表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/25

第1話 日常


──ラクス大陸 東方。

果てしない草原を渡る潮風が、王都の塔をかすめてゆく。

この地を治めるは、ナビル王国。

穏やかな風と規律に包まれた国──その静寂の奥で、物語は動き始める。


 丘の上。草の匂いと湿った風が、城下のざわめきを遠くへ押しやる。


「時間通りだな……」

 大柄の男が革巻きの望遠筒を片手に、遠くの修道院を覗いた。


「そうだね。」

 隣に立つ青年が静かに応じる。


「この日は必ず王女一人だ。」


「一週間のうち二日……そのうち王女一人なのはこの日……。」

 大柄の男は望遠筒を外し、指で空に線を引くみたいに、視界の奥へ道筋をなぞる。

「出発時間……修道院までの道筋……帰城の時間……すべて同じだ。」

「そうだね。半年間、全部同じ。」

「ナビル王国は規則正しいからな。ま、そのほうが俺たちにとっては好都合だ。」


 (馬車に乗り……)

 (外壁を回り……)

 (修道院へ……)


 丘から見下ろす道を、紺色の天蓋を載せた馬車が滑るように進む。

 車輪が石畳を踏み、規則正しい音を刻む。週に二度、同じ刻限、同じ揺れ。

 舗道に開いた小さな窪みで、いつも同じ場所だけ少し強く弾む。

 それすらも、この国の秩序の一部のようだった。


 馬車の窓辺には王女セリーナ。

 視線は外へ、さらにその向こうへ。

 城壁の影、市場のざわめき、修道院へ続く並木道──どれも彼女の瞳を通り過ぎ、指先に触れないまま遠くへ流れていく。

 頬の線は柔らかいが、瞳の奥にわずかな陰が落ちていた。


 馬車が修道院に到着する。

 扉が開き、セリーナは静かに降り立つ。


「セリーナ様。お待ちしておりました。」

 門前の修道女が深く頭を垂れた。


「今日もよろしくお願いします。」

 セリーナは微笑みながら、軽く会釈する。

 二人は石畳を渡り、冷たい空気の通う回廊へと消えていった。


 礼拝堂は朝の光をすりガラス越しに抱いている。

 長椅子の列の間を風が抜け、蝋の香りが薄く漂った。鐘は鳴らない。

 合図は、長机に置かれた白布の折り目と、静かな呼吸だけ。


 セリーナは祭壇の前に進み、両の指を重ねる。

 祈りの言葉は短く、声はほとんど聞こえない。

 祈りは誰に向けるでもなく、ただ『今日も同じであること』を確かめる儀式のようだった。


 背筋を伸ばし、目を閉じる。

 十数呼吸の沈黙が、衣擦れの音をひとつ残らず飲み込んでいく。


 祈りを終えると、彼女は窓際の小卓に腰を下ろした。

 白磁のカップから湯気が立ち、微かな香りが空気に溶ける。

 誰とも話さない。呼びかけられれば微笑むけれど、自ら言葉を探すことはない。


 外の木立が揺れ、ガラスに淡い影を流す。

 その移ろいを追うように、セリーナの瞳がわずかに動き、また静まる。

 彼女の日課、世界の規則、心の呼吸──どれも乱れない。

 だからこそ、彼女の静けさが際立っていた。


 やがて席を立ち、扉へ向かう。

「ではまた四日後に。」

「はい。お待ちしております。」

「あ、セリーナ様。」

「はい。」


 修道女は一歩近づき、肩のリボンをそっと結び直す。

 セリーナが微笑みながら言う。

「ありがとう。」

「ほかは……大丈夫でございますね。」

 丁寧な言葉に、セリーナは小さく頷いた。


 石段を降り、陽の色が濃くなった中庭へ。

 護衛の兵が先頭に立ち、馬車の扉が開く。

 規則正しい世界が、また規則正しく回り出すための配置につく。


 丘の上。

「兵士が動いた。」

「ああ……出てきたな……」

「護衛が先頭……予定通り。」


「ガット。もう後戻りはできないよ。いい?」

「俺たちはやるしかねぇんだ。」

「そうだね……」

「コビー、手筈どおりで頼む。」

「わかった!」


「よし……行くぞ!」


 二人は丘を駆け降りた。

 世界の規則は、いま、別の規則に触れようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ