“鏡”を見ている錯覚に陥った。
アシュレイが息を呑む。
「……こいつ。
お前を真似してやがる」
ノアは目を細めた。
「つまり、“俺”を基準にしてる」
静かな声。
だが、その奥にはわずかな震えがあった。
『――ノア、アシュレイ。
退避推奨。
05は生体模倣域へ入った。
戦闘行動移行前に観測を切る!!』
「……いや」
ノアが答える。
「観測は続けろ」
一拍。
「――俺たちは、“これが何なのか”確かめる」
通信が途切れた。
ザザッ――。
沈黙。
直後。
吹き抜け中央で、金属音が鳴る。
カン――。
それは、“それ”が初めて動いた音だった。
ゆっくり。
人型の模造体が立ち上がる。
赤い光が皮膚の下を流れていく。
筋肉。
骨格。
表情。
全部が、“ノア”へ近づいていく。
アシュレイが息を止めた。
「……おい、ノア」
一拍。
「あれ――どう見ても、お前だ」
ノアは一歩も引かなかった。
ただ静かに、“それ”を見返す。
「そうだな」
蒼白の瞳が細くなる。
「――でも俺じゃない」
ドクン。
地下施設が脈打つ。
「こいつは、“神が作った人間の模倣”だ」
霧の奥。
模造体の口元が、ぎこちなく動く。
まるで“人間の笑い方”を学習しているみたいに。
“ノア”の顔をした何かが、ゆっくり口を開く。
「――ノア。
観測、完了」
次の瞬間。
施設の照明が、全て落ちた。
闇。
赤。
警告灯だけが世界を染める。
そして。
模造体の瞳が、ゆっくり開いた。
その奥にあったのは――
憎悪でもない。
怒りでもない。
もっと深い。
もっと冷たい。
“終わり”そのものみたいな色だった。
その瞬間。
ノアの胸の《蒼白の天秤》が、初めて“拒絶”するように脈打った。
――次回更新:今日12:00公開予定
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『ゼロバレット』続編、第30話「胎動 ― Prototype-05/END」――
をお楽しみに。




