03:乗合馬車にはスライムを
「ティルオンまでは3日、かぁ」
狭いプラルトリで16年生きてきたヴェロニカは、町から出た経験は、祖母を薬師のところまで連れて行った数回のみだった。王都であるティルオンには行ったこともなかった。世間知らず、と言われてしまえばその通りだ。
しかし、緊張よりも楽しみな気持ちが勝つ。私は、馬車の窓から外の景色を楽しんでいた。
「うう……、お尻が痛い」
乗合馬車に乗る経験はあったが、1時間を超える乗車は初めてだった。悪路を走る馬車に乗って3時間を超えたあたりから、お尻は限界を迎えていたのだ。
「きゅきゅ!」
「モモちゃん、楽しいの?」
乗客は今はヴェロニカとモモちゃんだけだった。1人で馬車に乗ってる私を心配して声をかけてくれたおばあさんも降りてしまった。
「きゅー!きゅきゅ」
「え、なに?」
モモちゃんは私の言葉をきっと理解している。でも、情けないことに、私はモモちゃんが伝えたいことがわからなかった。
突然、真っ黒なボディをどろぉって溶かしたモモちゃんは、丸く平べったい形に変化した。
「きゅきゅる」
「まさか……ここに座れ、って?」
「きゅるん!」
赤ちゃんの頃からの付き合いであるモモちゃんは、普段はスライムって感じの雫型なんだけどたまに形を変える。それは、いつも私のために動く時だ。
「うわぁぁんモモちゃん!良い子だねえ本当に。でも、やだ。モモちゃんの上になんか座れないよ!」
「きゅきゅ!」
そう言うと、モモちゃんは怒ったように鳴いた。ううーん、でもなぁ。
「きゅ!」
きらきらした、赤い目が私を見つめる。
『はやく私の上に座りなさいよ!』そう言っている気がする。
「うう……そんな目で見られたら私は。苦しかったら、言うんだよ?」
ヴェロニカは恐る恐るモモちゃんの上に座った。ひんやりとしていて気持ちいい、座り心地もぷよぷよしていて最高だ。揺れる馬車の衝撃を吸収していた。
「大丈夫?」
「きゅるん」
「……ありがとう!モモちゃん」
「きゅるる」
ガタガタという馬車が走る音、暖かい風が頬を撫でる。柔らかなモモちゃんのおかげで、規則的な揺れはヴェロニカを眠りに誘った。
「ぐぅ……」
ヴェロニカは、乗合馬車の中で眠る危険さは知っていた。しかし、馬車の中には1人きり、外を見ると森を抜ける途中のようで人がいる気配がない。少し眠るくらいいいよね、そう考えた私は眠気と戦うことを諦めた。
「きゅるる」
昨夜の準備や、領主への挨拶、長時間の移動に想像以上に疲労していた。そのため、外から『乗車したい、止まってくれ』という男の声によって、運転手が馬車を止めたことに気づくことはなかった。
気配に敏感な魔物であるスライムのモモちゃんは、うとうとしていた目をぱっちり開き、「きゅ、きゅ」とヴェロニカを起こそうとするが、目を覚さない。
「……なんで俺がこんな乗合馬車に乗るはめに。おや……失礼する」
真っ黒なローブを頭まで着た、長身の男は馬車に乗り込み、少女の姿を見つけると軽く頭を下げた。あまり広くはない馬車の向かいの席に座ると、彼女がくうくうと眠っているのにようやく気がついたのか、肩をすくめた。
「……おい、無防備すぎるぞ」
男は親切心で、少女を起こそうと肩に触れようとした。しかし、それは、何者かの『キュッ!』という高い声によって阻まれた。
手を止めた男は、声の発生源に視線を向けた。
「ん?……スライムか」
少女の尻の下に敷かれているのはスライムだった。今も、怒ったように『きゅ、きゅっ』と鳴いている。
「ほう、鳴くスライムなんて初めて見たぞ。それに、よく見たら漆黒じゃないか」
面白そうに目を細めた男は、今度はスライムに手を伸ばした。何を勘違いしたのか、スライムはさらに強い鳴き声をあげた。
「なんだ、主人を守ろうとしているのか……」
男は、寝ている少女を起こさないように、こみ上げる声を抑えるように笑う。顔は、黒いローブと銀色の髪によって隠されていたが、笑った衝撃で髪が揺れ男の顔が露わになった。
スライムと寝ている少女だけの馬車の中では、男の規格外の美しさに見惚れる人間はいない。
「うん?お前、違うな……おい、スライムもどき、話すのを面倒がるな」
銀の睫毛に縁取られた赤い目が、スライムを上機嫌に見つめていた。
「きゅる」




