第十九話
そして時間が経ち、放課後を迎えた。
静かになった教室には今、俺だけが残っていた。玲も真琴もすでに学校を後にしている。
俺は自分の席で呆然としたまま、朝礼を終えた後の出来事をぼんやりと思い起こした。
一時限目の授業を終えた最初の休み時間。俺たちは早速顔を突き合わせた。
話題はもちろん、遊羽の転校についてだ。
急な転校でこの村を去った彼に驚いていたのは皆同じだったが、その後の反応はさまざまだった。
玲は素直に悲しんでいたし、真琴は何も言わずに転校していった遊羽に怒りを覚えていた。
そして俺はと言うと——、
まだ、混乱していた。
あさぎが去り、これからこの学校は俺たち4人で支えていくんだ。
そう意気込んでいた矢先の出来事だった。
あさぎに、そして遊羽も失ったこのクラスはついぞ三人となってしまったのだ。
ついこの間、遊羽にクラスの人数について話したばかりだと言うのに、今はそこに逆戻りである。
俺は椅子に座ったまま体を真横に向け、遊羽の席だった机を見た。
まだ使用して数日しか経っていない机と椅子は新品同然だった。
確か遊羽が転校してくる前に、俺たち4人が倉庫から引っ張り出し、雑巾で拭いておいたものだ。
倉庫から出した当初は埃や蜘蛛の巣だらけで、とても使用できる状態ではなかったが、綺麗に掃除してみると意外と無傷だったのが印象に残っている。
しかしその席はたった二週間余りで不要になってしまった。
いつも学校へやって来ると、ずっと窓の外を眺めている遊羽。
彼は今どこにいて、何を思っているのだろうか……。
俺は妙に真新しい机をそっと撫でながらそんなことを思った。
「あら、染井さん。まだ残っていたんですか?」
教室のドアが突然音を立てて開き、河津先生が現れた。
「先生こそ、何で教室に?」
「私は少し忘れ物を……」
先生は教卓の下からプリントを取り出すと、すぐにドアの方へ踵を返す。
——がしかし、先生はすぐに立ち止まると、こちらに振り返った。
「羽鳥さんのことは残念でしたね。たった五人しかいなかったクラスから、急に二人も抜けてしまうなんて——。私も非常に残念に感じています」
先生は眉根を下げてそう零した。
寂しそうにそう話す先生を見るのは、もしかすると初めてかもしれない。
しかし先生は次の瞬間には声を明るくさせて、
「ですがそうがっかりすることもありません。お互い元気に過ごしていれば、いつかきっとまた再開することもあるでしょう。ですので今はとりあえず元気に、怪我なく生活することを心がけるように」
口元を緩ませてそう言った。
非常に珍しいが、先生の笑った顔を見ると安心する自分がいた。
彼女のなりに励まそうとしていることが、ひしひしと伝わってくる。
俺は気恥ずかしげに後ろ頭を掻くと、「わかりました」と短く答えた。
先生はそれで満足したのか、振り返り教室を出ていく。だがドアを閉める前にもう一度だけ俺を見ると、最後に——。
「染井さん。今日机の中は確認しましたか?」
「え? 机?」
「ええ。もしかすると何か、新しい春を見つけられるかもしれませんよ」
そう言って謎の含み笑みを残した先生は今度こそドアを閉めて去っていった。
「机の中、ねえ……」
俺は先生の不可解な言い方に首を傾げながらも、言われた通り自分の机の中を覗き込んだ。
「ん? 何だこれ……」
するとそこには見覚えのない、それでいて真新しい紙切れが奥の方に入っていた。
ノートを破き、丁寧に折り畳んだだけの紙。
よく机の中に入っていながらも、くしゃくしゃにならずにすんだなと、正直そちらの方に驚いていたが、俺は紙切れに書かれている文字を見て、改めて驚くこととなった。
「羽鳥、遊羽——」
紙の表には「染井桜季へ」、そして裏には「羽鳥遊羽より」と丁寧な字で書かれていた。
——これ、遊羽が入れたのか……。
俺はいつ、どうやって、などと言う疑問は一旦そっちのけで、早速中を確認した。
染井桜季へ
まず始めに、急な転校となったこと申し訳ない。本当なら何か挨拶の一つでも残すのが礼儀だったんだろうけれど、うまくタイミングが掴めず、こんな形となってしまった。
実は言うと、この転校は僕がこの学校へ来た時からすでに決まっていたことだったんだ。両親の都合で一時的に親戚の家に預けられていた僕は、またいつかは転校するだろうことはわかっていた。
ただ言い訳を許してもらえるのなら、まさかこんな早くに転校することになるとは思っていなかったんだ。詳細は省くけれど、お世話になっていた家の人が急に体調を崩してしまい、僕の面倒を見れなくなってしまったのが理由。僕も卒業すればそんな心配はなくなるんだろうけれど、こればかりはどうしようもなかった。
急な手紙を残した理由はこれ。それからもう一つ。
僕が事件解決に積極的だった理由だ。
勘違いしてほしくはないのだけれど、僕は別に普段から面倒ごとに首を突っ込んでいるわけじゃない。ただ今回に関しては特別だっただけ。
君に連れられて見に行ったあの桜の木。あれは本当にすごかった。
最初こそ君の大袈裟な物言いに疑いを禁じ得なかったが、本物を目の当たりにして、君の言い分が嘘ではないことを知ったよ。
そして君はあの桜の下で殺人を犯した犯人が許せないと、そんな態度をとったんだ。それは僕も同じ気持ちだった。
だから僕は今回、犯人究明に尽力した。普段はやらないようなこともたくさんやった。結果的には関山さん本人が自供する形になったけれど、無事解決できて本当によかったと思っている。君の思いも、これで少しは晴らせたのなら尚いいのだけれど。
以上が今回、僕が手紙を残し、君に伝えたかったことの全てになる。
これを読むころには僕はもう里桜村にはいないだろうけれど、村の安寧、君含めたクラスメイトたちの健康を、今もここから祈っている。
羽鳥遊羽より
追伸
いつか僕が中学を卒業し、自由に行動できるようになれば、また里桜村を訪れると思う。できれば春がいい。その時には男同士、近況の報告でもし合おう。
遊羽の手紙を読み終えた俺はとりあえず深呼吸した。
言いたいことは山ほどあったけれど、とりあえず全て飲み込むことにした。
文句もあれば、突っ込みたい部分、感謝の言葉も当然ある。
別れを告げずに村を去ってしまったこと。
短い時間だったけれど彼も彼なりに、この村のことを思ってくれていたことは素直に嬉しかった。
真琴は怒っていたけれど、彼にも事情があったのでは仕方がない。
これは明日にでも玲たちに報告してやるとしよう。
そして桜のこと。
遊羽もあの桜が気に入ってくれていたことは意外だった。
あまりこう言うことには無関心な人間だと思っていたからだ。
事件にしても、やけに積極的だなとは思っていた。
まさかその理由が俺の発言にあったとは露ほども思っていなかった。
確かにそんなふうなことも言ったような気はするが、よく思い出せない。
それについても後で玲たちに報告しようと思う。
遊羽が転校して、玲は悲しみ、真琴は怒りを感じていた。
それならば俺は? 俺はどう思っているのだろう。
最初こそ混乱を隠せなかったが、今ではそれもはっきりとしている。
——俺は遊羽に感謝しているのだ。
この村を、あの桜の木を好きになってくれたこと。
この村を不幸にした出来事に終止符を打ってくれた遊羽に、俺は感謝しても仕切れない思いだった。
今ではその気持ちを直接彼に伝えられないことが口惜しい。
こんな気持ちを抱くのは初めてで、もし真琴にでも知られればきっと笑われてしまうだろう。
だからこれは誰にも言わずに大事に保管しておくことにする。
どうせあと二年弱の辛抱だ。その時が来れば、本人に直接言ってやればいい。
だからこれは、それまでのほんの少しの我慢なのである。
俺はそれら感情を一括りに飲み込むと、もう一度最後の一文に目を落とした。
追伸の文を改めて読み上げる。
すると俺は自然と口角が釣り上がっていることに気がついた。
無意識に乾いた笑いもこぼれ出す。——いや、これは引き攣っていると表現する方が正しいのかもしれない。
手紙を持つ手に力が湧き上がり、徐々にシワが刻まれていく。
ピクピクと頬が痙攣し、目がゆっくりと閉じられ、老婆のように段々と背中が曲がっていく。
それはさながら地震の予兆。
引き込み合いながら沈んでいく地中のプレートのように——。
最後には何もかも弾き飛ばす、大反発を引き起こした。
状態を大きく仰け反らし、天井をふり仰ぐ。
そして教室全体を揺るがすほどの大絶叫で、どこかにいるであろう野郎に向かって俺は激昂した。
「俺は女だ、馬鹿野郎オォォーーーーーーーーーーーーーーォ」
染井桜季、A型。中学二年生の現在十四歳。——性別、女。
騒ぎを聞きつけて先生が駆けつけるまであと数秒。
俺渾身の叫び声はこの教室どころか、この学校、さらにはこの村全体に響き渡ると、澄み渡る青空の下、四月の生暖かい風にさらわれて、溶けて消えていった。
この村の一本桜は今日も満開である。
小説家になろう春季企画『春の推理2022』ということで書かせていただきました『思い出の一本桜 〜第三の復讐の謎〜』いかがだったでしょうか。
この企画を知ったのが四月の七日、それから急ピッチで内容を考え、書き終わるまでに一ヶ月ほどかかり、今話で最終回となります。(本当はもっと短い短編ものを考えていたのですが、気がつくとここまで膨らんでいました)
お気づきの方もおられるかも知れませんが、今回登場する人物の苗字は全て桜の品種に因んだものとなっております。(羽鳥遊羽を除き)
染井→ソメイヨシノ、花ヶ崎→ハナガサザクラ、旭谷→アサヒヤマザクラ、右近→ウコンザクラ、河津→カワヅザクラ、太田→オオタザクラ、永源→エイゲンジザクラ、関山→カンザンザクラ、松月→ショウゲツザクラ、白雪→シラユキザクラ、こんな風に……。
どうせだったらサクラ尽くしにしてしまおうと、そういう試みでした。
初めて現実の世界を舞台にしたミステリーを考えてみましたが、今後はまた新しいミステリーに挑戦できたらと思います。その時にはまたお付き合いいただけたら幸いです。
稚拙ではありましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
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上記執筆からまる一年が経ち、前々から直そうと思っていたのでこの『春の推理2023』をきっかけに、今回大きく修正させていただきました。
元々の物語から大体六割近くは変わったのではないでしょうか。トリック、そして犯人すらも変わっていますからね……。おかげで16話だった小説が19話と、加えて1ページ平均4000文字と、かなりボリュームアップしてしまいました。
ですがそのおかげで、今回はそれなりに満足のいく出来栄えにはなったと思っています。
今後とも適宜ミステリーは書いていこうと思っていますので、その時はまたよろしくお願いいたします。